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11stein: カレル・チャペック 『R.U.R』 『山椒魚戦争』

行け、プリムス、新しきアダムよ。行け、ヘレナ、新しきイヴよ。お互いの伴侶共に。


『R.U.R』ラストシーン 新しいアダムとイヴを祝福するアルクイストの台詞 (意訳)


 今回は、カレル・チャペックの『R.U.R』と『山椒魚戦争(Valka s mloky)』をご紹介させていただきます。


 『R.U.R(ロッサム万能ロボット社)』は、「ロボット」という言葉を生み出した有名な戯曲です。

 ロボットと言っても、現在のイメージの電気や機械仕掛けで動く自動人形ではなく、生体から創られた人造人間といえる存在です。ロボット達が反乱を起こし、人類が滅亡するという粗筋です。

 造り主への反逆に加え、生体という点でも、死体から作られたフランケンシュタインの怪物に近い存在といえるでしょう。

 ちなみに、私も間違えていましたが、タイトルの読みは、チェコ語のため、「アール・ユー・アール」ではなく、「エル・ウー・エル」です。


 一方、『山椒魚戦争』では、ロボットの代わりに山椒魚が労働力として酷使された果てに、人類に反旗を翻す内容で、『R.U.R』の長編版とも言える作品です。


 両者とも粗筋やテーマが似ている為、この両者を比較しつつ、フランケンシュタインに関する三つのテーマを掘り下げていきます。



1.二人のヴィクター


 R.U.Rという会社は名前の通り、二人のロッサムという人物によって設立されました。

 ロッサム老人は、孤独な科学者として、完全な人間の創造を目指して長年研究を行っていました。

 そこに彼の甥のロッサム青年が現れ、老人の研究を知ります。


 青年は、老人の研究を元に、安価な労働力となる最低限の機能だけを残した人造人間ロボットを大量生産します。

 青年の事業は成功を収め、老人の方は二体のロボットを創造した後、日の目を見ないままこの世を去ります。

 しかし、ロッサム青年の事業が進んだ果てに、ロボットは増えすぎて人間は子供を産めなくなり、ロボットが反逆を起こして人類は滅亡してしまいます。


 同様の展開は、『山椒魚戦争』でも描かれています。

 そもそもの始まりは、赤道の島で、二本足で歩く高い知性を持った山椒魚に出会ったヴァントフ船長が、好奇心と憐みから彼らに技術を与え、代わりに真珠を採取してもらう関係を築いた事でした。

 人類に火を与えたプロメテウスも、山椒魚に技術を与えたヴァントフ船長と同じ気持ちだったのかもしれません。


 その後、山椒魚が利益につながる事に気付いた資本家が資金提供をして、山椒魚達は生息域を拡大していきます。

 しかし、数年後、船長は山椒魚達の酷い扱いを目撃して激怒したあまり卒中で亡くなります。

その頃には、真珠は供給過多で市場価値が低くなっていました。

 そこで資本家は、山椒魚を奴隷代わりの労働力として使う事を株主総会で決断します。

 最初は、奴隷以下の酷い扱いを受けていた山椒魚達でしたが、長年人間の下で働くうちに、学校教育を受けたり、更には教授になる者も現れるなど人間の中での地位を向上させていきました。

 力をつけた山椒魚はついに、人類に反乱を起こし、自分たちの生息圏を拡大する為、人類の住む大陸を沈め始めたのでした。


 こちらでも、資本家の利益優先の姿勢が間接的に山椒魚の反乱を招いています。


 フランケンシュタインにおいては、ロボットや山椒魚に当たる怪物を創造するのはヴィクターただ一人です。しかし、チャペックの作品では、イノベーターとイミテーターに分類される対照的な二人に別れています。


