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「stargazer」  作者: 熊翁
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「鉄砂漠の渡り方」④

「撃てアルシノエ! 撃ちまくれ!」


 ガルバの声でアルシノエははっと我に返った。


 六本足とは二十メートルと離れていない。アルシノエならば撃てば外しようのない距離。恐怖とか現実感とかを感じるのは一時棚上げにして、空っぽの思考で撃つことだけを考えた。狙いをつけることさえぶっ飛んでいた。身体だけは片膝立ちの射撃姿勢を覚えていた。つぎはぎだらけの対ファイバ用十二番径サボットスラグ銃が文字通り火を噴いた。凶暴な射撃反動を歯を食いしばって耐えて、すぐさま次弾を装填、射撃。一連の動作を機械のように繰り返す。残弾の計算なんて端から頭にない。耳が馬鹿になるほどの銃声。弾丸は当たっているはずなのに、六本足はまるで堪えた様子がない。中枢繊維体を撃ち抜かないとだめだ。頭の隅っこの方ではそれをわかっていたが、どうやってやればいいのかがひとつも頭に浮かんでこない。そのうち、煩わしさを感じてか、六本足がアムポとスラを追うのを止めて、こちらを振り向いた。「こっちに来る!!」レウコの恐怖にまみれた叫び声。


「やべやべぇ逃げろっ!!」


 ガルバが心底焦った声で叫んで、背後の鉄屑の丘を脇目も振らずに駆け上る。


「単車は!?」


「んなもん間に合わねえっ!」


「……くそっ!」


 未練がましく吐き捨ててレウコが続く。


 アルシノエは、状況をまるで見ちゃいなかった。


 立ち上がりもしない。まだ撃つことしか考えていなかった。


「バカアルシノエ早く逃げろっ!!」


 ガルバの叫びもアルシノエの表面をかすめて、滑り落ちていく。


 視界の中で真っ黒い悪夢の塊のようなシルエットがみるみる大きくなっていく。


 その、無機質な赤い視覚器官から、一本一本が意思を持つようにうごめく繊維体から、真っ暗な穴を覗かせた捕食器官から、何から何まで事細かにアルシノエには、観えた。


 アルシノエの目のよさは、折り紙つきなのだ。


 ようやく、狙って撃つことを思い出した。


 六本足がアルシノエを捕らえるまで、五秒とかかるまい。


 外したら死んじゃうだろうな、とアルシノエは頭の片隅でぼんやりと考えていた。


 それ以外の大部分は、この一撃を撃ち込むことに埋め尽くされていた。


 六本足の弱点は四つの目玉の真ん中だぞ――いつかそう教えてくれた父の声が耳元に甦る。


 「そこ」以外何も見えない。聞こえない感じない。


 外しようがなかった。


 銃声は余韻だけが耳に届いた。


 六本足の頭部が、あっけないほどあっさりとバラバラに解け落ちていくのをアルシノエは見た。「やった!」「スゲエ!」頭上からガルバとレウコの歓喜。アルシノエがそれに応える、暇さえない。アルシノエの目の前を、質量のある黒いものが上から下へ通り過ぎた。それは六本足の前足のひとつで、アルシノエのいるほんの一メートル手前の瓦礫を爆撃のように粉砕していた。


 大量の破片と後からやってきた驚きにアルシノエはひっくり返った。なんだかよくわからないうちに後ろ回りでぐるりと一回転して、再び正面を向いて尻餅をついたときには、触れそうなほどすぐそばで六本足が頭部を失いながらもまだのたうち回っていた。アルシノエはそれを呆然と見上げる。


「アルシノエぶじか!?」


 上から降ってきたガルバの声にアルシノエは震えるようにガクガクと頷く。


「ってかなんであいつまだ生きてんだ!?」


 そんなことアルシノエに聞かれても困る。アルシノエだって訊きたいのだ。銃弾は確かに狙い通り四つの目玉の中心を撃ち抜いたはずなのに。頭部まではバラバラにできたのに。完全には倒せなかった。


「端っこに当たっただけなんだきっと! 中心にちゃんと当てないと……!」


「そんなことよりアルシノエ早く逃げろ! 復活するぞ!」


 レウコの推測は正しいのかもしれなかったが、確かに今はガルバの言う通りそれどころではなかった。


 悪夢にはまだ続きがあった。


 散らばった繊維体が再び六本足に集まって、頭部が再生されつつあった。


 いち早く作り直されたひとつの目玉がアルシノエを捉えた。


 ――まずいまずいにらまれた殺される逃げなきゃ逃げなきゃ!


