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いつか、王子さまが  作者: うえのきくの
7/7


 あれから二年が経った。僕らははたちになった。

 希望の学部がある大学はちょっと離れた所にあったけど、自宅から離れるつもりがなかったので、高校とは逆の方向にやっぱり2時間程、小旅行的な通学を続けている。

 もうかなり厳しいから、そろそろ学校の近くでアパートを借りようと思っているけれどできる限り和海ちゃんのそばにいたくて、今までずっと自宅から通学してきた。

 その和海ちゃんはアパレルの専門学校に通い、卒業間際の毎日は日常の授業に加えて就活や卒業製作に忙しそう。でも、とってもいきいきしている。

 僕も話を色々聞く。相談されることもあるけど知らないことばかりで参考になることなんて言えないんだけどね。はあ、大人になるって大変だ。


 僕は医学部に通っている。

 医者になるという進路を目標にしたのは合気道をやめた頃だった。

 指導をする道はもう考えていなかったけれど、それでも出来れば一生運動する人の側で仕事をしたい。彼らのそばにいてからだの不調を整えたり治して、夢に近づく手伝いができたらと考えるようになった。 

 その一番には恐らく弟の睦月がいたのだろうが今は違う。自分を頼ってきてくれる人にならできる限りのことをしてあげたい、してあげられる人になりたい。

 専門学校、看護学校、いろいろ考えてどんなことにも対応できる、というのはやはり、医者かもしれないと思った。

 親戚に医者はいないし、医大にいった知り合いもいない。無謀かもしれないがやってみなければ始まらない。幸い進学校に入学して通常の授業は他校に比べれば厳しいものだったと思う。

 だけど何年かかっても必ず医大に、とは思わなかった。もし、二年チャレンジしてもダメだったら専門学校に行き、整体師になろうと決めていた。あまり長引いては親に負担がかかるし、もう一年伸ばせば睦月の受験と被ってしまう。

 みんなにそんな緊張を強いるのもどうかと思ったから。


 苦労の甲斐あって始めてのチャレンジで医学部に合格した。ほっとしたのも束の間。厳しい講義、始まった臨床授業に大わらわ。

 そんな素敵なキラキラキャンパスライフとは程遠い毎日、その人は突然やって来た。


 教室移動のため中庭を歩いていた僕に声をかける人がいた。

「中田、紗月くん?」

「はい? ……あ」

 たった一度だけ見かけたことのある背の高い男性。いつかの夕暮れのなか、武内先生に駆け寄ったひとだ。

 なんで、どうして?

