勇者が考える、恐ろしき所業
恥ずかしながら、戻ってまいりました。
全三話で終わる予定です。
「困ったな。」
対して困ってもいなさそうな声で、前橋志貴は胸の前で腕を組んで思案していた。
彼が立っているのは、業務用冷蔵庫の前だった。
一度に大量の買い出しをすれば、そう頻繁に買い出しに行かなくても済む。そんな思惑もあって購入したそれは、買い出ししたばかりで充実していた中身を湛えたまま、考えもなく部屋全体を異世界へと持ち込んでくるという馬鹿な天使の所業を乗り越えてきた。
日本人にあった味付けの食材達が詰まっている冷蔵庫。
それだけでも、勇者達は大金を払い、または汚い手を使ってでも、手に入れようとするだろう。
故郷を突然離れることになった勇者達にとって、元凶たる志貴が暮らすこの家は、宝の山だった。
一年の大半を自宅に籠っている彼は、それらの時間を彼なりに充実させる為に多趣味だった。分譲の3LDK、広さにすると100平米という、独り暮らしの若造には必要のない自宅の中には、彼のそんな多趣味さを表すコレクションが山となっている。
基本的に、独り暮らしの彼はリビングで生活している。せっかくの三部屋の洋室はコレクションルームだった。
また、家族がバーベキューでも、というコンセプトで作られているバルコニーには緑が生い茂る。プランターに各種のハーブや、きゅうりやトマトなどの簡単な野菜。発泡スチロールで少しだが米も育っている。その中で、最も繁っているのは、グリーンカーテンの役割にと植えたゴーヤだった。
志貴が召喚されて、半年が経った。
流石に、溜め込んで大事に使っていた食材も底が見えてきてしまった。
冷蔵庫のドアを開けば、がらんとした空間が目立ち、中から流れてくる冷気とは別に寒々しさを感じさせる。納戸の中に、とあるゲームのように積み込まれていた段ボール買いの飲み物も半分程度にまで減っている。
冷蔵庫などの電化製品を使うことには、何の不安もない。
きっと、この半年と同じように、当たり前のように使用する生活が続いていくだろう。
だが、食料が無くなってしまったら?
これは、前橋志貴にとって、異世界に来て以来初めて、そして重大な危機だった。
「あぁ、グレース!テレビが消えちゃったじゃないか‼」
「だ、だって、アインが番組変えるから。私、観てたのに!」
リビングから、この家に住み込んでいる天使達の喧嘩する声が聞こえてきても、志貴はううむと唸りながら思案していた。
異世界。
志貴が当たり前のように安穏とした日々を過ごしていた地球の日本ではない。だというのに、二人の天使がリモコンを巡って戦いを始めている52インチという大画面に砂嵐を映しているテレビには、先ほどまで可愛らしい魔法少女が戦うアニメが流れていた。それを、アインという名の少年姿の天使が、渋さ溢れる大河ドラマに許可無く変えたことで、グレースという名の豊満な肉体を持つ美女の天使が電波を受信させるという役目を放棄してしまったのだった。
人を召喚するのだ。テレビの電波くらい、やろうも思えば繋がっているだろう。
ある意味、無茶苦茶な理論ではあるが、志貴はそれを天使に命じた。
自然を操れると言ったな。ならば、冷蔵庫とエアコンとテレビ、IH、後は時々洗濯機くらいか。動かす程度の電気を出して貰おうか。
100Vに調整して流し続けろ、とそれまで考えたことも、試したこともない無茶な要求をした。
それでも、志貴の要求に答える日々の中で、そんな役目を負った二人の天使達は日本の普通な生活、というものに毒されていった。
今では、役目を果たしながら番組争いをするほど、電気係と電波係の二人はテレビを愛し、時にはネットサーフィンやさまざまなゲームに興じ、堕落の一途を辿っていた。
「うるさいな。この時間は海外ドラマにしろと言っておいた筈だが?」
アニメ、大河、と戦う二人の天使達に考え事を止めて、志貴は睨みを効かせた。
天使が電波を受信してくれるのだ、ならば受信料も国も関係なく、どんな番組も映すことが出来るということだ。志貴はそれを利用して、日本ではレンタル開始を待つしか無かった海外の番組などを、この半年楽しんでいた。幸いなことに、志貴にはそれなりに幾つかの言語の嗜みがあったし、異世界ということでチートとは別に、自動翻訳という恩恵があった。それがあれば、どんなドラマも満喫することが可能だった。
「「ホラーは嫌なのぉ」」
志貴が無料でリアルタイムに見えるなら、と今の時間帯に電波を受信するように言い置いたのは、イタリアのホラードラマ。
中々のグロテスクな様子が気に入っている。
だというのに、ある意味ではホラーと紙一重の存在の癖に、電気係、電波係達はそれを全面的に否定するのだ。志貴は背中に大きな翼を持つ生命体を目に入れた。二人の天使達はそれまでの戦いを止めて、声を合わせて懇願してくる。志貴はそんな二人を鼻で笑い飛ばし、再び思案へと戻った。
「仕方ないのか。」
思案に戻ったものの、答えは一つしかない。
食べねば、人は死ぬ。
引きこもっている自宅の中から食料が消えるのなら、外に出なくてはいけないのは、馬鹿にでも分かることだ。
だが、その決断を鈍らせる程、志貴は異世界という外が恐ろしいのだ。
異世界の土を踏み締めたことは、何度もある。
流石に、全てが揃っているからと自宅に籠るのは難しいことだった。彼を異世界に召喚した天使エリーゼに引っ張り出される形だったが、志貴は異世界の土を踏み締め、異世界の空気で呼吸もした。
だが、まだ異世界の食物を試す、ということには勇気を持てずにいた。
「あっ、ようやく外に買い物に出る気になったんですか!?」
エリーゼ様に連絡を!
