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「stargazer」  作者: 熊翁
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夜の世界⑦

 二体の天幕被りが、怯えたようにわずかに身動ぎした。そして、


 頭痛を催すほどの耳鳴り。


 共振器からの雄叫び。


 近い方の天幕被りが無数の触手をハルカナへ向けて放った。ハルカナは避けようともしない。アルシノエは思わず悲鳴を上げそうになる。ハルカナの全身があっさりと触手に絡め取られたのだ。それでもアルシノエが悲鳴を上げずに済んだのは、全身に絡み付く触手などものともせず、ハルカナがそれらを常識外れの力で引きちぎったからだ。触手の切れ端を払い除け、どれかの触手が持っていたナイフを足元に散乱するものの中から拾い上げて、ハルカナは何事もなかったかのように再びゆっくりと天幕被りに近づいていく。アルシノエはそれをハラハラしながら見つめ、


「――あ!」


 思わず声を上げた。


 光を消して横から近づいていたもう一体の触手が地を這うようにハルカナに迫り、その両脚を何重にもわたって縛り上げた。


「ハルカナッ!!」


 アルシノエの声はもはや悲鳴に近い。


 ハルカナの身体が軽々と持ち上げられ、天幕被りが大口を開く。


 アルシノエが為す術もなく見つめる前で、ハルカナは頭から天幕被りに飲み込まれた。


 その直後、ハルカナを飲み込んだ天幕被りが不自然に動きを止めた。


 アルシノエが絶望に打ちひしがれる間もなく、そいつは苦痛にもがくように痙攣し出し、共振器を震わせて悲鳴のような電磁波を撒き散らし、ついには一度閉じた大口を再び開いた途端、


 唐突に天幕被りは形を失って崩れた。


 大量の繊維体が地面に広がり、その一部がもぞもぞと動く。


 それが何かをアルシノエが認識するより先に、もう一体の天幕被りが動いた。もぞもぞと動く部分に向けて何本もの触手を矢のように放つ。それらの触手が動いている部分に突き刺さる、その寸前、


 光が弧を描いて走った。


 瞬きをする間もなく、触手はバラバラになっていた。


 そして、ハルカナがそこにいた。


 ノビリオルと共に飲み込まれたはずの、剣を手にして。


 そこからのハルカナはまさに神速であった。


 剣を地面に突き立てたかと思うと、右手で何かを天幕被りへ向けて投げつけた。アルシノエの目でも追えなかったそれを、天幕被りは一本の触手で受け止めた。最初に奪ったナイフだった。アルシノエと、おそらく天幕被りも同時に気付く。ハルカナの姿が、既にそこにはない。気付いたときにはもう終わっていた。上から降ってきたハルカナが剣を天幕被りの天辺に突き立てていて、天幕被りは抵抗する間もなくあっさりと崩れ落ちた。


 後には、ハルカナだけが立っていた。


 アルシノエはとうとう居ても立ってもいられず、弾かれたようにハルカナの元へ駆け出した。


 剣を手にしたハルカナがふらりふらりと目を疑うほど不安定な歩みで寄ってくる。


 目の前まで来て、アルシノエは息を呑んで足を止めた。


 ここまで近付いてようやく、ハルカナの様子がよくわかった。


 ひどい。それ以上、言葉もなかった。これ以上にひどい状態なんて、死体以外に有り得ないだろう。そして、そのひどさはアルシノエ自身にも向けられていた。ハルカナがこうなってしまったのもぜんぶ、アルシノエのせいなのだから。天幕被りに飲み込まれたときに消化液を浴びたのだろう、あんなにきれいだったハルカナの肌がところどころただれてしまったのもアルシノエのせいだ。ぼろ切れよりはマシ、といった状態になってしまった白い服もアルシノエのせいだし、身体中のあちこちにある切り傷や擦り傷もぜんぶアルシノエのせいだ。ハルカナの左腕が壊れてしまったのも、髪がばさばさになってしまったのも、歩き方がぎこちなくなってしまったのもぜんぶ、きっとアルシノエのせいなのだ。


 そんな状態にも拘らず、アルシノエと目が合うと微笑もうとするハルカナを、信じられないという思いでアルシノエは見つめる。


 ――どうして、そこまで、してくれるの――?