 彼がここにいる理由、いや、そんなこと考えてもわかるわけはない。

「あ、あの……」

「あ、ごめん。俺、タカナシタモツって言うんだけど、わかる?」

 彼は自分を指差し聞いた。僕は言葉も出ず、こっくんと頷いた。

「ちょっと話できる?」

「……あー、次も講義があって。待ってて頂いてもいいですか?」

「うん、学食とかある? そこで待ってる」


 彼と、話す。

 そんなことがあるとか、考えたこともなかった。

……名前、アツキじゃないんだ。


 先生と、彼。

 ぐるぐると頭のなかが回る。不思議と心の方は穏やかだった。たぶんさっき別れるとき、彼が微笑んだからだと思う。

 優しい顔だった。


 心ここに非ずの一コマ。駄目だ駄目だと思っても彼の顔がちらつく。

 ようやく授業が終わり、案内したカフェテリアに急いだ。外はまだ寒いけどガラス張りの廊下は弱い日差しでもぽかぽかと温かい。その光のなかを慌てて駆けていく。

 二年の間、僕は先生に会っていない。メールも電話もなかった。今どこにいるのか何をしているのかも知らない。

 わざわざ彼が僕を訪ねてくる理由。僕たちの共通点と言ったらひとつしかない。

 先生に何かあったんだろうか。わざわざこんなところまで訪ねてくる理由がわからずに、嫌な展開ばかりを思い描き顔が歪む。足が早くなる。

 飛び込んだ日当たりのよい窓際の席、彼はテーブルに肘をつき居眠りをしていた。

 よかった。きっと、嫌なニュースじゃない。だってなんだか気持ち良さそうに縁側の猫みたいだ。

 起こしてしまうのが申し訳なくて、僕もカウンターでカフェオレをオーダーして席に戻った。それでも眠っている彼にそっと声をかける。

「あ、の」

「んああーー、ゴメン。寝ちゃった。来てくれてありがと」

「いえ、こちらこそお待たせして。それで、お話しって」

「うん、えっとあのね」

 彼が口ごもる。快活そうなはっきりとした顔立ちに不似合いなそのしぐさで、やはり先生に何かあったのではと不安になる。

 そのときになってはじめてわかる。いろんなことがあったけど、やっぱり先生は僕にとって大事な人だったんだって。優しい気持ちやあったかい気持ち。辛い気持ちも汚い感情も、誰かが誰かを思うとき必ずついて回る自分ではどうしようもないもて余してしまうような心の振動を教えてくれた人だから。


 彼は小さく息をひとつはいて、一気にしゃべった。

「今度、俺と和文さん結婚するんだ。それで簡単な披露宴するから来てくれないかな、と思って」

 不意にあげた顔は力強く僕を見た。その瞳に、少し怯む。それにしても

「……………え、結婚」

「うん結婚」

「…………………………」

 結婚てあれだよね? 病めるときも健やかなるときもとか神父さんが言って指輪の交換とかしちゃう、神主さんが祝詞とかあげちゃう、あれ。

「ビックリした?」

 それはするわ。思わず彼が聞いてしまうような間抜け面だったんだろう。

「はい……って、出来るんですか?」

「や、婚姻届はさすがに無理だし、仕事柄養子縁組とかも今はできない。だから気持ちだけ」

 夕焼けの中、武内先生と彼が微笑み合う光景を思い出す。穏やかで優しくて、いたわりあうような二人の空気。

「やっぱり、すごい」

「やっぱり?」

 僕は思わず笑ってしまった。あの夕焼けの二人が、最後に見た先生の恥ずかしそうな顔が、今目の前にいる彼に繋がっているのが嬉しくて。


「以前、お二人を見かけたことがあって。そのときの先生はなんだか知らない人に思えた。たぶん、僕が知っている先生は生徒の前で見せる先生の部分だけで、本当の先生はあなたと一緒のときの顔だったんだろうなって気づいて……それで僕は先生に会わないことに決めたんです。最後に会ったとき、先生は幸せだって言ってました。あなたとだったからなんですね」

「幸せって、和文さんが?」

「はい。一番最後にお会いしたとき、今幸せですか? って僕が聞いたら」

 先生は恥ずかしそうな顔をして頷いたんだ。

「……そうなんだ」

「末永くお幸せに。披露宴には必ず出席します。先生にもよろしくお伝えください。あの、もう一人、一緒にいってもいいですか?」

「もちろん、大歓迎!」

 僕は大好きな先生と先生が好きなこの人を和海ちゃんにも見せてあげたいって思ったんだ。一緒に幸せを見届けたいって強く思ったんだ。


「結婚式」

「そう、一緒に行ってくれる?」

 ある日の日曜日、タカナシさんに誘われた件で和海ちゃんに相談していた僕。

 でも和海ちゃんは乗り気じゃないみたいで、ゆううつな顔をしている。

「……ダメだった?」

「ダメって言うか……」

 なんだかすごく悲しそうな顔になっちゃったから僕はハッとした。

 そうだよね、僕が前に好きだった人だっていうことを和海ちゃんは知っていてそれが男の人でさらにその人の結婚式にいこうなんて嫌な気持ちにもなるよ!

