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遊園地の日から和海ちゃんと時々遊ぶようになった。
相変わらず彼女は僕の目を見て話さない。。いつもうつ向くか、明後日の方向を見ている。
そんな彼女が時々、チラッとこっちを見て微笑むことがある。そういう時の和海ちゃんはすごくかわいい。
夜メールが来て『留衣に借りた怖いDVDのせいで眠れません』なんて書いてあれば、飛んでいってあげたくなり。
新製品のチョコレートが食べたいんだけどダイエット中なんだ、なんて言われれば、どこが太ってんの? ちょースタイル良いのに! などとセクハラギリギリの発言をしたくなり。
映画の同じ所で感激して、でも泣くのを必死で我慢してふるふるしている横顔を見ると肩を抱いてあげたくなり。
みんなは気づいてないかもだけど、すごく寂しそうな顔をするときがあったり。僕はその意味を知ることが出来ないことが辛い、って感じたとき。
──和海ちゃんの存在は僕の中で大きくなっているんだなって知る。
自分の中に起こった変化に心がついていけず弱り果てていた。頭を空っぽにしたくて、その日の放課後本屋に立ち寄った。とりあえず、今あるものを新しいもので追い出そう、とか考えたんだ。
だいぶ陽が長くなった夕方の街は慌ただしく、帰りを急ぐ人たちが泳いでいく。適当に買った本や雑誌を抱えて僕も帰り道を歩く。
手当たり次第に買ってしまった……重いぞ。
落ちていく夕日は、僕の気持ちと関係なしに綺麗で、青と赤と紫の空がじんわりとにじんでいく。
思わず息を止めて空に見入ってしまう。
立ち止まった僕を、背の高い男の人が追い越して行った。彼が突然走りだし、少し長い髪を揺らして大きく手を振った。
「和文さん!」
見なければいいのに、手の振られた方へ視線をやってしまった。
──武内先生がいた。
背の高い彼が、子犬の様に駆けて先生に飛び付く様に寄っていく。そしてその腕にしがみついたかと思ったら先生は顔をしかめそれを振り払った。
それでも彼はへこたれることなく、先生の回りをくるくる廻る。
先生は少し困った顔をしながら、でも。
一瞬、どきりとするほど優しい顔をして彼の事を見て。そして並んで歩いて行った。
滲む空に、それが混ざって。くるくる混ざって消えていった。
僕は一人で、ずっと一人で空を見ていた。
今日買った本は先生から貰った本を押し潰していた。それでいいと思った。
片づけて、風呂に入って、明日の準備をして、部屋に戻る。
あの時の先生の顔が浮かんでくる。優しそうな、僕だって見たことのない顔。
そりゃそうだ。僕は、先生の事を何も知らない。学校で見ていただけの先生だ。
『和文さん』であるところの彼を、子犬のような男の人がジャレつくところの彼を、僕は知らない。
そうか、あれは。憧れだったのか、と気づく。
そうだと十分理解したのににも拘らず「5年前の告白」について問いかけた先生の真剣な表情を思い出すと胸が詰まる。一瞬、先生と恋人になれる自分を想像した僕に喉の奥が熱くなる。
否定したくない。
あの想いを勘違いのように片づけたくない。
……こんな夜は寝てしまおう。明日も学校だ。また朝から小旅行をしなくてはいけないし、大祐の冗談の相手もしなくちゃいけない。
眠れるかなんて、わからないけど。
やっぱり夕べはよく眠れなくて、それでも僕は6時20分の電車の乗客となる。
「おはよーす……なに紗月、すげークマ」
「んー、おはよ大祐。寝不足」
「おおおお、青春だねー」
「そんなんじゃ…ないけど…」
電車は今日も混んでいて、それでも寄りかかれる場所を探して進んだ。
