下
あっ、あがりで~す。
ウノが終わり、トランプを持ち出して、ババ抜き、ジジ抜き、スピード、ブタのシッポ、七並べ、そして再びウノに戻って一人目の上がりが出た頃、ようやく志貴はその口を閉ざした。
「という事になるのだ。米作りという恐ろしさがよく理解出来ただろう。」
「うん、人類対勇者の壮絶な戦いが始まった辺りまではちゃんと聞いていたよ。」
ブタのシッポが始まった辺りまでは、彰人もちゃんと志貴の言葉に耳を傾けてはいた。
世界をよりよくする為に呼び寄せられた勇者と、発展を続けて傲慢に成り果てた人類との、死力を尽くし合った大戦争。そこまでは、彰人も頑張って頭を振り絞れば、納得する部分を見い出す事も出来て、一応は聞いてはいたのだ。だが、その後はもう、どれだけ頑張っても彰人の頭は志貴の考えに着いてはいけなかった。
なので、慣れた感じの天使達に見習い、彰人はトランプの手札へと集中することにしたのだ。
「…そこまでで、この恐ろしさを理解することが出来るわけがないだろう。仕方ない、もう一度…」
「いや、いいよ。大丈夫、大丈夫。」
充分に理解出来たから、と彰人は再び語り出そうと息を吸った志貴を止めた。
不服そうに顔を歪める志貴に、天使達も理解出来ましたと宥めにかかる。
「それに、恐ろしさなんかよりも重要で、一番大切なことが充分に理解出来たから、俺としては満足したよ。」
「一番大切なこと?」
恐ろしさについてを教示していたというのに、それでは無いという。ならば、自分の言葉の中に、どんな"一番大切"なんていうものがあったというのか。志貴は、歪めた目を彰人に注ぐ。
「そう。志貴君が、すっごく優しい人だってこと。同居人をさせてもらう立場としては、それって一番大切だろ?」
彼の仕事先が全国のお茶の間へ垂れ流しにしている宣伝に間違いはなかった。そう思わせるような、宣伝に登場する役者のような、それでいて演技臭さなど一欠けらも見せない爽やかな笑顔で、彰人はそう言い放った。
「……お前まさか、世界中を旅しているというのは、一箇所に留まれないようなことをしているという事では…」
自分では絶対に出すことは出来ない、という彰人の爽やか過ぎる笑顔と率直な言葉に、志貴の表情がいぶかしむものから、微妙な何とも言えないものに変化した。そして、少しだけ身体が彰人から遠ざかったような…。
「えっ、ちょっと、何それ…えっ、どういう意味?」
彰人は、志貴のそんな反応に慌て、彼の言葉を頭の中に反復させて、その意味を探る。そう長くかからない内に、志貴の言っている言葉がとんでもない意味を持っていることに気づき、焦りと戸惑いを露に立ち上がり、志貴に詰め寄ろうと足を踏み出した。
「す、すみません、彰人様。そう思われても仕方ないと思いますよ、今の発言は…。」
私も志貴様と同じ想像が頭を過ぎりました、と彰人と半年に渡って付き合いのある天使オリビエが引き攣った口元を隠すことなく、彰人に冷たい視線を突き刺した。
「まさか、この世界でもすでに…」
電気係のグレースも、冷たい半眼を彰人に向けた。
「まぁ、男ってそういう所ありますよね。」
と虫の息のような小さな声で、庇っているようで庇っていない言葉を発言し、それっきり身体を縮こませて気配を消したのは、電波係のアイン。女性達の中で、男である彼が少しでもおかしな発言をすれば、冷たい冷たい視線を受けることになる。今も、彰人の所業(予想)を庇い立てるような発言を小さくでもしたせいで、隣に座っていたグレースに本気の睨みを向けられてしまった。
「ちょ、してない、してないからね!清廉潔白だから!」
俺の家族は両親だけだから。他は絶対にいないから!!!