 鉄屑の丘の上でガルバとレウコが早く来いと腕が千切れんばかりに手招きしている。アルシノエは大慌てでサルのように鉄屑の丘を駆け上った。


 突然、頭が割れるほどの耳鳴り。


 アルシノエたちははっとして振り返る。


 六本足が、再生させた触角のような共振器官を震わせて、鳴いている。


 人間には聞き取ることのできない、呆れるほどに強力な電磁波の咆哮。


 ガルバもレウコもアルシノエも、例外なく顔色を変えた。


「やばい!! 仲間を呼んでる!!」


 ガルバの声には欠片の余裕もない。おそらく、一分とかからずに何十体という奴らがここに殺到するだろう。そう考えただけで、あまりの恐怖にアルシノエは吐き気さえ覚えた。


「こっち!! はやくっ!!」


 ガルバはすでに鉄屑の丘の上を駆け出している。レウコが急かす。アルシノエは不安定な鉄屑に足を取られそうになりながらも二人を追う。


「うちらの単車は!?」


「あそこだよ!」


 ガルバが怒ったように叫んで指差した先は鉄屑の丘の反対側で、二台とも『繭』のそばに引っ繰り返っていた。取りに行きたいのは山々だったがファイバの巣の中になんか死んでも行きたくなかった。停泊地のある『鉄柱』は逃げる方向とは反対側だしこの先がどうなっているかなんてなにひとつわからなかったが、もはやアルシノエたちにできるのは膝が砕けて肺が破れるまでこのまま走り続けることだけだった。停泊地まで辿り着くなんてすでに不可能に近くなっていたし、後ろのファイバから逃げ切ることすら、できるかどうかもわからなかった。先に逃げたアムポとスラのことが一瞬だけアルシノエの脳裏をよぎったが、それもすぐに消えた。


 ともすれば崩れそうになる鉄屑の上を三人は死に物狂いで走る。足場がぐらつくたびに背筋が凍る。落ちれば最後だ。視界の端に映るファイバの巣が焦りを煽る。無数の『繭』がいつ分化を始めるかわかったものじゃない。そうなったら本当の地獄だ。先頭のガルバがどんどん先に行く。アルシノエは目の前のレウコの背中を必死に追いかける。後ろから大きな音と振動。さっきの六本足が追いかけてきたことが、振り返ったレウコの表情でわかった。アルシノエには振り返る余裕なんて身体中のどこにもない。身体の芯まで震わせるような激しい足音。聞き間違えようもないほどはっきりと近づいてくる。振り向いたらすぐそこにいるかもしれないという底無しの恐怖。年寄りたちがうるさく言っていた星の神様の話を真剣に聞いていなかったことを、本気で後悔した。神様は助けてくれない。「ガルバひだりっ!!」レウコのほとんど悲鳴。何かと思う間もなく、急に下から衝撃


 すべてが引っくり返った。


 視界が弾けるように回る。鉄屑が吹っ飛ぶ。唐突の浮遊感に思考が蒸発する。悲鳴さえも出ない。強烈な衝撃に息が詰まる。転がり落ちる。もう何がなんだかわからないうちに、もう一度強烈な衝撃を背中に受けて、アルシノエは止まった。全身がバラバラになるような痛みは後から来た。呻く。もう動けない。動きたくない。折れかけの心で、アルシノエはうっすらと目を開ける。


 黒っぽいものが見えた。動かした手が気持ち悪いくらいにべとつく。


 !


