17stein: 『ディーン・クーンツのフランケンシュタイン(Dean Koontz's Frankenstein)』
「科学万能主義による人間性の破壊に以前から気づいていた故C・S・ルイスにこの本を捧ぐ」
シリーズ第三巻『フランケンシュタイン 対決 』より
今回、紹介するのは、ディーン・クーンツのフランケンシュタインシリーズです。
このシリーズは、ベストセラー作家ディーン・R・クーンツによる、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』のヴィクターと怪物が現代まで生きていたらという設定の作品です。
現代を舞台にした刑事もののミステリーの体裁を取りつつ、人造人間が暗躍するSF要素も持っています。
1.あらすじ
作中では、原作のヴィクターと怪物の双方が現代まで生きており、ヴィクターは、時代時代の独裁者達に協力し、人造人間を造り各界の重要人物と入れ替える事で世界征服を目論むマッド・サイエンティストと化しています。
一方、原作同様にヴィクターの周囲の人々の命を奪った事を後悔した怪物は、北極の果てで自殺せずにサーカスで働いた後チベットの寺院で平穏な日々を過ごしていたが、刑事
と共にヴィクターの野望を阻止する為に戦うヒーローになっています。
原作では名前のなかった怪物は、自らデュカリオンと名乗ります。ギリシャ神話のデュカリオンはプロメテウスの息子で、ゼウスの起こした大洪水でも生き残り、人類の先祖となった存在であり、著者のこだわりが垣間見えます。
2.ヴィクターと怪物の善悪の逆転
このシリーズでは、映画や他の多くの派生作品と異なり、ヴィクターが悪、怪物が善という構図になっています。
著者自身、幼少期にホエール版映画を見てから怪物に暴力を振るう父を重ね合わせて怪物に追われる悪夢を30歳頃まで見るほど、怪物に恐怖を抱いていました。
そうありながら、怪物の善悪が逆転したのは、悪役である『失楽園』のサタンが、シェリーやバイロンによってヒーローとして再評価された様に、ヴィクターに復讐する怪物の姿に、父に抗う著者の理想像を見たのかもしれません。
3.人造人間の苦悩
この作品にはヴィクターの野望の為に創られた、警察官、神父、ヴィクターの妻役などの役割を担う人造人間が登場します。機械の様にヴィクターの命令に従う彼らでしたが、徐々に自我と苦悩が生じて様々な方法でヴィクターの支配から逃れ始めます。
そこに描かれているのは人造人間の人間的な苦しみであり、その姿は、「はやく人間になりたい」と願い苦しむ妖怪人間ベムにも通じるかもしれません。
4.科学の否定
シリーズ第三巻冒頭には『ナルニア国物語』で有名な小説家でキリスト教伝道者でもあったC・S・ルイスに捧ぐとあり、ルイスの主張する科学否定に賛同し、ヴィクターの方は完全な悪として描いています。
一方、同じルイスを扱った、グレッグ・イーガンの『Oracle』では、チューリングが科学否定を主張するルイスをTV討論で打ち負かす真逆な展開となっています。
クーンツの作品では、科学の影にのみ焦点を当てて光を描かなかった事で、原作にあったヴィクターと怪物、あるいは科学と人間性の複雑な二面性を失った点は残念です。
しかしながら、悪役になりがちな怪物をヒーローへと仕立て上げ、更には怪物にサンタの格好をさせて子供達に配らせたりと、クーンツの怪物への愛が溢れた作品です。