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23stein: ハイファ・アル=マンスール『メアリーの総て』(映画)

今回紹介するのは、『フランケンシュタイン』執筆におけるメアリーの半生を描いた、ハイファ・アル=マンスール監督『メアリーの総て』です。




1.怪物の描写のカット


『フランケンシュタイン』の執筆過程を中心にしたメアリーの伝記でありながら、この映画にはほとんど”怪物”が登場しません。

有名なカーロフのイメージの”怪物”はもとより、死体が電気によってピクッとする描写が一瞬映る程度です。


怪物好きな私としては個人的に物足りませんが、あえて怪物を出さない事で、リアリティのあるメアリーの伝記としての側面を強調している点は評価できます。


また、映画の中でも言っているように、怪物がメアリー自身という解釈が中心になっている事も大きいでしょう。

この解釈自体は一つの案として妥当なものですが、その側面だけになってしまったのが残念です。

ヴィクターと怪物の善とも悪ともいえない描写が原作の特徴であるのに、単純化しすぎてしまったのかもしれません。




2.科学的描写の不足


原作及び執筆中の時代には存在しないScientist(科学者)の語を使ってしまったり、『フランケンシュタイン』のヴィクターの事をドクターと読んだりと、科学的描写の細かい間違いが気になってしまいました。ヴィクターと言っても原作未読の人には誰かわからないので、博士と訳してしまうのは仕方ないのかもしれませんが。Creatorとも言ってるので、こちらに合わせても良かったのではないでしょうか。


パーシーの実験シーンがあった点はよかったのですが、錬金術的イメージが強く、電気の実験もしてたようなのでそちらも扱って欲しかったです。

見世物としての電気の描写があるのであれば、実際にメアリーが学んでいた化学者ハンフリー・デービーの『化学哲学入門』に言及してもよかった気がします。実際、当時王立研究所で行っていたデービーの講義も、メアリーにインスピレーションを与えた可能性が指摘されています。




3.カットされた伝記過程


フランケンシュタイン出版以降があまり波乱万丈ではなく飛ばされて後日談になってしまうのはまだわかるのですが、それ以外の部分もカットされているのは伝記映画としては少し問題があるように感じました。


1814年、パーシー、クレアと共にメアリーが駆け落ちした際に、ずっとイギリスに留まっていたわけではなく、ヨーロッパ大陸を旅しており、後にパーシーと共著で『6週間の旅の記録』を出版しています。旅行中にドイツ辺りも滞在しており、『フランケンシュタイン』の舞台となったインゴルシュタットや、名前の由来かもしれないフランケンシュタイン城(実際にメアリーは訪れていないので真偽はわかりませんが)なども近くにありました。更には、ヴィクターと怪物が会話を交わすモンブランなどの山々の描写もこの旅に影響を受けています。


この重要な旅行の部分がカットされているのは、ロケ代の関係かもしれません。ただ、カットするにしても映画ではシームレスな感じで進むので誤解を招きかねません。せめて年号と場所を入れてくれればもう少し分かりやすくなったでしょう。



4.消えた脇役達


メアリーにとって重要な影響を与えた脇役たちの何人かが消えてしまったのは残念です。


消えた脇役の一人は、メアリ・ウルストンクラフトの連れ子で、メアリーの異父姉に当たるファニー・イムレイです。

1814年、メアリーは、クレアは置いていけないのに、姉ファニーは置いて行き、パーシーと駆け落ちして、映画ではカットされている6週間の旅路に出かけています。

一人残されたファニーは義父母に厳しく当たられて精神的に病んでしまい、1816年10月には自殺してしまいます。自殺した彼女の傍らにはジュネーヴでメアリーが買ってプレゼントした時計がおかれていました。

自殺というテーマは、『ウェルテル』を通して、怪物にも引き継がれています。血縁関係の薄い家族の中で孤立している点と言い、ある意味で彼女も怪物のモデルの一人だったといえるでしょう。

1816年12月のパーシーの前妻ハリエットの死だけでなく、彼女の死も大きく影響を与えているでしょう。

それを完全にカットしてしまったのは残念です。



もう一人の消えた人物は、1816年1月に生まれて、1819年6月に亡くなった長男ウィリアムです。

長女クレアラの誕生と死は扱っているのに、長男ウィリアムは登場しません。

ウィリアムという名は長男にふさわしく父ウィリアム・ゴドウィンからとられており、更には『フランケンシュタイン』作中では、ヴィクターの末弟で、怪物の最初の犠牲者でもあります。

更に、怪物の知識獲得の描写は当時幼児であったウィリアムの影響もみられるかもしれません。

自分の子供と同じ名前の幼児を怪物に殺させるという予言となってしまった奇怪な発想にどうして至ったのか?

この話題だけでもかなり膨らませられると思うのですが、映画では一切触れられていません。

早くに亡くなった娘も重要ですが、ウィリアムよりは作中にわかる形で影響を及ぼしてはいません。


また、作中ではウィリアム・フランケンシュタインの”妻”候補の少女Louisa Bironが登場しますが、Bironのつづりは明らかにByron(バイロン)を意識したものです。

しかし、邦訳ではなぜか各出版社がそろってビローンとフランス語読みで訳し、バイロンとの関係に言及していません。

彼女は、1817年生まれのクレアの子アレグラか、1815年生まれのバイロンの娘エイダがモデルかもしれません。




5.男性詩人の魅力不足


有名な詩人である夫パーシー・ビッシュ・シェリーとバイロンが登場しますが、詩人として持ち上げられてる事へのアンチテーゼなのか、少し否定的な描写が多いです。

現代どころか当時から問題のある人達ですが、本当にメアリーが嫌っていたのなら、パーシーの死後再婚せずにパーシーの詩集を出版したり、半伝記的な"The Last Man"にてパーシーやバイロンをモデルにした人物を英雄的に描くこともしないでしょう。


