宇宙の人間性原理 「宇宙は人間のためにある」 最先端の科学者でそう唱える人が増えているそうです
15年前に書いた文章です。
昨日(12月13日)投稿した、
短編小説「宇宙の終わり」の内容に関連する文章ということになります。
「宇宙は人間のためにある」というのが論旨です。
こういう考え方もあるのだろうな、と思います。
03.11.29記
昔、人々の考えでは、天動説としてこの地球が宇宙の中心とされていたときがあった。
が、地動説により太陽が宇宙の中心とされ、やがて人類の宇宙に対する認識が深まると共に、その太陽も、そして銀河系もこの広大な宇宙において特別な場所にあるわけではない、ということが解り、この宇宙の中には人類以外にも高度な文明をもつ生物が存在するのであろうという考えが主流となっていった。
しかし近年、正確な言い方は記憶にないが、宇宙の人間性原理、つまり、「この宇宙は人間のために存在する」ということを唱える人が増えてきているそうだ。
それも宗教家とか哲学者ではなく、現代の最先端をいく科学者のなかにそう唱える人が増えてきているそうだ。
環境が変われば最適の形態も変わるであろうということで、SFの世界では高度の文明をもつ、異形の生命体というのはおなじみだが、色々研究すると、高度な文明を生むような生命体としては、われわれ人類の形態というのが最適で、いわば、これしかない、というような形態なのだそうである。
さらにその生命体を生む環境として、温度、大気の構成など、この地球は、やはり、これしかない、という環境なのだそうである。
地球が今よりほんの少しでも、太陽に近ければ。あるいは遠ければ、この環境は生まれなかった。
地球は宇宙が生成されていくその過程の中で、たまたま偶然にこの場所に生まれた、とされてきたが、この環境をもたらせた様々な要因を考えると、この宇宙の広大さを考慮にいれても、それがたまたま偶然に生まれたと考えるには、あまりにも都合が良すぎるという確率になってしまい、むしろ、何者かの意志がはたらいて、このように創造されたと考える方が合理的なのだそうである。
この地球であのようなぴったりしたかたちでの皆既日食、皆既月食が見られるのも、太陽と地球と月の各々の大きさと各々の距離によって、そうなったわけである。
これについては前記に比べると偶然と考えうる確率なのかもしれない。
しかし、仮に人類以外に高度な文明をもった生命体がいたとして(いないであろうと考えているわけだが)、その星で、皆既日食を見ることはできないであろう。
そのように考えると、この現象は、この地球が、この宇宙において特別な場所であることの証。天の配剤。そういうことなのではないだろうか。