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僕らが頼んだ冷製パスタはソースのかわりにゆるいコンソメのジュレがのっていてパスタと絡めて食べると超おいしい!
「今度家でもやってみよっと」
「紗月くんは、お料理するの?」
びっくりな顔で安田さんがいうから、僕は恥ずかしくて強く否定した。
「そんなにしないよ。うち両親が共稼ぎだから、母親が夜遅い時とかだけ。弟も中学生でお腹すいて待ちきれないことあるし」
「すごいね」
「あー、そういや中学の時お菓子とか作ってこなかった? おいしかったよね」
「……お菓子はもうやめた。計量とか、面倒だし」
……本当は、あの頃クラスに好きな子がいて、なにげにアピールしたくてお菓子作って持っていってたんだ。最初は結構、女子も男子も喜んでくれたんだけど、何となく聞いた好きな子の好みのお菓子を積極的に作るようになったら、感のいい子にはバレちゃったみたいで。
陰で『キモい』とか『オカマ』とか言われてた。
多分留衣ちゃんは知らない。あの頃そんなことが原因で、僕が一部の男子からいじめられていたこと。
「紗月くんは、用事とかなかったの?」
安田さんは僕にも気を使ってくれて優しいな。でも僕は今日は一人になりたくなかっただけだから。
「うん、今日は荷物持ちだけ。暇だったから遊んでもらおうと思って」
だって今日は僕の誕生日なんだ。18歳の誕生日。
本当はさ、もう王子さまが迎えに来てくれる予定だったんだよ。それで、そんな凄い所じゃなくていい、綺麗な景色の公園とか、まだ季節には早い海とかに連れだしてくれて、2人でお祝いするなんてことをこっそり願っていた。でも今日の僕は、結局ひとり。
去年も、その前も。
時々、僕は一生ひとりで生きていくんじゃないかって思うんだ。
ゲイの人達が出会いを求める場所があるっていうのも話には聞いたことがあるけど、ほんとの恋はそんな所では生まれないんじゃあないかなって。
時々考える。誰も僕を好きになってくれなくて、誰にも必要とされなくて、回りの友達が結婚して家族になっていくのを一人で横目で見ながら生きていく自分。
辛いことがあっても抱き締めてくれる腕はなく、一人で立ち続ける自分。
それで、一人で死んでいく自分。
家族はいる。両親や弟は何があっても僕の家族だ。友達だってきっといるだろう。留衣ちゃんも友治くんも、きっとずっと仲良くしてくれる。
でも、それとは別に強烈な孤独感を感じるときがある。誰にも恋愛の意味で必要とされていない。誰にも欲しがられない。同じ方向を見て生きる人がいない。それはすごく寂しい。
普通に、男の子と女の子が出会うように知り合って恋したいって願う僕は、贅沢なのかな?
特別な事なんて何もいらない。ただ僕が好きで、僕を好きでいてくれる。そんな人と巡り会うこと
それは叶うことのない奇跡の様に、最近では思っている。
それから僕たちは雑貨を売ってるお店を見たり、CDショップに寄ったりした。あ、もちろん増えてく荷物はみんな僕の肩にかかってるんだけどね。
「……紗月くん、大丈夫?」
「和海、大丈夫よ。そいつ見掛けによらずしっかりしてんだから。ね、中学まで武道やってたんだもんね?」
「え、そうなの」
「結構カッコ良かったんだけどね、勿体無い」
「いいんだ、もう。僕には必要ないから」
その辺は話すと複雑なんだよ留衣ちゃん。
僕んちは合気道の道場をやってて、父さんと母さんが二人で師匠なんだ。僕と弟も子供の頃から稽古をつけられてて、二人とも帯は黒。
だけど僕が中学の時家族にカミングアウトしてから、後継は弟にってことになって、僕は稽古を辞めた。
