下
ふっ、ふふふ。
ヒステリックに叫んだ少女が、突然笑い出した。
今度は何を考えているのか、今まで聞いたことのない様子の笑い声に、無反応を決め込んでいた男も顔を上げた。
今日は何時もとは違いますから。
少女は笑う。
その言葉の音に本気の色を感じ取った男は、警戒を露にした。
「数多存在している世界を司っている神々の中でも、随一と言われる神より、貴方が進んで召喚されてくれる術を教わってまいりました。」
男が属するこの世界の神でもなく、少女が仕える神が治める世界でもない、また別の世界の神に少女は頼っていた。
そして授けられた術は、その神が言うには確実に上手くいくのだそうだ。
「ふん。そんなものがある訳がない。」
「いいえ、あるんです。」
男が凄んでも、少女は余裕の表情のまま、その懐から一本の荒縄を取り出した。
「なんだ、その紐で縛って連れて行くつもりか?」
原始的な、と男は笑い捨てる。
もしそうなら、大人しく縛られなければいい。
「確かに、これは縛るためのものです。でも、貴方を縛るのではありません。これは・・・」
少女は満面の笑顔で、荒縄を空中に放り投げた。
重力に従い、普通だったら床へと落ちている筈の荒縄は、少女の手から放たれた瞬間に、生きている蛇のように空中で動き始めた。
しゅるしゅる、とその荒縄は少女の背後へと回っていった。
何をするのか、男は目を鋭く細めて、少女がしようとしていることを見定めようとした。
「これが縛るのは、私の手です。」
「はっ?」
何時も驚かせているのか、少女を男が、である。それが今日、出会ってから初めて、男を少女が、驚かせることが出来ている。少女はそれが嬉しくて、笑みを深めていた。
「この一年、この街で多くの人が行方知れずになっています。」
何を言い出すのか、男の眉間の皺が深くなる。
「最後に目撃された場所も、時間も全然違いますし、それぞれの行方不明者達の関わりもない。でも、一つだけ共通点がある。それを、警察はようやく気づいたようですよ?」
「まさかっ、」
「そう、貴方です。その全ての場所に、その時間に姿を見せていた貴方を、警察は疑っています。」
疑わずとも、確かに原因は男だった。もっと言うのならば、少女だって関わっている。
ブインッ
光輝く召喚陣が、少女と男の間の床に浮かび上がった。
「ふふふ。行方不明者達に唯一共通している貴方の家に、今彼らは向かっています。そして、そんな家に、少女が縄で縛られていたら?」
さぁ、どうしますか…?
ピンポーン
少女がそう囁いた時、なんとも言えないそのタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。
前橋さ~ん。いらっしゃいませんかぁ~?
「あっ、これは…」
少女が後ろ手を縛られた状態のまま、玄関を振り返った。
トォゥッ‼
「はっ?」
正義の味方の完璧な真似が出来ているポーズで、掛け声も共に男は召喚陣の中に飛び込む。玄関から顔を戻した少女は、丁度宙に浮かんで飛び込む瞬間を目にした。
「ちょっ、早っ‼」
い、今までの私の苦労は何だったんですかっ‼と少女は叫んだ。
どんな手を使おうとも、人を犠牲にしてまで召喚を避けていたというのに、男はそれはもうとてつもない決断と素早さで、召喚陣に自ら飛び込んでいた。
確かに、教えを乞うた神は、確実に召喚を選ぶといっていた。
だからといって、効果が抜群過ぎる。
だが、もしも男がまだこの場に居たのなら、こう説明してくれていただろう。
『子供に拉致監禁し手を出そうとしていたなんて世に知れたら、人生オワタ状態だ。例え罪を償って出てきたとしても、必ず名前は世間に漏れている。何処に行こうと、何をしようと、周囲から冷たい眼差しを受けて、一ヶ所に留まれなくなる。その上、今回の件には一切関係のない趣味や人間関係さえも暴かれ、あぁだ、こぅだ、と晒し者にされるのだ。』
そんな恐ろしい事を味わうくらいならば、異世界の方がマシだ。
それが、男が自ら召喚陣に飛び込んだ理由だった。
自己保身と自己愛の塊のような男らしい理由だ。
「わ、私の今までの苦労って…」
少女はうちひしがれ涙を流すが、それでも目的は達成出来たのだ。
気を取り直して、少女は男が召喚された場所に自分も向かおうとする。
だが、その動きは止まった。
キョロキョロと室内を見回して、少女は眉をしかめる。
「パソコンにテレビ、エアコン、加湿器…あぁ、使っていない電化製品のコンセントが刺しっぱなし!ていうか、なんですか、この蛸足配線は!」
エコを何だと思ってるのかしら!
というか、火事になりますよ!
男の趣味なのだろう、分厚い書籍が大量に平積みにされている室内は、漏電などによって小さな火花が生まれても、大きく炎上してしまいそうな様子だった。
周囲の住人に迷惑にならないようにコンセントを抜いていかないと、と少女はお節介とも呼べる気遣いを見せる。
だが、冷蔵庫を目にいれて悩む。
コンセントを抜いてしまったら、中のものが腐って異臭騒ぎが起こってしまう…。
どうしようかしら…?
しばらく考えて、少女は思い付いた。
あっ、この部屋の全てを、彼が送られた場所に持っていってしまえばいいのよね。
実をいえば、少女は異世界でも最上位である、神の片腕である存在だった。なので、部屋という空間ごと持ち運ぶ事も、容易かった。
うん、そうしよう。
少女は翼を広げ羽ばたかせると、一瞬にして姿を消した。
それと共に、少女が考えた通り、男の家である空間も消え去った。残っているのは、真っさらな埃一つ落ちていない状態の部屋だった。
ピンポーン
来訪者を告げる玄関のチャイム音が、虚しく部屋の中に響いた。
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ピンポーン
「やっぱり不在かぁ~」
腕の中に細長い箱を持った宅配会社の制服を纏った青年が、数回目のチャイムを鳴らし、返ってこないという反応を確認した。
不在の場合に置いていく決まりとなっている紙に、必要事項を書きながら、青年はがっかりと肩を落としていた。
「こんな荷物を贈られてくる人って、見てみたかったんだけどなぁ~」
箱の送り状の品物欄には、『勇者の剣』と書かれている。
まず、それがどんなものなのかも気になったし、これを受けとる前橋志貴という人物にも少しだけ興味があった。
だが、不在ならば仕方ない。
再発送が何時になるかは分からないが、自分が来ることの出来る時間だといいなぁと思いながら、青年は配送トラックに戻ろうと踵を返した。
パァァッ
青年の抱えた細長い箱が光を放ち始めた。
「えっ、はっ?ま、まさかの、爆発物!?」
投げてもいいよな、と荷物を大事に扱わなければというプロ根性と格闘し、箱から手を離そうとした時だった。
箱から放たれる光はより一層強い光で周囲を真っ白に染め上げた。
そして、その光が消えたとき、箱も青年の姿も、マンションの廊下からは消えてしまっていた。
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想像力豊かで、自己保身が強く、自己愛に溢れた男。
前橋志貴、22歳。
世話焼きで、目的の為なら一直線な最高位の天使を連れた彼が、彼のコレクションが詰まった自室に籠りながら、28人の仮の勇者達が勢力を築く世界で何を成すのか。
それは、まだ誰も知らない。