下
テレビを見たり、コレクションの中から引き摺り出したルームランナーで走ってみたり、など。天使達は各々で時間を潰し、志貴の『発作』による最早空想でしかない持論の展開が終わるのを待っていた。
だが、すでに食料の底も見え始め、選択の余裕が無くなってきたという切羽詰まっている状況の為か、その息継ぎの間も惜しむような勢いが止まること無かった。何時ものそれに比べると、今日のそれは三倍以上の時間を有する、壮大なものとなっていた。
どうしてだろうか。
食事一つの話が、いつの間にか星間戦争にまで及んでいた。
各々の暇潰しに夢中になっていた天使達が顔を見合わせるが、誰もその展開を聞いてはいなかった。何時ものことだという慣れが、志貴の論説を完全に蚊帳の外へと置いていた。
「恐ろしい。だというのに、そんな外に出なくてはならない。どうするべきか。凍らせる、いや冷凍庫ごときでは無理だ。ならば煮沸。そういえば確か、紫外線照射で殺菌をする機器が、部屋にあったが…いや、もしかしたら、紫外線によって活性化する菌が存在しているかも知れない。それを言うならば、熱を好むものも…。」
「あっ、あの!」
星間戦争から帰ってきたと思ったら、また振り出しに戻ろうとしている志貴の頭の中。流石に、二順目に付き合うことは出来ないと、天使達の視線による促しを受け、エリーゼが声を上げた。
「なんだ。」
「…えっ…あっ、あの…あっ!私に、良い案があります‼」
声をかけてみたものの、持論の展開から戻り反応を示した志貴の視線に晒され、エリーゼの頭は真っ白になってしまった。
そして、ハッと頭に過ぎった考えを"良い案"だと、つい口にしてしまったのだ。あぁ!と自分自身でもその発言に青褪めたが、周りから目を向けてくる部下達の視線が痛い。だが、ともう一度その一瞬過ぎった考えを深く思い直してみる。すると、それはとても良い案ではないのか、と改めて考え直すと思ったのだ。だから、咎めるような部下達の目にめげることなく、エリーゼはその案を志貴に対して提案してみた。
混乱している状況での"良い案"が、良いものであった試しなど無いのだが。
焦っているエリーゼはそんな事は、思考の淵の淵へと追いやって、考え付かない。
「ほぉ。その"良い案"とやら、聞いてやろうではないか。」
ただし、全くなっていない案ならば、今度はどんな希望を聞いてもらおうか。
実は今までも、エリーゼは"良い案がある""異世界はいい所"と志貴に発言し、あっさりと志貴によって論破されたり、『発作』を起こさせるなどということは何度もあった。そして、その度にエリーゼは志貴に"騙したな。その詫びは無いのか"と要求を呑まされていた。
「こ、今度は本当に"良い案"ですもの!貴方だって、外に出てもいいと思ってくれるような!」
パッと出の考えではあったが、そんな事も忘れてエリーゼは自信満々に宣言した。
「彰人様。こちらが、志貴様です。」
「初めまして。天使のオリビエちゃんから色々な話を聞いていたから、何だか初対面とは思えないけど。」
ガヤガヤと騒がしい店内の端に位置しているテーブルで、志貴はある男と出会った。
古びた木のテーブルには、四人の人影。
その古く、所々の端が欠けている薄汚れたテーブルが完全に景色の一部として溶け込んでいる。そんな店に来る客のほとんどが、その日暮らしをしているような、決して身綺麗とはいえない人々だった。その中で、このテーブルに集まっている志貴を始めとする四人の内三人が、王公貴族かと言うような、汗臭さ一つない清潔な姿だった。
だが、店の店員も客達も、一切気に止める様子はない。
これは、注目を集めるなんて、と再び『発作』を起こした志貴への対策の為に、エリーゼが術を張り巡らせた結果たった。此処に誰かが居ることは分かっている。けれど、それがどんな人間なのか、視線を少しでも外せば忘れてしまうという術が、このテーブルへの不要な視線と干渉を退けている。
突然、自分の前に揃った食事を口に運びながら、ニコニコと志貴の様子を窺っていた男が、自己紹介からずっと沈黙が落ちていたテーブルに口を開いて声を落とした。
「ずっと、君に会いたいと思っていたんだ。」
ニコニコと爽やかな、青く晴れ渡った空に輝く太陽が似合っている、笑顔の眩しい青年。その隣に座っている、オリビエと名乗った天使が言うには、最後に召喚された仮・勇者で、柊彰人という名なのだそうだ。
志貴が召喚された直後に、志貴の家の前からこちらに送られてしまったのだと言う。
着崩され、泥などの汚れも多く、解れも多く、一見では分からなかったが、その装いは某有名な宅配会社の制服だと、志貴は自己紹介を聞きながら気づいた。彼は、志貴の元に荷物を届けようとして、異世界に来る羽目になったのだった。
「いやぉ~『勇者の剣』なんて品名にあったから、どんな人なんだろうって興味があったんだよね。」