 なんで僕はこう人の気持ちに鈍感なんだろう! 自分で自分が嫌になる。

「あのね……紗月くんは、辛くないの? 先生のこと好きだったんでしょう。違う人と結婚するところなんて、見たくないんじゃない? 紗月くんが悲しい思いをするかもしれないなら、心配」

「和海ちゃ……」

「……先生が幸せそうな顔してたら、やっぱり先生のこと好きだなって紗月くんが思っちゃうんじゃないかって、心配」

「……」

 どうしよう、かわいい。ものすごくかわいい。

 最近になって和海ちゃんはようやっと思っていることをするりと話してくれるようになった。反らしがちだった視線もあわせて、ゆっくりとだけど一生懸命話してくれる。

 その一つ一つがいちいちツボで。今だって、僕を気遣ってくれているんだけど、それだけじゃなくてちょっとヤキモチっぽいことも考えちゃったりして、そんなことも隠さず打ち明けてくれるのが嬉しい。

 思わず抱き締めたくなっちゃうんだけど、それはまだできない。


 和海ちゃんの傷は、男の僕が考えていたより遥かに深い。気持ちの面でも怖かった記憶は薄れないみたいだけれど、こと接触に対しては恐怖すら感じてしまうみたいだ。

 そろそろ打ち解けて大丈夫かなって思った何ヵ月か前、キス、しようとして泣かれてしまった。

 その日は和海ちゃんのはたちの誕生日で、僕たちは二人でお祝いをして少しお酒も飲んで、いい気分だった。

 ふらりと立ち寄った公園で、記念日だし、いいきっかけかもと思って、和海ちゃんに顔を寄せた。

 ギクリと固まった和海ちゃんの顔が、みるみる青ざめていったのを、早送りの映像のように見ていた。そして小さく震えたかと思ったら、ポロポロと泣き出してしまったのだ。

 せっかくの誕生日を、最悪の一日にしてしまった。

 和海ちゃんは何回も謝ってくれたけれど、違うんだ。僕が悪いんだ。

 和海ちゃんの怖かった気持ち辛かった気持ちを、理解している振りでちっともわかってなかった。ずっと一緒にいたのにそんなこともわからなかった自分に腹が立った。

 もうずっと一緒にいるって決めたんだから、何にも慌てることなんかない。 

 だから今も

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。すごく嬉しいことだし、僕が好きなのは和海ちゃんだけだから」

 といって笑って見せた。


 四月。

 和海ちゃんはブライダルプランニング会社にドレスのデザイナーとして就職した。最初のうちはもちろん、見習いだから上司のサポートがメインの仕事だけど、ここの会社はちょっと変わっててデザイナーもありとあらゆる雑用をこなさなければならないのだそうだ。

 それは自分の部署の、ということではなく、例えば引き出物の手配とか印刷物の発注とか(これも、自分たちでパソコン仕事ですることも多いらしい)、会場設営とか。

 今時のブラック企業ってやつじゃないかと心配したけれどそういうことではないらしい。大変だけど楽しい、と和海ちゃんの表情は明るいので、今では応援している。


 先生とタカナシさんの結婚式の会場はなんと写真屋さんだった。

 ドアを押して中に入っていくと部屋の奥に階段が見える。

「こんにちは……」

 声が聞こえたのか階段から誰かが降りて来てくれた。それは、シルバーグレイのタキシードに身を包んだタカナシさんだった。

 背が高い彼はフォーマルもよく似合っていて、少し羨ましい。

「あ、紗月くん! 来てくれてありがとうー! ん? そちらが……」

「あ、は、はじめまして。安田和海です。今日はお招きいただきありがとうございます。私、中田くんと……」

「付き合ってる彼女です」

 僕は和海ちゃんの手を握った。そして彼女が言い淀んだ言葉尻をさらって、胸を張って答えた。

 和海ちゃんは少しビクリとしたけれど、軽く僕の手を握り返してくれた。

「そっか……すごく素敵な人だね」

 タカナシさんはものすごく優しい顔で笑って「こっちだよ」と案内してくれた。どうやら二階が会場らしい。


 白いスクリーンが部屋の真ん中、天井から床にかけて流れるように下げてある。もう、他の人も集まっているようでその回りでワイワイと賑やかに談笑していた。

「こっちがうちの家族、あちらが和文さんのご家族。お母さんは今、和文さんを迎えに行ってる。実はね、和文さんは今日のこと、まだ何にも知らないんだ」

「え」

 いたずらっ子のようにタカナシさんが笑う。今日の結婚式は武内先生には内緒で準備されたのだという。きっと今ごろなにも知らない先生は、突然現れた正装したお母さんにタクシーにねじ込まれてあたふたしている頃らしい。