夫パーシーの方は、先妻ハリエット絡みなど問題のある部分が強調されつつも、最後にはメアリーを尊重するなど救いがある描き方です。

余談ですが、メアリーがパーシーのクイーンマッブを読んでいるシーンが、それを捧げてるのは先妻ハリエットで、妖精クイーンマッブが語りかける女性の名前はパーシーとハリエットの娘アイアンシーと同じですが、パーシーが結婚してることに気付かなかったのでしょうか。

メアリー関係だけでなく、イギリス人でありながらアイルランド人に同情的であったり、ピータールーの虐殺を政府に批判的な詩を書いたりと、弱者への優しさがある点はもう少し描写しても良かったと思います。(空回り気味ですが…)

先妻ハリエットと結婚した経緯も、その辺りが関係しています。また、ハリエットとの子供も見捨てたわけではなく、彼の当時は反社会的な思想から、子供の親権をハリエットの親に奪われたりなど複雑な経緯があります。



一方で、バイロンの方は悪い面のみが取り上げられ最後まで良い所は見られずに終わってしまいました。

確かにクレアに対する対応は悪いものですが、断ったのは、”平行四辺形の女王”妻アナベラ・ミルバンクと別居中などの理由もあったことでしょう。余談ですが、バイロンとアナベラの娘がプログラマーとして有名なエイダです。)

しかしながら、ギリシャ独立戦争に義勇軍として参加した最期はもちろんのこと、ラダイト擁護の演説をしたり、動物を可愛がってたり、財政的に困ってたコールリッジを助けたり、スキャンダルはありつつも、 貴族的なノブレス・オブリージュの精神の持ち主であった点は断片的にでも語られてほしかったです。


その他、父ウィリアム・ゴドウィンやコールリッジなど、男性はあまりよくは描かれてないのですが、ディオダティ荘の怪奇談義(パンフレットは”ディオダディ”になってますが…)をきっかけに『吸血鬼』を書いたポリドリの描写は同情的でした。

メアリーと共に、有名な人物によって自分の名前を消された側という共通点はテーマを深めています。

ただ、ポリドリも自殺したことが後日談で語られるだけでフェードアウトしてしまうので、もう少し掘り下げてもよかった気がします。



6.執筆過程と匿名出版の経緯の違い


映画ではパーシーと仲が悪くなり、メアリーがほぼ一人で相談せず書き上げた様な描写になってますが、もう少し仲良く相談しながら執筆していたと思います。

ただ、この描写も終盤の伏線と考えれば誇張表現としてはありかもしれません。

パーシーが聴衆の面前でメアリーが作者だと明かすシーンは史実にあったかは定かではありませんが、物語としてはいい演出でしょう。


欲を言えば、思いきってウォルター・スコットを登場させればもっと良くなったでしょう。

『湖上の麗人』などで当時既に有名だった詩人スコットですが、彼は『フランケンシュタイン』の作者をパーシーと誤解して称賛する批評を書いています。

それに対し、メアリーが自分が作者であることを明かしたお礼の手紙を送るという、真実は小説よりも希なり(byバイロン)な展開があります。

これをモチーフに、フランケンシュタインのお披露目会で、スコットがパーシーを作者だと思って褒めて真相を言いづらい中で、メアリーの作品と明かす展開ならさらに劇的になったでしょう。

BGMは、シューベルトのアヴェ・マリア(エレンの歌第3番)の音楽を添えて。

(ホエール版映画『花嫁』の老人と怪物の交流のシーンで使われている音楽であり、歌詞はスコットの『湖上の麗人』から取られているので)





7.後日談の説明不足


後日談のシーンでは時が経ち、パーシーが亡くなり喪服姿のメアリーが、『フランケンシュタイン』第二版で名前が明かされる所を子供と見る終わりとなっています。

特に言及はありませんが、時系列的にこの子は次男パーシー・フローレンス(1819)になります。他に何人か子供はいましたが夭折しています。

ようやく女性が自らの名前で本を出版できたというテーマの表現としては良い後日談ですが、説明不足な点が多いです。

Frankenstein完成以後がカットされるのは仕方ないとはいえ、動画にする予算がなければ静止画でもいいのでその後をなぞるスタッフロールで、最後にこのシーンを持ってくれば分かりやすくなったでしょう。


また、せっかく子供を持ってきたのであれば、1828年のクリスマス頃に、9歳のパーシー・フローレンスに第二版をプレゼントした史実のシーンの方が感動的でしょう。

最後の最後は、息子に挙げた本に書かれたアンダーラインの引かれたaffectionate(愛情をもつ)つながりから、第三版序文の次の文章に続けて欲しかったです。


And now, once again, I bid my hideous progeny go forth and prosper.

そして今ふたたび、幸運を祈りつつ私は醜い我が子を世に送り出す。

I have an affection for it, for it was the offspring of happy days, when death and grief were but words, which found no true echo in my heart.

この子に私は愛情を持っている。幸福だった日々が生み出したものだから、あの頃、死や悲しみは私の心に真実のこだまを持たないただの言葉にすぎなかった。


ここまで描いてこそ、 "真のメアリーの総て(True Mary Shelley)"と言えるのではないでしょうか。

シリアスな作風から伝記映画と見てしまうと史実との齟齬が大きくなりますが、伝奇的要素が電気的に結合した、伝記/電気/伝奇映画とみれば十分楽しめるでしょう。

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