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いつか、王子さまが  作者: うえのきくの
5/7


「ああ、彼女、付き合ってたさっきの男が最悪で。どうも妊娠したなんて噂がたっちゃって、かばうどころか彼女置いて逃げちゃったらしくて……。その噂だってどうだかな。そいつがまたなんでか人気のある奴だったらしくて、やっかみもあったんだろうな。彼女、周りからかなり嫌がらせ受けてたみたいなんだ」

「……そう」

「逃げてったもう一人、同中の奴じゃなかった?」

「ん、和海ちゃんに『男ならホモでもよくなったか』なんて言ってた。道場のことがなければ腕くらい、へし折ってやりたかった」

「紗月……」

「どうしよう。僕、和海ちゃんに嫌な思いさせた 」

 大祐は僕の頭にすとんと手を置いて言った。

「ごめんって言っちまえばいいよ。紗月がさんざん悩んでたことなんだから、きっとわかってくれるよ。紗月が誠心誠意伝えてもわかんないヤツなら、お前の方からお断りしてやれよ。みすみす高物件逃す馬鹿なんていないさ」

「ははっ、誰が高物件?」

 大祐は凄く優しい顔で僕を見下ろしていた。

「紗月は、笑ってろよ。大丈夫、みんな上手くいくって」

 大祐にそう言われるとそんな気にもなる。きっと大丈夫だ。


 家に帰ったらいつも通り晩御飯を作る。

 今日はしょうが焼き。早い、美味い、ボリューム有、で男子学生にはうってつけのメニューだろう。

 睦月に宣言してから僕は土日だけ道場に顔を出していた。だからとっさに体が動いたんだな。よかった、和海ちゃんに怪我させなくて。

 睦月が風呂掃除を終えて戻ってきて、一緒にご飯を食べた。

「……さっちゃん、顔。傷がついてるよ」

 睦月が僕の顎のあたりに触れるとビリッと痛みが走った。ああ、あの時すりむいたんだな。

「大丈夫、後で消毒しとくから」

「……さっちゃん、ケンカでもしたの……?」

 睦月は変なとこ鋭くて困る。いつも僕に困った事や悲しい事があったりすると敏感に感じ取って先回りして慰めてくれたりする。

 兄としての威厳なんてないのだ。

 でも、そんな睦月に甘えてしまっている僕もいて、心地よいとさえ思う。

「ケンカじゃなくて一方的に絡まれただけ」

「……さっちゃんに絡むなんて、命知らず」

「人のこと熊みたいな言い方しないでよ……」

「まぁ、熊より強いってことじゃない? 『熊殺しの紗月』って」

……僕が小さい身長を武器にして大きい選手をなぎ倒す様を見て同じ道場の人が面白がって呼んでたあだ名。

 そんなことなかったのに。そりゃ、チョロチョロしてるからやりづらかったとは思うけどさ。熊殺しって……

「とにかく、荒くれものみたいな言い方、止めてよね。あ、ご飯お代わりは?」

 お願いー、と茶碗を出した睦月が僕の手をガシッと掴んだ。

「……ここも傷。なんかあったら言ってよね。さっちゃん、いつも我慢しちゃうんだから」

「……ん、ありがと」

 確かに僕は中3の時イジメられても、決して誰にも手をあげなかった。だって多分僕が本気で仕掛けたらあの子たち、大怪我させちゃうし。

 でも、やっぱり睦月にはわかっちゃってたんだけど。自分が殴り込むなんて物騒なことを言い出すものだから、宥めるのに一苦労だったんだよ……。

 クラスの男の子を好きだと思っていた時、ああ、きっと態度や視線に出ていたんだろうな。めざといクラスメートに気づかれてからかわれた。

───それから僕は一日のほとんどを一人で過ごした。

 時々留衣ちゃんと大祐が話しかけてくれたけど、ふたりにもそれぞれの付き合いがあるし、僕はそれで充分だった。

 ふたりがいたから僕は無事に卒業できたんだ。


 だから卒業式の日、留衣ちゃんが告白してくれたのにはものすごく驚いた。

 彼女は本当に望みのない告白だとわかって言ってくれた。その理由を聞いたとき、恥ずかしそうに笑って

「だって、ずっと友達でいたいじゃん」

と言った。

 あの時の微笑みを僕は忘れられない。笑っているのに泣いてるみたいな、切ない笑顔だった。

 宣言通り、留衣ちゃんはそれからずっと友達でいてくれている。

 中学時代なんて散々だったけど、それと引き換えに世界で一番の友達を僕は得たんだ。



 夜になって和海ちゃんにメールした。何度も何度も書き直してやっと出来た文章。カケラでも和海ちゃんに届くといいのに。


──和海ちゃん。

まずは読んでくれてありがと。

いろいろ内緒にしてたことがあってゴメン。

和海ちゃんにずっと話そうと思ってたんだけど、出来なくて。

これは言い訳だね。

できれば会って話がしたいです。

さっきの子達が言ってたことは、気にはなるけど和海ちゃんが僕に話す必要があると思ったら話して?