……それは、なんだか面白そう。


 二人のご家族も少しだけ来ているお友だちもみんなにこにこしている。

 たぶん、二人の関係は世間的には変わっている。間違っているという人もいるのかもしれない。だけど、こんなにみんなを笑顔にできることってそうそうない気がする。二人の幸せがみんなの幸せになるなんて、すごく素敵だ。

 僕はずっと和海ちゃんの手を握りながら、この場にいる喜びを噛み締めていた。



「ふわぁぁぁ、お腹も一杯だし、なんか胸も一杯!」

「うん、素敵な式だったね……」

 なにも知らされずにやって来た先生は、集まっていた僕たちを見て唖然としていた。そしてタカナシさんは先生をスクリーンの上に引っ張ってくると、みんなの前でプロポーズをした。

 みんなが固唾を飲んで見守るなか、涙を浮かべた先生はそれを受けた。

 余韻を引きずる暇もなく、先生は控え室に放り込まれあれよあれよと王子さまのようにかっこいいタキシード姿になり、写真を撮り、お色直しまでして……怒濤の結婚式兼写真撮影は、そのまま近所のレストランへと場所を移し、時間の許す限り飲んで食べて、ああ、歌って踊っての人もいたな──宴は夜まで続いた。


「先生とお話しできた?」

「うん。聞けなかったこともあるけど、それはもういいんだ。先生が幸せなら僕も嬉しい」

 僕と話しているとき、先生は少し泣いた。何を思い出したんだろう。ごめん、ごめんねと繰り返す先生をタカナシさんは優しく見つめていた。

 僕の頭の中で、あの夏の悲しい記憶は消えない。

 でもいいんだ。誰かを好きになれば傷ついたり悲しかったりなんて当たり前にあるんだ。本当に誰かを想ったならそれは避けられない。

 間違ってなんていなかった。僕も、きっと先生も。

 だから今日、みんなに祝福されて素晴らしい一日を迎えることができたんだ。

 先生、タカナシさん。おめでとうございます。僕も負けずに幸せになれるように、大事な人と幸せを感じられるようにがんばる。


 僕たちはとっぷり暗くなった町を手を繋いだまま歩いた。もうすぐ和海ちゃんの家につく。

 お父さん心配してるかな? ちょっとお酒も入っているから、家まで送っていきますって連絡はいれたんだけど。

「あの写真館で写真撮ると、幸せになれるって都市伝説があるんだって。さっきレストランで聞いた?」

「面白いよね。いつか僕たちもとってもらおうね」

「……うん」

 あと曲がり角二つで和海ちゃんの家。街灯が少ない通りだから、月明かりで照らされた彼女の顔は時折見えなくなる。

 その宵闇の中でゆっくりとこちらに向き直り、まっすぐ体ごと僕の前に立った。

「和海ちゃん?」

 うつむけたかおをゆっくりあげて、和海ちゃんは僕のスーツの裾を両手で握った。僕たちの距離はものすごく近い。もう、和海ちゃんの吐息も感じられるほどだ。

 たぶん、和海ちゃんの精一杯のアプローチだった。

 僕は震える和海ちゃんの頬に手を添えて、また少しうつむいてしまった彼女の唇に小さなキスをした。

 それは本当に触れただけの、つたないキス。でも僕たちにとっては世界が変わってしまうほどの一瞬で。

 僕たちは思わず、抱き合って泣いてしまった。

 夜はまだちょっと寒さが残る四月。誰も通らない細い道で僕たちはいつまでも腕一杯の幸せを抱き締めあっていた。

 いつまでも、いつまでも。


 心配をして様子を見に来た和海ちゃんのお父さんにどやされるまで、ずっと。




「いつか、王子さまが」は今日で終わりです。どうもありがとうございました。

明日からは武内先生が主役のお話が始まります。

カテゴリーがBLになりますのでお嫌いなかたもいらっしゃるかと思いますが、武内の言い訳を聞いてくださると嬉しいです。


それでは明日からもよろしくお願いします♪

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