 それではっとなってアルシノエは勢いよく身を起こした。思ったほど痛みは出なかった。


 『繭』が、目の前にあった。


 そこはすでに、ファイバの巣の中だった。


 恐怖に駆られて周囲を見渡す。倒れたまま動かないレウコと、呻きながら身を起こそうとしているガルバと、崩れた鉄屑の丘と、そこから這い出てくる六本足が目に入った。脳ミソまで凍りつく。そいつと目が合ってしまった。もう逃げられない。そいつから目を離せないまま、手だけで周辺を探る。サボットスラグ銃がどこにもない。涙が溢れる。泣きたい。


 めきょり。


 不快に湿った音。


 地獄はどこまでも底なしだった。


 半ば自動的にアルシノエは音のした方を振り返る。そして、見た。『繭』のひとつが、今まさに分化し始めたところを。


 湿った音を響かせて、『繭』を構成する繊維体がひとつずつ剥がれ落ちていく。それは見る見るうちに『繭』全体に広がり、球形が歪になり、そして次の瞬間、『繭』は一気に形を失って何百という繊維体に分裂した。


 アルシノエは凍りついたまま呆然とその様子を見ていた。恐怖を感じるべき状況のはずだったが、そんなものはとっくに通り越してしまっていた。アルシノエにできることはもはや何もないのだ。


 すでに周り中で同じことが起こり始めていた。もともと絶望的だったっ生存確率が、一秒ごとに目を覆うような速度でゼロに近づいていく。立ち上がることもできない。悲鳴さえも上げられない。荒い呼吸を繰り返すばかりで、喉の奥までカラカラだった。最初に分化したものが、すでに撚り集まって一体のファイバになろうとしていた。ガチガチと冗談みたいな勢いで歯が鳴っている。


 そして、正面のファイバが襲いかかってきた。


 聴覚の全てが悲鳴で満ちる。アルシノエは絶叫した。そして、



 突然の閃光と爆音と衝撃が、ほぼ同時にアルシノエの視覚と聴覚と触覚を蹂躙した。



 アルシノエは吹っ飛んだ。すぐそばの、まだ分化していない『繭』にぶつかって、地面に転がる。


 それは、ガルバの持っていた閃光音響手投げ弾の爆発だった。攻撃というよりは目くらましに使われるその手投げ弾は一時的に失明させるほどの光と圧力として感じるほどの音、それに細かな金属片を撒き散らすことによってファイバの電磁波探査さえも撹乱させることができる貴重な対ファイバ用の道具だ。しかし、いくら目くらまし用とはいえ熱と爆風が生じないわけがなく、それを手持ちの三つ全部一気に間近で爆発させるなど正気の沙汰ではなかった。


 閃光音響手投げ弾の爆発は、その場にいたすべての生物の視覚を塗り潰し、聴覚を奪い、共振器官を狂わせた。


 何も見えなかったし聞こえなかった。


 何度瞬きしてもアルシノエの視界には光の残像がべったりと張り付いたままで、一向に取れてくれない。残響が耳の奥から響いてきて、どれだけ頭を振っても出て行かない。周りの様子が何ひとつわからないのが叫びたくなるほど怖かった。アルシノエは泣いていた。ガルバもレウコも、どうなったのかわからない。今にもファイバがアルシノエに喰らい付いてくるかもしれない。死ぬより残酷な状況だった。居ても立ってもいられなかった。アルシノエは恐怖心が許す限りの速度で立ち上がり、両手で周囲を探りながら走り出した。そこら中で何か大きなものが動き回っている気配がする。歯を食いしばっていないと、悲鳴と泣き声が溢れ出しそうになる。手に何か触れるものがある度に熱いものでも触れたように引っ込めて、慌てて方向転換した。躓いて転ぶのが怖くて、歩くのと大して変わらないペースでしか進めない。一度倒れてしまったら、もう二度と立ち上がれなくなると思う。


 時間の感覚なんてとっくになくなっていたので、それからどのくらい経ったのか定かではない。


 ゆっくりと、アルシノエの視力は回復しつつあった。


 いつの間にか、ひとりになっていた。


 あれほどいたはずのファイバが、影も形も気配もない。


 ガルバとレウコの姿も、やはりどこにもなかった。

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