10stein: アール・C・ケントン 『フランケンシュタインの幽霊(Ghost of Frankenstein)』(映画)
今回は、アール・C・ケントン監督『フランケンシュタインの幽霊(Ghost of Frankenstein)』を紹介いたします。
1.あらすじ
今回の主役は怪物を創ったヘンリー・フランケンシュタインの次男 ルードウィグ・フランケンシュタインです。
前作で死んだと思われていたイーゴルが生きていて、怪物もまたしても復活します。
ルードウィグは、父ヘンリーの幽霊の助言を聞き入れ、怪物の脳を正常な脳に入れ替えようとします。
しかし、そこでイゴールが姦計を巡らせ、自らの脳を怪物に移植させることに成功してしまいます。
怪物の強靭な肉体を手に入れたイゴールでしたが、血液型の違いによって拒絶反応を起こして死ぬ所で物語は終わります。
今回の主人公は前作の主人公の弟ですが、父や兄と比べてまともで、マイナス点といえば父の幽霊の助言を聞いてしまった事ぐらいです。しかし、それにも関わらず、怪物の体を手に入れたイーゴルと共に死ぬという前作とは真逆な悲劇的な展開となっています。
2.怪物の道具化
監督が一、二作目のホエールから変わった事もあり、三作目以降は、原作のテーマとして怪物の精神性に触れる事はほとんど無く、怪物が単なる道具になってしまいました。
三四作目は”怪物”自体のテーマというよりも、先祖が残した負の遺産(プロメテウスがくれた火や核といった科学技術)としての怪物にどう対処するかという事が中心になっている気がします。
怪物が道具化してしまったのは悲しいですが、負の遺産の扱いというテーマとしては興味深くなっています。
3.イゴールの最後と俳優ベラ・ルゴシ
前作に引き続き、準主役といえるイゴールを演じるのは、『ドラキュラ』で有名なベラ・ルゴシです。
フランケンシュタインの怪物を演じたのはボリス・カーロフですが、元々はベラ・ルゴシに来てた役でした。しかし、ベラ・ルゴシは台詞がない怪物の役を蹴っていたのでした。その後、フランケンシュタインに人気が出て、ベラ・ルゴシも怪物の役をやりたいと思い始めました。
ベラ・ルゴシが、フランケンシュタインの怪物になりたかったから、イゴールの脳を怪物の肉体に移植する最後になったのでしょうか。さらに言えば、怪物の身体を手に入れたイゴールが血液型が合わずに死んでしまうのは、ベラ・ルゴシが演じた吸血鬼に由来するかもしれません。
ちなみに、ベラ・ルゴシは、五作目の『フランケンシュタインと狼男』で遂に念願の怪物役を演じる事になります。
4.脳中心主義の矛盾
脳を入れ替えると、人格も入れ替わると、映画の中の人物は考えています。ルードウィグも、死んだ助手の脳を怪物に移植したと思って助手の名前を呼んでいますし、実際に脳を替えられたイーゴルも彼の人格で喋っています。
ただ、脳中心主義だとしたら、いちいち怪物の体に入れる必要はあるのでしょうか?
どちらにせよ怪物の脳は死に、個としての怪物も消えるのですが、その形での復活に意味はあるのでしょうか?
それに加え、死んだ助手が勝手に怪物の体で復活させられたら、それを喜ぶのでしょうか?
新たな犠牲者を増やしてるだけな気がします。初代フランケンシュタインが幽霊になってまで出てきた意図が汲み取れませんでした。
まだ強靭で不死身な怪物の肉体を手に入れて自分の欲望を満たすというイゴールの動機の方が理解できます。
5.怪物と少女の人格交換
今作では、怪物は、少女Cloestine Hussmanと交遊します。怪物に対しても偏見を持たない、一作目のマリアと似た様な少女です。
それだけに、怪物が少女にボールを取ってあげるシーンは、また悲劇が繰り返されそうで心配でしたが、今回は、少女に危害を加える事はありませんでした。
終盤で、怪物が、少女の脳と自分の脳を入れ替えて欲しいと提案します。多分、怪物は純粋に脳を入れ替えれば少女の様になれると思ったのでしょう。
一作目の少女マリア、二作目の盲目の老人と花嫁、三作目の創造主の孫の少年と、シリーズ毎に怪物の交遊はあるものの報われることがありません。誰かと友達になろうとしても、結局なる事ができないのなら、いっそ友達と同一化してしまいたいと怪物は思ったのかもしれません。
けれども、怪物はその提案をルードウィグの説得によって諦めます。力ではなく、言葉によって、怪物が諦めるのは、脳を入れ替えれば、少女を殺す事に気づいたのからでしょう。
自分の望みを諦めてしまうのは、『花嫁』での苦い経験も経た、怪物の悲しい優しさなのかもしれません。
もし、怪物と少女の脳が交換されていたら、新たな悲劇が生まれたでしょう。
ただ、人格が入れ替わったところで、むしろ物語は大きく変わらない気もします。
怪物の身体になった少女は、中身の純真さなど関係なく迫害されるでしょうし、少女の身体になった怪物は、少し変わっていると思われるかもしれませんが、周囲の人から愛されるでしょう。
そうなると、怪物の心の純粋さと、社会の闇に気づかされる物語になりそうです。怪物を生み出しているのは、社会そのものかもしれません。