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2stein: ジェームズ・ホエール 『フランケンシュタイン』(1931年映画)

Will you play with me?

一緒に遊びましょう。

Would you like one of my flowers?

どのお花が好き?

You have those, and I'll have these.

あなたはそれで、わたしはこれね。

I can make a boat.

お花のボートを作るよ。


少女マリアが怪物に言った台詞



ジェームズ・ホエール監督の映画『フランケンシュタイン』(1931年)をご紹介させていただきます。


 この映画は、ボリス・カーロフ演じる怪物の有名なイメージを生み出した作品です。

 ユニヴァーサル社の後の作品を始め、色々な作品のモチーフとなっています。

 特に、怪物誕生のフランケンシュタインの「It's alive!(生きている!)」というセリフは有名です。


 原作と比べると、映画版には以下の様な違いがあります。


・部分的に改変された登場人物

 主人公:ヴィクター・フランケンシュタイン(原作)→ ヘンリー・フランケンシュタイン(映画)

 友人: ヘンリー・クラ―ヴァル → ヴィクター・モリッツ(映画)

 マッドサイエンティスト色の強いヴァルトマン教授が登場するが、クレンペ教授は登場しない。


・喋ることすらできない凶暴な怪物像

 怪物は犯罪者の脳を移植した設定

 怪物が暴走する原因は、人間達の迫害よりも、無知の影響の方が大きい


・ヴィクター、怪物双方の苦悩の欠如


はっきり言ってしまうと、原作と比べると劣化した要素が多いです。

ただ、映画の悪い点を細かく指摘しても仕方がありませんので、映画が原作を越えた点に注目します。



 映画で特に注目すべき要素は、少女マリア(Little Maria)の存在です。


 映画の中盤で、怪物は創造された城から外に逃げ出し、水辺で一人遊んでいる少女マリア(約6才)をみつけます。

醜い怪物の姿を見たマリアは、若干固まりますが、他の人々の様に、泣いたり叫んだりしません。

代わりに、怪物に「一緒に遊びましょう」と語りかけます。

怪物もそれに応じ、二人で、お花のボートを水辺に浮かべて遊びます。

そのまま、少女と怪物が楽しく遊んで、幸せに終わるわけはなく.....

手持ちの花がなくなった怪物は、花の代わりに少女を水辺に投げ込みます。

マリアは溺死してしまい、復讐に駆られた村人達が、怪物を風車小屋に追い詰めます。


 原作には、この少女マリアは登場しません。

しかし、原作においては、怪物が川で溺れた少女を救ったものの、誤解されて農夫(父親?)から鉄砲で撃たれる描写があります。少女の名前は不明ですが、おそらくこのエピソードがモチーフとなっています。

マリアの名前の由来ですが、そもそもマリアは原作者メアリーのドイツ語系の名称です。また、人造人間の創造というキリスト教の禁忌に触れるテーマ的にも、聖母マリアも意識していたのでしょう。



 怪物はマリアが花の様に池に浮くと思って投げ込んだだけで、悪意はありません。

悪意はなくとも、持ち前の怪力と犯罪者の脳から、悪為を犯してしまう筋書きです。

単純に怪物を悪とも描かず、かといって悪に変わってしまう描写も余りありません。


 一方、原作では人間に迫害され、子供のウィリアムにも拒絶され、殺してしまい、破滅への道を進んでいきます。

原作の構図の方が、感情的には理解しやすく、物語としても単純です。

監督のジェームズ・ホエールが、この複雑な構図にした理由も気になります。

『みつばちのささやき』でも、主人公が怪物に対して、同様の違和感を抱いています。



 少し脱線しますが、猫がいたら異なる結末になったと私の中では思っています。

マリアは怪物と出会う直前まで子猫を抱いていますが、その猫が怪物に会った瞬間声も立てずに逃げ出します。

 カット割が行われているせいなのか、ここが妙に違和感があります。

もし、この猫がマリアの側にいたままだったら、多分怪物は少女の代わりに猫を池に投げようとしたでしょう。

猫を投げる前に少女が止めるか、投げたとしても少女が怒るか悲しみます。

そこで、怪物は自分の行為の意味を理解でき、少女の死も避けられました。

私も猫が好きなので、できれば辛い目にあわせたくはないのですが、投げられた猫の方も、自力で泳ぐか、怪物やマリアが助ける為、猫が死ぬ可能性は低いでしょう。



 そして、マリアが怪物の存在を認めた事は、原作を越えています。

原作中には、怪物の醜い姿を初めて見て、否定しなかった存在は一人もいません。(ド・ラセー老人は目が見えないので対象外)

特に原作では同じ子供のウィリアムが怪物の醜い姿を見て否定しています。

マリアとウィリアムの反応の違いの原因は、男性/女性の性別の違いなのか、小説/映画という媒体の違いなのか、マリアが特殊だったのかなど、色々な解釈が可能です。


 この映画版において、怪物に次ぐ、もう一人の主役は、ヘンリー・フランケンシュタインではなく、少女マリアなのかもしれません。


 これを機に、後継作品の元ネタを探したり、原作との違いを意識したりなどして、是非ご覧ください。

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