僕と今よりもっと仲良くしてくれるのなら。

その時はちゃんと顔見て話したいから連絡ください。


ダメでも、もう会ってくれなくても。

ずっと友達でいさせてくれると嬉しいです。

紗月──


 和海ちゃんからの返事はなかった。



 夏休みに入って僕らは夏期講習に精を出した。一応超進学校なので長期休みでもバイト三昧とか、日焼け三昧とかありえない。

 学校や進学予備校に通いせっせと勉学にいそしんで日々を過ごしていた。

 先生とは5月のあの日以来会ってはいなかったけど、ほぼ毎日メールは来る。

 相変わらず、元気か? 勉強どう? と一言二言だけのメール。

 だけど今日は違った。


『会いたい。今すぐサツキに会いたいよ』


 ディスプレイから先生の苦しい声が聞こえるような気がした。 これはちゃんとしなくちゃいけない。断わらなきゃだめだ。

 会ったら──きっと言えなくなってしまうから、僕は先生の番号を呼び出した。


「武内先生ですか? こんばんは……」

『サツキ!? 嬉しいな、電話くれるなんて。どうしたの?』

「先生、あの……。5年前の告白は、有効じゃありませんでした。お返事遅くなってごめんなさい」

 一瞬、沈黙が落ちる。電話の向こうで先生が言葉を選んでいるのがわかる。きっと僕が傷つかない一言を探している。

『そっか。僕こそごめん。サツキのこと困らせてたんじゃないか?』

「いえ……嬉しかったんです。ちゃんと考えてくれてたんだって、わかったから。でも……僕は他に好きな人がいます」

『ん、わかったよ。だけど、ずっと、サツキの先生でいさせてくれる?』「……っあ、当たり前じゃないですか! ずっと大好きな先生です!」

 先生の声があんまり優しかったから僕は、少しだけ泣いた。

 先生も泣いたかな。僕を思って泣いてくれるかな。

 僕は自分の淡くてかわいい初恋に手を振った。さよなら、それで、ありがとう。ずっと今まで僕を支えていた大切な思い。



 和海ちゃんからメールがきたのは、もうすぐ新学期が始まる8月の終りの事だった。


──紗月くん。

返事遅くなってごめんなさい。

明日、会えますか?──


 会えるよ、返事をしてケータイを閉じた。

 結果がどうあれ、和海ちゃんが会ってくれるのが単純に嬉しかった。これからも、少なくとも友達ではいられる、ってことだから。


 和海ちゃんが指定した時間にはまだあったけど、僕はじっとしていられなくて家を出た。

 今日も気温は高くて、アスファルトからはユラユラと蜃気楼が立ち上る。白い雲が高く形作って、まだ夏は終わらないと威張り散らしているようだ。


 遠くのぼやける景色を見ながら歩いていると、よく知っている人が、ぼんやりと立っていた。

「……せんせ、い?」

 きっとまだ、僕に気づいていないだろう。心は違うところにあるように、今にも消えてしまいそうに、そこに立っていた。

 ここは……僕らの卒業した小学校。

 そのフェンスを緩く掴み、武内先生はただ、立っていた。

 懐かしい校舎も、ボールを追い掛けた校庭も何かも。先生の目には映っていないかのようで。


「先生……」

「……サツキ……?」

 それでも先生は、僕が憧れてやまなかった頃と同じ笑顔で微笑んだんだ。

──蜃気楼かと思った。

 先生の体がゆらりと歪んで、ゆっくり傾いていった。僕は慌てて駆け寄って体を支えた。

……熱い。

 白い顔から想像できない程その体は熱をおびていた。汗はかいていない……これって、熱射病……!