アインが冷蔵庫の前で眉を寄せ続けている志貴に改めて気がつき、歓喜の声を上げて上司にあたるエリーゼに連絡を飛ばした。
天使達も困っていたのだ。彼らの世界は今、28人の勇者達によって、様々な面、様々な意味で混乱が巻き起こっている。ほんの少しでも、監視役の天使達が下手をして、勇者達の行動範囲、理由が重なり接触するようなことになれば、大戦争にまで発展しそうな状況になっている。
それを止められるのは、彼だけなのだ。
神は今、不在にしている。
そして、神に次ぐ権利と力を持つ上級天使エリーゼは、あれな感じだ。階級故にあまり大声では言えないが、天使達はエリーゼがあまり考えるという方面では信用してはあれだ、と認識している。
この事態を治めることが出来るのは、神によって正式に召喚され、何より28人の勇者が存在しているという異常の元凶である彼しかいない。
だというのに、その真の勇者である前橋志貴は、エリーゼが持ってきてしまった彼の家から出ることを異様に嫌がり、天使達がどんなに説得しようと外に出たのは、無理矢理に外に出した数回のみに留まった。
その彼が、よくやく外に出ようと悩む様子を見せている。
これは、エリーゼを初めとする全天使に通達するべき出来事だった。
「志貴さぁぁん!ようやく、ようやぁくぅ!さぁ行きましょう、買いましょう。何が欲しいですか。私、お金一杯持ってますから、何でも買いますよ!!!」
はぁはぁはぁ。
玄関を乱暴に開け放ち、飛び込むようにリビングへと駆け込んで来た上級天使エリーゼの息は荒く、ここまでに来るまでにどれだけ全力を尽くしたのかが分かる。だが、その汗を流し、目を血走らせ、荒い呼吸を繰り返す口から志貴に向かって放った言葉は、その様子も合わせて怪しい人間にしか思えないものとなる。
これで、見た目がもう少し大人だったら、そして清潔感のない男の姿だったなら、即効で拘束されて牢屋の中に放り込まれる事になるだろう。
「さぁさぁさぁ、行きましょう。外はいいですよぉ。今は丁度、外は朝早くですからね。新鮮な食べ物が、野菜から果物、魚介類も肉も勢ぞろいしています。志貴さんの舌も満足させますよ、絶対!他の方々も皆、美味しい美味しいと言ってくれてますし!」
中には、元・料理人という方も居られて、こちらでお店を始められた方もいらっしゃるんですよぉ。
それは良い方の影響だから良かった、とエリーゼは目を輝かせる。良い影響だから、真の勇者として介入する程ではありませんが、何時かお店にお邪魔させて貰いましょう。こちらの食材を異世界風に料理するその店は大人気なのだとエリーゼは言う。アインもグレースも目を輝かせて、私達も、と言っている様子を見れば、天使達にも好印象な仮・勇者なのだろう。
が、志貴はそんな天使三人の反応を、顔を歪みに歪めて、唾棄するように見るのだった。
「……信じられん!!!」
そんな恐ろしい事を仕出かす勇者が居るとは!
いや、これもある意味ではよくあるものか。いや、だが、それは小説の中での話。現実に、そんな事を仕出かしてしまうなんて、しかも元・料理人が!!
あっ、これは復讐ではないのか!
突然、送り込まれて異世界という環境に、その料理人だという勇者は復讐しよう…いや、違う。これは自殺ではないのか!でなければ、そんな恐ろしいことが出来るわけがない!!!!
「ほ、発作。なんでぇ!!?」
「今の何処に、発作を起こすようなものがあったんですか?」
「食べ物?確かに、志貴様は異様にこの世界に食材について怯えていらっしゃいましたが…」
半年も経っているのだ。志貴が突然、自分の言い分を口にするだけ口にして、突拍子もない方向へ思考が向かっていき、暫くの間帰ってこなくなるその行動に、天使達は慣れていた。
天使達には何時起こるか分からないそれを、彼女達は『発作』と呼ぶようになっていた。