後編
――人生の面白さ。それは本人の意思とは、異なる方向へ進むことだ。
ヤン・ファン・ルーデンもその一人である。己の愛欲のために描き上げた一枚の絵が、多くの人々、時代を超えてこれほど愛されるようになるとは想像もつかなかっただろう。
『永遠の乙女』はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』に匹敵するほど傑作である。
花冠を乗せた少女は青い瞳を輝かせ、興味深げにこちらを見つめている。その表情ははにかんでいるようにも、微笑んでいるようにも見え、まだこの世に存在する醜悪など知らないようだ。我々はこの絵を前にすると、自分の汚れた心を思い出し恥ずかしくなる。熱心に見つめるうちに心が洗われていく。
だから、私たちは『永遠の乙女』に熱狂し、虜となってしまうのだ。
そう幼くともその美しい青い瞳に――
君島邦幸はパンフレットを閉じると細い息を吐き出し、そしてコーヒーをすすった。
水曜日の午後、印象派画家の一人と同じ名前の喫茶店で君島はくつろいでいた。
午前中は上野にある美術館にて開催されている『ヤン・ファン・ルーデン展――蒼い瞳に魅せられて――』を鑑賞した。日本では初となるヤン・ファン・ルーデンの大規模な展覧会で連日大盛況である。
チケットは仕事の付き合いで購入し、初日は妻奈代子と、先週は仕事の合間に、そして休業日の本日で計三回足を運んだ。
日本では三度目だが、全部で四回鑑賞をしている。大学生のときに一人旅で本国オランダにある美術館にて、『永遠の乙女』を見初めた。その時も他の作品より長い時間、足を止めていたように思う。不思議な魅力のある作品だった。
この絵を描き上げたあと、ヤン・ファン・ルーデンはイザベラ・ヴォルテルスと結婚をした。ヤンはずっと田舎での質素な生活を望んでいたが、まだ若いイザベラは都会への憧れが強かった。そしてルーデン夫妻に転換期が訪れる。『永遠の乙女』が盗難に遭ったのだ。偶然にも知り合いの画商に盗難品が持ち込まれ、高値で売買されて広くヤン・ファン・ルーデンの名が知れ渡るようになり、地位と名声を確実なものとする。
やがてアカデミーより講師の仕事が舞い込み、夫婦そろって都会へ引っ越しをするのだが……。
ヤンは立派な講師となったが、肝心の創作はさっぱりだった。一方妻イザベラは派手な社交生活を送り、挙げ句の果てに酔っ払って川に転落をして死亡する。愛する妻を亡くしたヤンはショックのあまり講師を辞して、さっさと田舎に隠遁をし二度と絵筆を執らなかったそうだ。創作の源である妻を失ったヤンの心痛をうかがい知るエピソードだ。
前妻は友人の医師に寝取られ、後妻は若くして事故で亡くなる。つくづく女運の悪い男だと、君島は同情を寄せる。
しかし『永遠の乙女』は大作だ。女運に恵まれなくとも、後生に名を残す作品を創造したのだから男として芸術家として立派だったといえよう。
君島は傍らにある美術館のロゴ入り紙袋に目が止まる。中身はもちろん『永遠の乙女』の複製画だ。十五年前に初めて見たときのときめきを、今では妻子いるというのに久しぶりに鑑賞をして思い出してしまった。イザベラの蒼い瞳に見つめられたのなら、誰だって愛しく思うに違いない。奈代子には悪いが、書斎に飾りいつでも自由気ままに眺めたくなってしまった。
帰宅して書斎にまっすぐ向かい、早速複製画を飾り付けた。田舎娘と現代のインテリアとは釣り合わないような気もしたが、徐々に馴染んでいくだろう。
満足した君島は腰に手を当てて、イザベラを吟味する。見れば見るほど不思議な絵画だ。慎ましげな表情の奥に秘められた女の欲望を感じ、その危うげなバランスがよい。
でも、どこか宙づりにされているような部分がある。何か足りないのだ。