「ということは………恐ろしい男だ。女性をその気にさせるだけさせて、そして利用するだけ利用し尽くしたら、最早姿は影も形も無かった、ということだな。おい、天使達。これからは、この家に出入りする時には充分に注意するんだぞ!」
「「は~い」」
「だから、違うって!そんなこと無いって!!」
「さて、冗談はさておき。」
膝を抱えて、いわゆる体操座りというものをしていじけ始めた年上の男に、志貴は表情から責めるようなものを消し去り、平坦とした表情に戻して一息ついた。
そして、彰人の言葉の真意を尋ねたのだった。
「で、俺が優しい人間だとは、どういう意味だ。」
「……だって、米作りが盛んになると、君の理論では色々と事件が起こって、そして戦争に発展するんだろ?それが嫌だから、米作りをしたくはないって事だろ。米作りをこの世界で行うことは危険だって、そう俺や天使達に教えてくれたじゃないか。それってつまり、異世界からきた人間のせいで戦争が起こしたくはないって事だろ。」
ほら、優しい人じゃないか、君は。
懲りるということも知らないのか、彰人はさわやかな笑顔を浮かべてそう言った。
志貴は思った。
どういう考えをすれば、自分の論説が彰人の言うような『優しさ』という考えに結びつくのだろうか、と。
天使達は思った。
この人もある意味で、志貴様の同類なのでは、と。
つまり彰人が言うには、志貴は戦争によって傷つく人々が出ないように、その大元の原因となる米作りの危険性を説いたのだと、いうことらしい。
分からない、と首を傾げて困惑の表情を見せた志貴に、彰人は根気よく、事細かなに順を追って自分の考えついたそれを語った。
「馬鹿を言うな!」
そして、その彰人の論理は、志貴の怒号によって吹き飛ばされることになった。
「米が原因で戦争が起こり、何が『恐ろしい』のか、お前はまだ理解していないようだな!」
ビシッと彰人に指を指し、志貴は言い放つ。
「俺が恐ろしいのは、それが勇者のせいである、とこの世界の人間の知識の中に深く、深く、刻まれ続けることだ!勇者がもたらした稲という植物とその栽培方法が、多くの犠牲者を出す戦争の下となった。戦争によってもたらされた甚大な被害は、全てそれのせいだ。それをもたらした勇者のせいだ。大切なあの人が死んだのは、勇者のせいだと人々は言うようになるだろう。そして、それは記録として書物にでも石版にでも刻まれ、それ自体の記憶を持たない人間にも、いや、そんな事があった事さえも知らない世代にまで知られるように、残されていくのだ。そして、意味が分からない記録と思いながらも興味を持った人間が、真実はどうであったのかと調べる。そして、出てくる勇者という存在。そして、勇者という単語から、その勇者が世界中で何をしたのか、どんなことを成したのかを辿り続けるのだ。もしかしたら、それを基にして何らかの物語を作るやも知れない。そうなれば、勇者という存在は、どんな形で辱められ、何処まで広がっていくやも知れない。あんなことや、こんなこと、好き勝手に付け足された想像がまるで事実であるかのように語られるようになるのだ。人々の気が済むまで、いや利用価値がなくなるまで、辱めは永遠に続いて……。いや、もう始まっているかも知れない。勇者という存在が現れたという言葉だけど、こんな人なのか、あんな人なのか。こういうことをした、という言葉から、きっと素晴らしい人なのね、とか…」
「でも、それって、志貴君のことじゃないよね?」
「何?」
再び起こった『発作』を、彰人の指摘が止めた。
「だってさ、それで語られるのは、すでに稲作を始めているっていう五人目の勇者っていう人で。ついでにいえば、勇者っていう言葉から掘り当てられていくのは、実際に勇者として人前で活動している、志貴君や俺以外の勇者達じゃないか。俺もあるかも知れないけど、家にずっと引き篭もっている予定の志貴君のことが出てくることは絶対にないんじゃないのかな?」
沈黙が落ちた。
目を見開き、口を僅かに開け放した姿のまま、志貴が硬直した姿を晒している。
あれ、俺…何かいけないこと言っちゃった?
彰人が冷や汗をダラダラ流した。せっかくの安息の場所、帰る場所を懐かしい味と共に確保出来たというのに、追い出されるなんて嫌過ぎる。
ここは日本人の必殺技、外国人にも人気の『土下座』で…。
「し、志貴…」
「彰人。お前、天才か?」
いえ、違います。
志貴君、ゴメン。と何が悪いかも理解出来てはいないが、土下座して謝ろうとしていた彰人の声を遮り、志貴が驚きの声を上げた。
その問い掛けるような驚きの言葉に、彰人は声にする余裕もなく否定をいれた。
「そうか。そうだな。そうだった!俺ではないではないか。そうだ。恐れる必要はない。俺は、すでにあるものを利用して、陰日なたで生きていけばいい。ただ、それだけではないか!!!」
志貴の中にで何かが覚醒し、そして結論が出たらしい。
志貴の目に爛々とした輝くが生まれる様子を、彰人はしかと目撃した。
「彰人。これをお前に託そう。」
それは、彰人が部屋の中から発掘してきた、種籾。
志貴はその種籾が入った袋をしっかりと彰人に手渡し、「五人目の勇者によろしく」と囁いた。
「えっ、この種籾渡してもいいの?」
それは日本の英知と長い年月をかけて品種改良が行われてる種籾。