 感情が溢れ出しそうになる。


 アルシノエはとにかく、立っているだけで精一杯といったような状態のハルカナを強引に座らせる。アルシノエもその正面にぺたんと座り込んで、こんなになってもいつも通りの表情を浮かべるハルカナの顔を覗き込んだ。


 口を開こうとしたら、ハルカナに先を越された。


「約束、守れました、よね? あいつら倒して、ちゃんと帰ってきましたので。ハルカナは約束をしっかりと守るロボットでした」


 アルシノエは言葉もない。


 その言葉は、アルシノエの心の奥底の深い深いところに突き刺さった。そこから流れる血には、罪悪感と申し訳なさが大量に含まれていた。ハルカナを見捨てて裏切って置いてきぼりしたのはアルシノエの方だ。ハルカナはそんなアルシノエなんて放っておいたってよかったはずだ。文句のひとつも言うべきなのだ。それなのに、こんなにボロボロになってまでアルシノエを助けて、たったひと言交わしただけの口約束なんかを気にして、


 そんなの、アルシノエにはもうどうしようもないじゃないか――


 次第に込み上げてくる感情に、アルシノエの思いが押し出されて、こぼれた。


「――、どうして。どうして、きてくれた、の? だって、」


 声に詰まる。言えたのはそれだけだった。それ以上言葉にすると色々なものが溢れ出しそうだった。アルシノエはハナをすすり上げる。


 ハルカナが何でもないように言う。


「どうしてって、約束しましたので。アルシノエを守るって」


「……守る、って……、約束……?」


 ハルカナが、内に秘めていた想いを語るように、ゆっくりを喋り出す。


「――ハルカナは、人類を助けるためにここに来たはずなのですけれど、船に何かトラブルがあって墜落してしまって、ハルカナはずっとずっと動けなかったのです。でも、あの日、三万二千六十一日目にアルシノエが現れて、ハルカナをサスペンドの眠りから起こしてくれて、ハルカナに助けてって言ってくれたのです。ハルカナは、それを聞いてとてもとても嬉しかったのです。アルシノエはハルカナに、存在する意味を与えてくれたのです。だからハルカナは何よりもまずアルシノエを守ります。アルシノエがくれたハルカナの存在全部でアルシノエの役に立ちたいのです」


 そして、初めて見せた不安げな表情でこう訊くのだ。


「ハルカナは、アルシノエの役に立っていますか?」


 アルシノエは首が壊れたようにうんうんと何度も頷いた。言葉に詰まった分、頷いた回数分だけハルカナに思いが伝わるとでも思っているかのように、何度も何度も。


 ハルカナが、まるで本物の人間のようににっこりと微笑んだ。


「そう。よかった」


 その笑顔は、肌で感じられそうなほどの温かさをアルシノエの心に届けた。懐かしい温かさだった。お母さんを思い出した。顔はぜんぜん違うはずなのに、その笑顔はお母さんのそれによく似ていた。そう思うと、もうだめだった。今まで懸命に堪えていたものが、堰を切って溢れ出した。涙が止めどなく流れる。嗚咽が漏れる。色とりどりの感情が詰まった涙だった。悲しみも絶望も懐かしさも寂しさもうれしさも申し訳なさも全部がごちゃ混ぜになってこぼれていた。


 アルシノエには、もう、ハルカナしかいない。


 人と同じ暖かさを持ったハルカナの微笑みが、アルシノエにそのことを思い起こさせた。ハルカナを同じ頬笑みを浮かべていたお母さんは、もういない。厳しいけど立派なシーカーだったお父さんも、もういない。密かに尊敬していた兄ちゃんも、他のみんなも、もうきっといないのだろう。この地上では、ウルティオ・アイルのみんなにはもう会えないのだ。アルシノエは、とうとうひとりになってしまったのだ。


 声を上げて泣き続けるアルシノエを前にして、ハルカナがいつものように慌てふためき始めた。アルシノエはおいおい泣きじゃくりながらそんなハルカナにすがりつく。


 アルシノエには、もう、ハルカナしかいないのだから。


 だから、今度こそハルカナにどこまでもついていこうと思った。


 ノラ山地へ行くというのなら、ハルカナを信じてついて行こう。


 そこに楽園の星へ行ける船があるというのなら、それも信じよう。


 そして、楽園の星へ連れて行ってくれるというのなら、どこまでもついて行こう。


 そうすれば、


 もしかしたら、


 星へ登ったウルティオ・アイルのみんなと、また会えるかも知れないから。


 この地上ではもう会えないけれど、楽園の星になら、教えの通りなら、みんながいるかもしれないから。


 アルシノエは、ハルカナと一緒に、生きて楽園の星へ登るのだ。

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