そしたら、君を召喚する為のもので、俺はそれに巻き込まれたんだって説明されて、本当に驚いたよ。
彰人の真向かいに座っていた志貴は、口に小さく切り分けた料理を運ぼうとしていた手を止め、オリビエと、ついでとばかりにエリーゼを一睨みした。
異世界の食事など恐ろしくて口に入れられない、という志貴にエリーゼが提案したのは、召喚されてきた人が食べて異変の無かったものを食べればいい、というものだった。
天使の中で一番上位にあるエリーゼには、仮・勇者達の情報が集まっていた。
志貴の直後に召喚されることになった彰人が、他の仮・勇者達とは違い何処の組織に属する訳でもなく、何処かの国に囲われている訳でもなく、そして影響力を発揮して有名になっている訳でもない。そんな状況で生活をしていることも、エリーゼの耳に届いていた。
だから、エリーゼは考えたのだ。
志貴と同じ召喚された人間である彼が半年間、お世話になっていた宿屋の食事ならば、志貴の言う危険性も少ないのではないのか、と。
それを提案したところ、志貴はそれなら…と渋々頷いた。
それで自宅を離れてやってきたこの店で、志貴は聞かされてもいなかった柊彰人との同席を突然知らされ、逃げる暇もなく食事タイムが始まったのだった。
半年間、彰人が食べていたという食事を頼み、目の前で彰人が口に入れたのを確認してから、という徹底した行為の末に、ようやく志貴が口に運ぼうとした時。それが、彰人が口を開いた瞬間だった。
志貴からすれば、勇気を振り絞って運んでいる最中に邪魔をされた上に、信じ難い事を聞かされたのだ。睨む目の力も一層強くなる。
だが、睨まれたオリビエは平然とした顔で、それを受け流すのだった。
「嘘はいけません。被害にあった方なのですから、誠実に対応すべきです。」
柊彰人を見守ることを担当している天使オリビエは、それが当然のことだと胸を張って言い切る。
エリーゼ達によって、この話し合いに向かう際に聞かされてはいたことではあったのだが、すっかりと手にしていたフォークを皿に置いた志貴は嘆息を漏らした。このオリビエは天使達の中でも一番の、融通の効かなさと、馬鹿正直さの持ち主だと、エリーゼ達天使は評していた。
馬鹿が。
志貴の小さく吐き捨てる言葉は、エリーゼにしか届かなかった。
「えっ?」
「いや…。そのそれなら、君は俺のことを憎んでいるだろうな、と。」
だが、音だけは届いていたらしい。
何か言った?と尋ねてきた彰人に、志貴は目を伏せて憔悴した様子を作ると、緩く口元に困り笑みを浮かべた。
誰ですか、というエリーゼの声なき叫びを背負いながら、志貴は「それも仕方ないよな。」と普段の様子を一切見せない姿を見せる。
「あっ。うん、まぁこの世界に突然連れて来られた、しかも本来の目当ては君で俺は巻き込まれただけって言うのを聞いた時は愕然として、イラつきもしたよ。」
それは当然だ、と志貴は思う。
だから、オリビエの行為は、志貴からすれば悪手の中の悪手だった。仮とはいえ異世界に来たことで理不尽な勇者補正を手に入れている勇者達の憎しみ、恨み、怒りが、志貴へと注がれるかも知れないという状況を、オリビエの行為は大きな確率で生み出している。
よし、家に帰ろう。
自分を恨んでもしょうがない事だ、と彰人には殊勝な表情を浮かべているその胸中で、志貴はさっさとこの場を切り上げて自宅に戻ってしまいたいと、エリーゼに念話を試みていた。
が、それがエリーゼに届くわけもない。
いや、届いていたとしても、志貴を外に連れ出すのが目的なエリーゼが素直に応じる訳もない。
「でも、俺こういうの好きだったから。楽しいから、もういいかなぁって。」
「楽しい?」
別にもう何とも思ってないよ。と志貴には眩しすぎる爽やかな笑顔で彰人は言う。
異世界の、半年にも及ぶ生活の大変さは、彼のボロボロになりかけている制服から見て取れる。なのに、楽しいと笑う姿が志貴には信じられなかった。
「この仕事に就いたのは半年前なんだけどさ。その前は、バイトで資金を貯めては、インドとかアマゾンとか、アフリカとか、そういう場所へ冒険しに行くっていう生活をしてたんだよ。ジャングルの中で一月過ごしてみたり、原住民と仲良くなって狩りとかしたり。流石に、27歳にもなると親に泣かれて、ちゃんとした仕事に就く事になったんだけど。だから、こんな未知なことに溢れている異世界なんて場所は、実はちょっと嬉しくて、親不幸だって事を考えなければワクワクが止まらないよ。」
「……却下。」
「えっ?」
「し、志貴様!?」
ガタッと志貴が立ち上がった。
「却下だ、却下。お前の案はやはり信じるに値しない!家に帰るぞ!!」
「えっ、な、何でですか!!!!」
先程まで殊勝な顔でいた志貴の変貌に、彰人が驚きの表情になる。
「同じ世界の方が、何の異変もなく食べているんですよ?なら、大丈夫じゃないですか!!」