原種の稲を栽培することでも恐ろしいと言った、志貴の言葉と行動とは思えないそれに、彰人は袋と志貴を交互に見た。
「いい。むしろ、渡さねばならない。」
俺の食生活の為にもな、と志貴は笑った。
志貴は自分が可愛いのだ。
慣れない食事をしてストレスを溜め、体調を崩してしまうよりも、慣れ親しんだ味を自分の家の中で静かに頂く方がいいに決まっている。しかも、誰に恨まれることなく、騒ぎに巻き込まれることなく、自分の生活をしっかりと守れる上で米が手に入る道が示されたのだ。それを使わない、という考えは志貴には浮かばない。
「そして、五人目とやらに、これに署名させてこい。」
志貴は『契約書』と書かれた紙も、彰人に手渡した。
それは、彰人も署名した志貴の理不尽な勇者補正が宿る『契約書』。
そこには、米の取り引きについてが書かれていた。
志貴からは、品種改良によって旨みと育ちやすさを持った種籾を"こしひかり"を始めとした数種類、そして地球原産の野菜などの種の提供をする。その見返りに、それらの種籾を利用して得られた収穫を一反分を志貴に寄越す。そういた取り引きについてが書かれていた。
「そうだな、手土産として醤油と味噌、漬物も持っていくといい。米を作ろうなどと言い出す人間だ。それによって、大いに心を揺さぶることだろう。」
「そうだね。」
「それと、農機具や肥料などについても、こちらに考えがあると伝えてくれ。」
これで落ちないわけがない、と志貴は自信満々だ。
「えっ、そんなものまで部屋の中にあるとは言わないよね?」
そうだったのなら、どんな異次元空間だ、と突っ込みを入れなくては、と可笑しな使命感が彰人の中に生まれてきた。
「あるわけ無いだろう。『農業の歴史』という書物などの、農業について詳しく書いてある本が何冊かある。確か、農機具についても詳しく書いてあった筈だ。それを大工にでも見せれば、再現出来るやも知れない、と思ったまでだ。」
「あぁ~ドワーフとか?」
居るよ、得意な人っていうか種族。
半年の間に彰人が出会った異世界の住人の中に、地球での想像でも手先が器用という説明がついていた種族が実際に居たことを、志貴に伝えた。
天使達に向かって確認の視線を二人が送れば、ドワーフ達なら可能だろう、とお墨付きが出た。
「ドワーフの村に行けば、出来る者が必ずいますよ。」
「じゃあ、五人目の所に行く途中にでも、その村に寄ってみようか。そしたら、俺の力で何時でも行けるようになるから。」
彰人の能力は、セーブとロードのようなものだ、と志貴は思った。
危なくなれば此処に戻ってくればいい。そして英気を養ってまた、その地点に戻ればいい。
引き際を間違えなければ良い能力だ、と志貴は満足げに頷いた。別に、それは志貴の能力ではない。彰人のものだ。だが、二人が契約した時点で、『彰人の能力』は『志貴の能力』でもある、という認識となったのだ。
「そうだ、銃を持っていってもいいかな?」
「散弾銃に威力を求めても無駄だぞ。」
本当ならばライフルが良かったが、あれは十年の散弾銃の経験が必要だ。その為、志貴はまだ持っていなかった。散弾銃用の実弾ならば在庫も充分にある為、護身用として彰人が持ち歩いてもいいだろう。だが、異世界という環境で、威力の低い散弾銃が何処まで通用するか保障は出来ない。
護身用に持っていこうというのなら、それを頭に入れておけ。
志貴はそう忠告した。
「それもあるけど…ちょっと考えがあるんだよね。」
爽やかな、それでも先程のものよりも含みのある笑顔で、彰人は言う。
「そうだ。こっちもいい?」
もしかしたら、壊れるかも…。
彰人が散弾銃と無可動実銃を手に立てた伺いに、志貴は「時と場合による」と答え、何をするつもりかと聞いた。
「ドワーフの技術なら、もしかしたら、もっと使い勝手をよくしてくれるかも知れないし、これも使えるようにしてくれるかも。」
もしかしたら、改良して…。
「……まぁ、いいだろう。好きにしろ。必要ならば、金でも何でも好きに使うといい。」
俺の存在が全面に出ないのならば、何をしようが関係ない。
銃が流出する危険性、例え魔法ありきの世界で銃の威力如き脅威はなくとも、銃という存在が魔法と合わさってもたらすかも知れない恐ろしさは、すでに物語やゲームにも表現されている。
だが、幾つも思い浮かんでくる恐ろしさも横に置いておける。
何故なら、名前も姿も見せず、自宅に引き篭もっている限り、志貴が完全に巻き込まれるということは無いからだ。
神が遣わした勇者『五人目』と呼ばれたその人は、人々を飢えから解放した。
麦がまともに育たない土地、決して満足な量が納まったことのない穀物庫を持った村で、その人は新たな穀物を育てることで、穀物庫を潤沢に満たし、人々を飢えから解放した。
人々が見たことも聞いたこともない作物をもたらし、人々の作業にかかる労力が減るようにと農機具というものも無償で提供したその人は、それは『天に住まう者』から与えられたものだと言った。
そして、毎年、毎年、その人は『天に住まう者』に感謝の印として収穫物を捧げるのだ。
それは、次第に『収穫祭』という名の、遠国からも人が押し寄せてくる霊験あらたかな大きな祭りとなり、勇者が役目を負えて去っていった後も、長きに渡って受け継がれるものとなった。
自分がよければ、それでよし。