もちろん続けていたってよかったんだけど、それより新しい夢に向かって次の努力をしようって決めたのはこの頃だ。
両親はがっかりしたけど、それでも母さんは僕に言ったんだ。
「世の中には『そういうふうに決められたこと』がたくさんあるの。
お母さんが家の事にかかりきりになれないこともそう。紗月が行き たくなくても中学校には必ず通わなきゃいけないのもそう。努力してもどうにもならないことも一杯あるわ──紗月が男の子を好きなこともきっとそう。無理矢理女の子と結婚させたって誰も幸せになんてなれない。紗月も、相手の人も、お互いの家族もみんな不幸になる。
相手が誰でもあっても人を好きになることは幸せで尊いことだから、紗月はそのままでいきなさい。道場のことは大丈夫。後悔しないように生きていきなさい」
悲しかったと思うんだ。いくら弟がいたって息子が普通じゃないなんていうのは。
それでも、僕を認めてくれた事。僕は絶対忘れないし、必ず幸せになるって決めたんだ。
帰りがけに安田さんが僕のアドレスを聞いてくれた。メールするねって約束して僕たちは別れた。
……僕は、何となく帰りたくなかった。帰っても今日は一人だし、それでもどこにも行くところなんてない。あー、ケーキでも買って帰ろうかなー……とか思っていた僕に、運命の出会いが訪れた──
僕がすむ町で一番美味しいと思うケーキは、時々行くカフェのそれで、テイクアウトしていこうとその店にやって来た。
「あれ、長沢くん……長沢紗月くんじゃない?」
中に入ろうと店のドアに手をかけたまま振り返るとそこには30代位の男の人が立っていた。
薄手のニットに濃い色のデニム。服装こそ見慣れないけれど、僕はこの人を知っている。その人が僕の名前を読んでくれて、胸が絞られるように苦しくなった。
「……武内先生?」
「久しぶりだね、元気そうだ」
それは僕の小学校の時の担任、武内和文先生──僕の初恋の人、だった。
先生はあの頃と全然変わらない笑顔で僕を見下ろした。僕だって身長伸びてるはずなのになぁ。
それにしても相変わらず優しそうで、キリリとしていて、それなのにどこか寂しそうな先生の笑顔。
──初めて見たとき、一発で惹かれたんだ。僕と教室で目を見交わしたときの驚きを含んで、射るような包み込むような視線。僕たちは他の生徒もいる部屋で、お互いだけを見つめていた。
あれが、どういう意味だったのかは最後まで、今でもわからないのだけれど。
卒業式の日、僕は先生を学校の裏手の小山に呼び出して告白した。頭がおかしいと思われるかもしれない。気持ちが悪いと言われるかもしれない。でもそんなことはどうでもよかった。
ただ、自分の中に生まれた小さくて曖昧な気持ちに意味をつけたかったんだ。先生がそれをどう思うかは先生の問題で、僕は今、自分が抱えている想いに答えを出さなくちゃ壊れてしまいそうだったんだ。
爆発しそうな心を抱えて「好きです」と言った僕に先生は笑って、ありがとう、嬉しかった、と答えた。それだけだった。
例えば『もう少し大人になったら』とか『高校生になったら』とか言われていたら、僕は忠犬のように先生の「よし」という合図を待っただろう。
そういう約束のないありがとうは、ごめんねと同じ意味だってその時の僕にもわかった。先生は僕を傷つけないで諦めさせる一番優しい方法を使ってくれたんだ。それが、今ならわかる。
その日から、先生には会っていなかった。
「……もしかして、デートだった?」
「違います! ここのケーキ買って帰ろうと思ってきたら、先生に会って……」
「ケーキ?」
先生は僕の顔をじっと見て何かを思い出したようだった。
「あ、そうだ。5月5日の子供の日。サツキの誕生日だ!」
──え、そんなこと覚えててくれたの?