ふと思い立ち引き出しからルーペを取り出すと、壁に飾られたばかりの複製画にかざしてみる。洋服のしわ、髪の毛一本一本の線、ふっくらとした頬、とどれを見ても完璧だった。
ルーペで見るのをやめて全体を眺めると、やはり物足りなさを覚えた。ポイントとなる蒼い瞳、ぷっくりした唇、純潔の姫君の象徴となる花冠。
あっ、と小さく息を飲む。冠の左側が妙に寂しいのだ。色とりどりの花を散らせているにもかかわらず、そこだけが置き忘れられたように空白になっている。
複製だから印刷ミスの可能性もあり得る。君島はパンフレット、図録集、チケットの半券を詳細に調べてみたが、みなどれも同じ結果に終わった。
「おっ! そうだ!」
思い出してリビングのビデオテープを再生してみると、やはり同じように不自然な空間があった。
君島は静止させたまま考え込んでいると、背後から妻に声をかけられた。
「あなた、また美術館へいらしゃったんですか」
「……ああ」
妻の責めている言葉尻など耳には届かず、ひたすら謎を明かそうとしている。
「はあ、よくあんなに混んだところへ行く気になるわね」
責めているのではなくあきれている様子だった。
普段美術に興味のない人たちまでもが、ひと目『永遠の乙女』を見ようと大挙に押し寄せ、ニュースでも取り上げられるほどになっていた。
奈代子は一番混んでいる初日に夫邦幸と出かけ、落ち着いて見ることができず二度といきたくないと帰りの電車で愚痴をこぼしていた。
反応がかんばしくない夫に対してさらなるあきれを披露する。
「目玉って『永遠の乙女』だけじゃないの。あとはみんな描き損ねのスケッチやデッサンばかりじゃない」
ルーデンの悪口を言われた君島ははっとして、ようやく妻の顔を見る。
「おいおい、いくらなんでも描き損ねはひどい……」
自分の口から描き損ねという言葉が飛び出した途端、脳細胞が活性をし始める。
カンヴァスには「永遠の乙女は、我が手中に」と、ルーデン自身の書き込みがあるはパンフレットにも、TV番組でも触れていた。もしわざと描き損ねにしたのならば、純潔の少女を永久に己のなかに閉じ込めたことになる。だから、冠に不自然な箇所があるのではないだろうか。
抱えていた疑問の点が、線となってつながった瞬間だった。
「ありがとう、奈代子! 恩に切るよ」
すくっと立ち上がり、一目散にリビングから出て行ってしまうと、残された妻は茫然と立ちつくしていた。
書斎に戻ると、すぐにワープロを取り出して起動させた。君島は大学生以来となる論文に取りかかったのである。
君島邦幸の発見は間違いなく美術史において、最大の発見となるはずだった。しかし、ヤン・ファン・ルーデンの著書は日本でも海外でも少なく謎に包まれている。特に愛妻イザベラを亡くしてからは人とは関わりをもたない生活だったので、どうやって生計を立てていたのかはわからなかった。一部の噂ではイザベラの弟夫婦が面倒を見ていたという説もあるが、作品に関する話は一切伝わっていなかった。だから論文は難航を余儀なくされる。
そこへきて本業の不動産業も忙しくなった。株価が上がり、地価も高騰をし、のんびりとやっていた君島にも余波がきたのだ。
自営業とはいえ夜遅くまで仕事をし、たまの休日は接待ゴルフに追われた。ハードな毎日を過ごすうちに、書斎に飾られた『永遠の乙女』は埃をかぶり、ワープロに記された論文は見積書や請求書など仕事関係の書類へと変わっていった。
こうして君島が少しずつイザベラから離れていくうち、オランダにいるヤン・ファン・ルーデンの研究家は、「秘められた乙女の冠のなぞ」と題して論文を発表した。
ブームが過ぎ去った後でニュースでは小さく取り上げられた程度で、君島がその論文の存在を知ったのはバブル景気がはじけた後だった。
(了?)