「先生! いつから? いつからここにいたの?!」 

「……昼前から、かな」

 もう、3時になるところじゃないか! 先生……っ。

「今、救急車呼びますから!」

「ん……いらない。このまま帰る、帰りたい」


 先生が余りに救急車を嫌がるので仕方なし先生を担いで案内された近くのマンションに来た。

 鍵を開け先生を中に運ぶ。ソファに下ろすと取りあえず衣服をゆるめ、水を用意した。


「先生、水、飲める?」

 コップから少し水を飲んだ先生はフゥッと息を吐き瞬間、顔色が少しよくなった。ああ、良かった。

 落ち着いたところで窓を開けて涼しい空気を入れようと立ち上がった僕の、手首がグイと掴まれた。

「先、生……?」

「い……行かないで、サツキ。他の人の所になんて、行かないで!」

 その手首は先生の方へ引き寄せられそのままソファに押し付けられた。上も下も分からない一瞬。

 僕は先生に組み敷かれていた。

「……え?」

「他の誰かの物になんて、ならないで……。好きだったんだ……ずっと」


 僕は、僕の頭は真っ白で。

 正常に考えることができたのなら、今の先生を投げ飛ばすことなんて容易いことなんだろうけど。

 武内先生の震える腕は唇は。そうか、切ない思いをしていたのは、僕だけじゃなかったのか。

 先生も子供だった僕を相手にどうにもならない思いをまた、抱えていたのか。

 先生の顔が近づいてきて、怖くなった。先生が僕をどうしようとしているのかがはっきりわかって背筋が寒くなる。

「せ、先生。やだ……」

 力の入らない腕で精一杯先生の肩を押し返して拒絶の意思を表す。

 先生だってきっとわかる。僕はずっと先生のことを好きでいたいんだ。だからこんなこと……


 無表情の先生は僕の声が聞こえていたのか、腰にまたがったまま両手首をつかんで頭の上で固定してしまった。

 本気だ。先生は本気で僕に暴行しようとしている。それは、なんとしてもさせていけない。きっと、ものすごく後悔する。優しくて一生懸命で、熱心な先生だもん。我に返ったときに、きっと死ぬほど後悔する。

 僕だって無理矢理どうこうされるのも嫌だけど、それ以上に必要ないことで先生に悩んでほしくない。僕たちが一緒に遊んだり勉強した日のことを悲しい思い出にしてほしくない。

 僕は体をよじって抵抗した。やろうと思えば先生くらいの体格の男のひとをひっくり返して拘束することは容易い。でも、この安定の悪いところでは怪我をさせてしまうかもしれない。

「サツキ……」

 痛いような声で先生が僕を呼ぶ。振り落とすかどうかを迷っていたら、僕の唇に先生のそれが触れた。さっき水を飲んで湿った冷たい唇。


 頭がしん、と白くなる。壁にかかった時計が目に入った。和海ちゃんとの約束の時間は過ぎている。

 気づいているだろうか。先生は泣いていた。どうしてそんなに悲しいんだろう。何がそんなに先生を悲しませているのだろう。目的が果たせたから幸せになれるって訳でもないことを知っているのにどうして。


──和海ちゃんごめんね。僕が和海ちゃんの王子さまになってあげたかったのに、なれそうにないや。

 武内先生は僕に『好き』の気持ちを教えてくれたんだ。とっても大事な人なんだよ。

 だからこんな先生をほっておけない。

 ごめん、ごめんね和海ちゃん。

 僕は王子さまには、なれなかったよ。


 先生は肩にあった手をゆっくり外して、僕が逃げないと確信したのか、少し安心したような顔になる。

 少し強めに顎を引き、僕の口を無理矢理開かせた。

 ぬるりとした先生の舌が、僕の口内に入り込み、良いようにかき混ぜていく。

 それを僕は僕のことじゃないみたいに受け入れていた。

 くちびるは僕を覆い、食み、撫でてはまたはいりこんでくる。

 僕は逃げたりしないのに。

 だからそんなに、追い詰められたような顔、しないでいいよって言いたいけど。


「……っはぁ」

 どの位そうしていたのか。僕は朦朧とした意識を先生を見つめることでなんとか立て直していた。先生もぼんやりと、でも乾いた涙の向こうで幸せそうな顔をする。本当にいとおしいもののように僕の頬を撫でた。

 そして、覆い被さるように抱きしめると言ったんだ。


「……やっと手に入れた。アツキ……」



「先生……僕は、紗月、だよ……?」


──先生は、もしかしたら最初から僕を見てはいなかったのかもしれない。少なくとも、今、先生の前にいるのは僕じゃない。

 涙が出そうになったけど必死に堪える。

 震える手に足に入れられるだけの力を入れ先生を突き飛ばした。そして夢中で振り払い、マンションを飛び出した。


 少し涼しい風が吹いていた気もするけれど。家までの道を、僕はとにかく走った。何もわからなくなるまで、走った。


 出会いの瞬間の驚いた顔は、僕が誰かと似ていたから? 優しい笑顔も、切ないキスも。思い出せる限りのあれもこれも、僕に向けられたものじゃなかったなんて、とても、考えられなかったから。




明日もこの時間にお邪魔します♪

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