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19stein:『フランケンシュタインの恋』(TVドラマ)

 今回紹介するのは、連続テレビドラマ『フランケンシュタインの恋』です。

 この作品は、日本テレビ系列で2017年の4-6月に放送された連続テレビドラマで、主演の怪物は綾野剛が演じています。



1.怪物像の原作との相違


原作では、ド・ラセー家の隣に隠れて人間の暮らしを知る怪物ですが、こちらでは、ラジオによって人々を知る設定に変えたのは現代的な良いアレンジといえるでしょう。

原作通りに隣の家を覗き見してたら犯罪になってしまいます。あるいは120年も家に居座ってたとなると、座敷童的な扱いになってたかもしれません。



怪物に名前がない設定は原作と同じです。といっても、やはり名前が必要なので名付けられますが、創造者である深志研太郎博士から取って深志研とするのは、創造者ヴィクター・フランケンシュタインの名で怪物が呼ばれ、更にはフランケンと略される事へのオマージュでしょうか。


原作から200年近く経つというのに、現代でもなくあえて中途半端な120年前に怪物の誕生を持ってきたのは最初は疑問でした。

しかし、ラジオ放送の開始や明治という西洋文化と科学技術が入って来た時代という事を考慮すると良い設定といえるでしょう。



顔にツギハギの傷があったり、首からきのこ生えたりと怪物らしい容姿もあるものの、 原作の設定と違って怪物が初対面の人からイケメン扱いされるのは、少し残念でした。

できれば、同じ日本テレビの実写版『妖怪人間ベム』の様に醜い姿の方が良かったです。あるいは声しか聞こえないラジオで人気になるのだから、オペラ座の怪人みたいに声は素晴らしい姿が醜い設定でも良かった気がします。テレビの絵面的に問題なのであれば、視聴者には綺麗に見える設定でも構いません。

 ただ、最初は人々に受け入れられたものの手の平返しで否定される展開があるので、テーマとしては原作を逸脱していません。ある意味でこの展開は『シザーハンズ』を意識していたのかもしれません。



原作でもホエール版映画でも重要な役割を与えられてる、おじいさんとの交流がない点も大きな不満です。

物語の流れ的に老人ホームなどで、おじいさんから楽器を教わるなどの展開は問題なかったでしょう。

そもそも、怪物が恋をするつぐみの先先先祖が怪物の過去の記憶になるのだから、伏線にできたはずですし、昔の時代の話をおじいさんとする事で120年前から生きているリアリティも持たせられたでしょう。

あえて考えれば、おじいさんが登場してしまうと怪物がそちらに恋してしまうので、やむなく削ったのかもしれません。



また、本を読むシーンがない事も残念です。

原作の怪物は、『ウェルテル』や『失楽園』などの読書によって、精神を成長させていきます。

他人との接触ができない怪物だからこそ、本などの想像力で補うシーンがもっとあるべきでしょう。

しかしこちらの作品では、そのような描写がなく、漫画は借りていた様ですが何を読んだかという会話はありませんでした。

そもそも好きだというラジオについても、「天草に聞け」のコーナー以外はピックアップされませんでした。

ラジオでフランケンシュタインの朗読を聞くとか、『花嫁』でのシューベルトのアヴェマリアに感動するとか描く余地はあったと思います。(アヴェ・マリアを意識したのか分かりませんが、フォーレのパヴァーヌを使った点は良かったですが。)



原作の様な電気やプロメテウスに代表される火や原子力などでなく、人に善も悪ももたらす菌を使った設定は斬新でした。

その点では、科学の二面性を鋭く描いた原作のテーマを引き継いでいるでしょう。

また、良い菌と悪い菌が怪物の中で共存している点や怪物が生やしたキノコを人々に食べさせたりする点は、同じ日本テレビの『アンパンマン』を連想させます。ただ、残念な事にこちらとコラボする事はありませんでした。




2.創造主との確執の欠如


序盤は怪物が創造主との確執を匂わせる展開ですが、終盤で自らの誕生のきっかけを知ります。

創造主が、怪物を復活させた理由は恋の為でそこに悪意はありません。

怪物の危険な側面も認識し彼に名前を与えなかったものの呪う事や殺す事もしませんでした。

怪物の方も真実を知り、創造主に感謝を示しています。


これに限らず、どうも日本の作品は、創造主であったり、父的な存在との確執が緩い気がします。

妖怪人間ベムにしろ、アトムにしろ、創造主に悪意はないか悪意はあっても結局は和解します。

怪物にとっては、創造主に愛されるに越した事はないですが、そもそもその確執を考えないと言うのは別に問題がある気がします。文化的にフランケンシュタイン・コンプレックスはおろか、エディプス・コンプレックス的なものが薄いのかもしれません。


そして、また怪物の持つ菌が有益だと分かっていても、何だかんだで徹底的に利用し尽くさない所も日本的なのかもしれません。

これが、別の世界だったら、怪物は実験体として徹底的に研究されつくされたかもしれません。


この点は不満ではありますが、日本の視聴者に向けて創った作品なので作者だけに問うのは間違いなのかもしれません。


ただ、そういった日本的な文化は差し置いても、怪物の引きこもり歴は人間には誰にも負けないので、そういった現代社会の親子の歪みを描く事は出来たはずです。

また、ネグレクトや児童虐待とかともつなげる事はできたはずです。そもそも、怪物の恋敵役の柳楽優弥が『誰も知らない』でネグレクトの少年役を演じているのに使わないのはもったいない気がします。

「フランケンシュタイン」の名を冠するのであれば、そう言ったものは描いて欲しかったです。




3.フランケンシュタインの愛の為に


全体として設定としては面白いものの、あまりにも物語の展開が遅く、盛り上がりにもかけると感じてしまいました。

実写版『妖怪人間ベム』と方向性を変える為に、このゆったりとした展開にするぐらいなら、明治時代生まれの怪物のおかしさを中心においた 『ヤング・フランケンシュタイン』みたいな喜劇に振り切ってしまった方がよかった気がします。

ある意味で、『ヤング・フランケンシュタイン』の方が、創造主と怪物双方の恋が描かれているので、フランケンシュタインの恋のタイトルが相応しいでしょう。

結局の所、怪物の津軽への思いは恋のフリをした愛と言えるので、『フランケンシュタインの愛』の方が適切かもしれません。


怪物の空白の120年間をもう少し描いて欲しかったです。怪物の生前の記憶に一話丸々使うくらいならば、ダイジェストで120年の小エピソードを入れた方が深みが出た気がします。

明治時代から生きているからこそ大正ロマンや第二次大戦、高度経済成長、不況と色々な時代を生きた人々との交流という話のネタが多数あると言うのに、それを活かせていません。



また、最終的に怪物の恋は実らず、人里離れて一人で暮らすという悲劇ではないものの、どこか原作に似た開かれた終わりでした。

これから、怪物はどうなるのでしょうか。いつまでも人類を影から見守り続けるのでしょうか。

いつか、人類が地球から消え去り、The Last Manの様にただ一人取り残されるのでしょうか。

あるいは、いつか本当に恋をした時に、Bicentenial Manの様に不死性を捨て人間になるのでしょうか。


いつか、語られなかった過去と未来が補完されて、更に良い作品になる事を願ってます。


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