「おい」
大祐がぐいっと腕を引く。
「お…っと」
反動でその胸に飛び込んでしまった。
「……」
「なんだよ」
「いや、お前、ちっちぇーな」
「ウルサイ」
電車は走る。窓の景色は後ろへと飛んでいく。僕は眠気も手伝ってそのまま大祐に寄りかかっていた。
「なんかあったのか」
「……うん」
「話せよ」
「……学校、行ってから聞いて」
大祐の側は安心する。どんな僕でも友達だと言ってくれる。
でも、大祐。本当にそれでいいの? 僕は大祐に甘えてばかりでいいのかな。
電車は走る。弱虫な僕を乗せて。
お弁当をつっつきながら、大祐は笑っていた。大祐が笑ってくれると、なんだか大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
人もまばらな昼休みの中庭は僕と大祐定番のランチスポット。
僕がここのところ考えていたこと──和海ちゃんのこと、武内先生のこと、自分の気持ちさえわからない駄目な僕のことを大祐に話したら笑われた。
「本人にしたらすごい悩みだと思うけどな。いいか、良く聞け。お前、俺や留衣の彼氏とどーこーなりたいと思うか?」
………え。
「ごめん、考えた事ない」
「……きっぱり言われると傷つくけどな。まあいい。そんで、留衣の事は振ったよな」
「うん……」
「てことはな、紗月。お前はちゃんと考えて選んでるんだ。その人の中身をちゃんと見て選んでんだよ。男とか女とかじゃなくて、ちゃんとそいつがどんな人間か見て、お前自身が選んでんだ。自信持て、自分のこと駄目な奴なんて言うな。お前は一生懸命だし、誠実ないいヤツだよ。………泣くな、バカ」
大祐に認めてもらえて、この上なく嬉しくて安心して、気がついたら泣いてた。今日は母さん自慢の肉だんこ弁当だったんだけど、このままだと大祐の胃袋に消えそうだ。
でもいいや。それでいい。
僕は優しい陽射しのなか、涙が止まるまで泣いていたんだ。
──僕は、和海ちゃんが、好きなんだ。
和海ちゃんが元彼なのか片思いだったのか、男のことで傷ついているのは、僕にも分かった。だからあまり踏み込まないようにずうずうしくないように接していた。
僕のそんな下心を知ってか知らずか、和海ちゃんは少しずつ打ち解けてくれて色んなことを話してくれるようになった。
おっかないお父さんの事。
中学の時はバスケ部で今は帰宅部な事。
好きな音楽はJPOPで、好きなアーティストはWAVERSっていうバンドな事。
将来は専門学校に進んで、アパレル関係の職に就きたい事。
僕は和海ちゃんの事を一つ知るたびに好きになって、気持ちが溢れないように精一杯頑張っていた。
まだ、だめな気がするから。
まだまだ、和海ちゃんの中に踏み込んではだめな気がするから。
そんな風に、ゆっくり彼女との距離を縮めていこうと考えてたある日。
予想外な事が起った。
期末テストが終わって、あとは夏休みを待つばかりの僕らの学校。夏期講習の申し込みや、数限りなくある模試の受付など滞りなく済ませた僕と大祐は、ファミレスに寄って行こうかと地元駅の前をフラフラしていた。
「あ、俺ちょっと郵便局よってくる。金下ろしてこないと、財布に入ってなかった!」
「そんなの貸すのに。」
「忘れちまうからいいよ。紗月、先行ってて!」
大祐が走り出してしまったので仕方なく先に目指すファミレスに歩き出した。
細い路地に差しかかったとき、言い争うような声が聞こえた。ケンカかな? 僕は何気なく声の方に目をやった。
絡んでいるのは男2人。他校だけど高校生に見える。絡まれているのは……和海ちゃん!?