「ほら、あの頃毎月誕生日会してたよね? 僕が4月でサツキが5月で。サツキは必ず祝日だから誰にも当日祝ってもらえないって拗ねてて!」
「す、拗ねてなんかないですっ」
先生が楽しそうに笑うから僕も笑って、でもやっぱり拗ねたふりをして。
そうしたら先生が言ったんだ。
「ね、じゃあ、一緒にここで誕生日会しようよ。時間大丈夫?」
僕は驚いて先生の顔を見る。
「先生こそ用事があるんじゃないですか?」
「ん? 今はサツキの誕生日が最優先。」
ふわりと溶けそうな笑顔になったから。僕はあの頃の気持ちをすっかり思い出しちゃったんだ。
──あの頃。僕は友達に『どの女子が好き?』って聞かれてもわからなくって、みんなの話にはいっていけなかったんだ。
もう、付き合ってる子とかもいて、みんなが皆浮足立っていたのかな。
僕はまだ秘密基地や夜の星、夏は虫取り学校ではドッチボールに命を掛けてるようなお子様でなんとなく皆と距離を感じてた。
そこへ新学期、颯爽と現れたのが先生で。勘違いかもしれないけど教室に入って来るなり僕を見たんだ。それで固まった僕も先生を見つめた。
その瞳の色や何か言いたげな口元、嬉しそうでそれでいて何か悲しそうなそんな様子から目が離せなくなった。
その時、気が付いたんだ。僕は先生にひとめぼれをしてしまったんだと。
そしてそれは誰にも言ってはいけないことなんだと。
──あの頃。お日様と星空と、汚れたスニーカーしか知らなかった僕は、先生に恋をして一気に知らない世界に飛び込んだ。もう、戻れなくなったんだ。
「へぇ、感じのいい店だね。こんなとこ知ってるなんてサツキも大人だな」
いつの間にあの頃と同じ呼び方の先生がくすぐったい。今は生徒を下の名前で呼んだりしないから僕の学校もみんな名字で呼びあっている。大人の人に名前で呼ばれるなんて親以外久しぶり。
「結構落ち着きますよね? 僕は母に連れてこられてから時々来るんです」
僕はカフェオレと大好きなバナナのタルトを頼んだ。先生も同じケーキとコーヒーを頼んでいた。カフェオレはメニューにのっていないんだけど、一度お願いしたらつくってもらえて、それからここでの僕の定番。
「高校はどう。部活とかやってるの?」
「部活は天文部です。たいした活動していないんですけど。月1でプラネタリウムに行く位で」
去年まで片思いをしていた先輩がいて、彼が天文部だったから釣られて入ったようなものだった。
元々星を見るのは好きで、部活も楽しかったけれど、でもやっぱり今年はやる気がおこらない。
「へぇ。そういえば、小学生の時も裏山で天体ショーを見る会とかしたもんな。懐かしいな」
先生は色々あの頃の話をするけれど、僕が先生に振られている事なんて忘れちゃってるのかな。だいたい、無神経だと思うんだよね。
あんな笑顔で『ありがとう』なんて言ったくせに。
頼んだコーヒーやケーキが運ばれてきて僕たちは少し黙った。
先生が不意に「お誕生日おめでとう、サツキ」なんて、優しい顔で言うもんだから、さっきまでイライラしていた気持ちが少し晴れた。我ながら現金だ。
先生はカバンを開いて何やら探し当てると、それを僕に差し出す。
「まさか会うなんて思わなかったから、なにも用意してなかったんだけど、お誕生日おめでとう」
僕は両手を出してそれを大事に受け取った。
世界一有名な王子さまのお話。僕が、ずっと待っていた王子さまとは違う。
前に読んだことがあったと思うけど、内容はうろ覚えだ。
「これをっていうより、これを読む時間をプレゼント。もう読んだことあるかもしれないけど大人になってからだとまた違う風に感じるよ?」
広げてみると文庫は読み込んであるようで、しおりがはさんであったり、ページの端が折り曲げてあったりした。
「気に入ってずっと持ち歩いてたから、あんまりきれいじゃなくて申し訳ないんだけど……サツキも好きだといいな」
先生はふんわり笑ってコーヒーを飲んだ。
「ありがとうございます……大事にします」
僕も笑ってカフェオレを一口飲んだ。それはいつもよりずっと甘い気がした。
しばらくそこで先生と話して遅くなったので解散することにした。店を出る前にアドレスを交換した。そんなものを使う日が来るかはわからなかったけど。
揃ってカフェを出て別れる時、先生が僕を見つめて言った。
「サツキ。あの時の告白、まだ有効だろうか」
その後、僕はどうやって家に帰り着いたか覚えていない。
ただ、わかったのは5年前の僕の告白は憧れとか勘違いと誤解されていなかったこと。それらは正しく先生に伝わっていて、今、先生がその時の僕の気持ちに応えようとしてくれている、ということ。
そして僕は全く何も考えられないということ。
──机に置いた文庫本はきっと当分開くことはないだろう、ということ。
今日もありがとうございました。
明日もこの時間にお目にかかります。