 イノベーターの純粋な動機はどこか、善良なものとして描かれている節があり、いわば、ヴィクターの光の部分と言えるでしょう。

 一方、イミテーターあるいは実業家の方は、ヴィクターの影の部分と言える要素も持ちつつ、ヴィクターにはない利益追求の実業家という側面も加わっています。


『フランケンシュタイン』がヴィクター一人の光と影を描いた代わりに、チャペックは、光と影を別々の人物で描く事で、構図と対立が分かりやすくなっています。



2.怪物達の優しさ


 『R.U.R』では、最後に、ロボットの間から、互いを助け合う本当の愛が生まれます。その瞬間、ロボットは本当の人間になりました。

 現人類は絶滅するものの、愛を知った新人類が生まれるという絶望の中にも希望が残る展開です。


 一方、『山椒魚戦争』の方では、長編という事もあり、山椒魚の発展の歴史が細かく描かれています。

 奴隷に実験台に食用と、色々な形で人類に虐げられる山椒魚はあまりにも悲惨で、反乱を起こすのも仕方ないと思ってしまいます。

 チャペックの死後に起きた第二次大戦では、同様な事が人間に対して行われてしまった事は叶って欲しくなかった予言でした。


 また、悲惨な場面もある一方で、山椒魚と人間の優しい交流が描かれている微笑ましい場面もあります。

 余談ですが、私が山椒魚に共感する原因には、「山椒魚は悲しんだ」の文から始まる井伏鱒二の『山椒魚』の影響もあるかもしれません。(1929年発表なので『山椒魚戦争』より前の作品です)

 最近、山椒魚の可愛さに気付く人が増え、オオサンショウウオのぬいぐるみやグッズが売れているので、『山椒魚戦争』が実写化、アニメ化される日も遠くないかもしれません。


 両作品とも、話の粗筋としては、ロボットや山椒魚が反乱を起こし人類が滅亡の危機に陥る展開です。

 粗筋だけを見ると、反乱を起こした、いわばフランケンシュタインの怪物達が単なる恐怖の存在だと考えがちです。

 しかし、ロボットは最後に真実の愛に目覚め、山椒魚は人間と友好関係を結ぶ事もあるなど、単なる恐怖の存在ではない、優しさが描かれています。

 フランケンシュタインの怪物が持っている優しさを、ロボットと山椒魚もきちんと受け継いでいるのです。



3.フランケンシュタインの子供達

 チャペックの二作品には、フランケンシュタインの子供とも言うべき、フランケンシュタインのテーマを進化させた要素もあります。


まずは、怪物の存在が、個から多へと変化した事が挙げられます。

 フランケンシュタインでは一人だった怪物が、チャペックの作品では、何千、何万と増え、大群となって反乱を起こします。

 そこには、たった一人のフランケンシュタインの怪物が生み出す恐怖にはない、全体主義的恐怖も描かれています。


また、進み過ぎた工業化への批判も描かれています。

メアリー・シェリーの夫パーシーは、工業化への反対運動であるラダイトを支持する詩を書いたりもしてますが、ここまで工業化が進む事は予見できなかったでしょう。


 一方、死体とはいえあくまでも人間ベースだったフランケンシュタインに比べ、『山椒魚戦争』では、人間以外の生命にまでアプローチが広がってます。

 そこには、人間と動物が種として連続だという進化論の強い影響が見られます。

メアリー・シェリーが亡くなったのはダーウィンが進化論を発表する前であり、これも、フランケンシュタインでは描き切れなかった要素です。


 更に、序文にも書かれている通り、チャペックは、山椒魚が特に嫌いな訳でも好きなわけでもなく、オオサンショウウオの化石が人間のものと間違われた事実から、山椒魚を選んでいます。

 しかし、比喩だといいつつも、飼い犬を主人公にしたエッセイ『ダーシェンカ』も書いたりしてるチャペックだからか、どこか他の生命に寄り添う優しさが滲み出ている気がします。

 活躍時期が近いSF作家H・G・ウェルズがどこか、ゼノフォビア的なのとは非常に対照的です。


 『R.U.R』と『山椒魚戦争』は、フランケンシュタインのエッセンスを受け継ぎつつ、更に時代にあわせてテーマを広げた素晴らしい作品です。 この機会に、是非、読んでいただけると幸いです。

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