僕は考える間もなく、駆け出した。
その間も男二人の叫び声は止まらない。
「……お前のせいで……おれは……」
「……よく恥ずかしくなく……学校なんて……」
よく聞こえないけど、そんなことはどうでもいい。
和海ちゃんと彼らの間に飛び込んで、僕より背の高い男二人を睨みつけた。
「どういう理由だか知りませんが、男二人で女の子に言いたい放題なんてどうかと思いますけど」
もう大丈夫、後ろ手にそっと触れた和海ちゃんの手はありえないほど冷たく震えていた。
頭に血が昇った。だけど努めて冷静に治めようと静かな声を出す。
「なんだよ、チビ。俺はこの女に酷い目にあわされたから、文句言ってんですけど。ひっこんでてくれない?」
「だって彼女、怖がってるよ。あんたたちがそんな言い方するから。行こう、和海ちゃん」
「……なんだ、チビ。和海の知り合いか? お前も気をつけろよー、人生メチャクチャにされっぞ」
僕は和海ちゃんを背中に隠したまま、大通りに出ようと足を進めた。すると男のひとりが僕の手を捻り上げ、
「おい、女置いてけよ。まだ話終わってないんだよ」
「…っつうー」
掴まれた腕が少し痛くて、つい。僕を掴んだ腕を、そのまま捻って体ごと地面に押し付けた。
「いっ……!?」
男が顔を歪めたのを見て、和海ちゃんに
「逃げて!」
と声を掛けた。
だけど和海ちゃんの足はすくんでしまったようで動かない。僕もこれ以上の攻撃はできない。怪我なんてさせたら道場に迷惑がかかる。もう一度「逃げて!」と張り上げる。
その時、僕が下敷きにしていた男が叫んだ。
「そいつが! 俺がそいつを孕ませたなんて言いやがるから……っ。俺がどんなに迷惑してっかわかってんのかよ! 誰とでもヤるくせに! なんで俺なんだよ!」
……はぁ? 和海ちゃん、が?
呆気に取られた次の瞬間、もう一人の男が僕の襟首を後ろに引いた。苦しさに思わず、下の男から手を放すと力任せにひっくり返された。
そして僕の顔をじっと見るとニヤリと笑った。
「お前、中田か。中田紗月だろ? あの……ホモ野郎の」
ああ、彼は。僕が二度と会いたくなかった中学の同級生か。
「中田さぁ、その子、女だぜ。妊娠できるもんね? 間違えちゃったー? それとも、どっちでもいける人に進化しちゃったのー?」
……ヤバい。和海ちゃんの顔、見れない。
「うっ……」
ちょっと油断したすきに、男の強烈な一発が腹に入った。とりあえず、助けを呼ばないと……
「……だ、誰かー!助けてー!!殺されるーーー!!」
声を上げるとか、考えてないんだろうか、この馬鹿共は。急に上がった大声に路地ぞいの店の人が飛び出して来た。男たちは慌てて大通りに向かって逃げ出した。
その時和海ちゃんに向かって
「お前、男ならホモでもよくなったのか? 最低な!」
と汚い言葉を投げつけていった。
「っつう……」
殴られたお腹を擦っていたら、飛び出してきてくれた男の人が駆け寄ってきた。
その人がコックさんみたいな白い上着を着ていたのが見えて、差し出してくれた手を遮った。
「あ、僕は大丈夫です。汚れちゃうから触らないでください。それより彼女、休ませてあげてください。和海ちゃん、誰かに連絡して迎えにきてもらいなね。一人で帰っちゃだめだよ?」
「きみは大丈夫なの? 怪我は?」
「はい大丈夫です、ありがとうございます。彼女をよろしくお願いします」
そこへ大祐が僕を探しに来てくれたようで走ってきた。
「紗月、お前なにやってんの!?」
「はは、ドジった。……じゃあね、和海ちゃん。送って行けなくて、ごめん」
和海ちゃんを見れないまま、大祐の肩を借りて家に向かって歩き出した。
知られてしまった。僕のことを。
知ってしまった、和海ちゃんのことを。
きっと
僕がそうだったように、和海ちゃんだって自分の口で話したかったんじゃないかな。和海ちゃんの話は僕とは関係ない話だけど、僕のことは彼女を傷つけたろうな。
ごめんね、和海ちゃん。もっと早く、打ち明ければ良かった。
「なぁ、紗月。さっきの彼女がもしかして『和海ちゃん』?」
「……うん?」
「あー、いや。彼女、中3の時同じ塾にいたから。俺とすれ違ったのアレだろ、元カレ。もめてたのか?」
「元カレ……そっか。男二人で彼女にからんでた」
「ひでえな。いろいろウワサ、あったからな」
「噂……」
明日もよろしくお願いします!