「同じ世界?あぁ、同じ世界だろう。だがな、日本という安然とした場所で守りに守られた生活をしていた人間と、こういう過酷な環境に適応出来るようになった人間が全く同じなどという訳があるなどと思うなよ!」
ビシッと彰人を指差し、全く違う、あぁ恐ろしい、と志貴は『発作』を起こし始めた。
「あぁ、まぁ、その通りだけど。」
それらを聞き、彰人はただ苦笑を漏らす。同じ日本人だというのに、別の生命体と言わんばかりの持論を展開する様子に、怒るかと思いきや笑ってさえいる彰人に、エリーゼは驚いた。
「お、怒らないんですか?」
「いやぁ、日本との生活レベルとかの話をされると、否定できない経験ばかりしてるから。ここまで過剰反応されるのは滅多に無いけど、まぁよく言われることかな?」
「で、彼の話を聞く限りだと、君は俺を彼の毒見役にしようとした、ってこと?」
「……はい。」
「へぇ。」
で、でも聞いてください。
エリーゼは、彰人の何とも言えない反応に焦りを覚え、言い訳を口にする。
「で、でも、この志貴様は本当に困った人なんです!一緒に持ってきてしまった自宅から、恐ろしいと出ようともせず、自宅から出ないからと未だに勇者補正を得ようともしない始末なのです。彼には大切な役目があるというのに!!」
「えっ、家を持って来ちゃったの?」
「…はい。その、成行きで…。」
あちらでの暮らしがそのまま継続可能な状況を保っていると、エリーゼは説明した。
あちゃぁと彰人は手で目を覆う。
「それは駄目駄目だよ。どんな人なのかはオリビエちゃんから聞いてたけど、こういう人にとって自宅ってぇのは亀の甲羅、空襲下の防空壕。その中で即身成仏するのが本望っていうくらいな人達だもん。そりゃあ、異世界なんて場所に出てこようとしないよ、絶対。」
でも、と彰人は思案を始めた。
そして、志貴の『発作』が治まるのと同時に、彰人は口を開いた。
「ねぇ、志貴君。俺を君に家に同居させてよ。」
「は?」
なんで、そんな事を…。志貴はそう繋げ様としたが、彰人はそれを遮るように自分の提案を続けた。
「冒険生活は大好きなんだけどね、そういうのってやっぱり、帰る場所、家があってのことだと俺は思ってるんだよ。此処に来てから半年、この宿屋にお世話になっているけど、家って訳じゃないし。でも、君の家なら冒険から帰っても、ゆっくり体を休めることが出来ると思うんだ。」
「……俺のメリットは。」
「毒見でも何でもしてあげるし、外の世界から必要なものは宅配してあげる。ほら、俺って宅配が仕事だし。」
彰人の提案には、エリーゼがちょっとぉと悲鳴を上げた。
それはつまり、志貴が外に出ないで済む状況が続く、という事を意味している。
「俺は思う存分冒険をして異世界を満喫出来て、君は極力外に出ないで済む。」
どう?と彰人は志貴に決断を迫る。
「何、言ってるんですか!そんなの、許し…」
「俺達を勝手に異世界になんて連れ来た天使達の意見なんて二の次、じゃない?」
爽やかな笑顔に影を落として、彰人はエリーゼを一瞥した。
彰人は別に、真の勇者である志貴を恨んではいない。
でも、自分達の世界の出来事に、異世界の人間を巻き込んで終わらせようとしている、そんな究極な人任せを行う神や天使達には、少なからず怒りを覚えていた。
志貴のやりたいことを後押しするのは、そんな天使達への意趣返しの意味があった。
「……いいだろう。だが、俺の家は上にある。それでもいいなら、好きに住めばいい。部屋ならあるからな。掃除は自分でしてくれよ。」
「上?あぁ、あの空を飛ぶ謎の物体、あれが君の家なのか!」
志貴の自宅は、何処の大地に降り立つわけでもなく、空を浮遊し続けていた。
それは、何処かに降り立つことで国や組織に組み込まれることを防ぎ、天使達以外の侵入を防ぐという理由があってのことだった。
あの家の家主である志貴は、望むがまま自由に出入り出来るが、志貴以外の人間はエリーゼが敷いた結界によって、魔術を使って空を飛んだとしても辿りつけない。
そんな場所に自力で出入り出来るのなら好きにしろ、と志貴は言う。
「うん。それなら問題ないよ。俺の勇者補正は、空間跳躍。望んだ場所に跳べるんだ。」
勿論、一度は自分の足で降り立った所しか無理だけど。
「そうか。なら、好きにすればいい。」
毒見、という点では不安も大いに残るが、宅配するという言葉は魅力的だった。外の様子を、同郷の人間視点で知る事が出来るというのもまた、魅力的だった。
だから、志貴は彰人の提案に乗った。
それと同時に、志貴は自分の勇者補正を決定した。
『契約』
それが、志貴が望む理不尽な勇者補正だった。
そして、今まで拒んでいた勇者補正の授与はすぐに起こった。
志貴が望むがままの能力が、自分に備わったという実感が沸き起こった。
「うん。これから、よろしくね。」
記念すべき能力の一人目の相手は、28人目の仮・勇者、柊彰人となる。