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「これは何だ?」

 ファーヴの懇願に答えることなく、自分の姿を棚に置いた志貴はエリーゼに、連れてきた白いそれは何なのだと問い掛けた。

「この世界にも、こんな姿をする人が居たんだね?」

 志貴よりも、いや多分全ての仮勇者の中でも数多くの土地を巡ったであろう彰人も、防護服風の姿をした人物に興味を示した。

「その背中の膨らみ、勇者に付いてるって事からも、まさかまさかの天使だよね?」

 志貴よりも視野の広い彰人が気づいたのは、天使であるファーヴの翼がある背中。白い布の中に収まってはいるものの、大きな膨らみを作り出していた。


「はい。これは勇者の一人、柊幸希ひいらぎ ゆきの補佐を任せている天使ファーヴです。この姿で突然現れ、志貴さんに会いたいということで連れてきました」

だから彼の願いは今初めて聞いたのです、とエリーゼも首を傾げている。それでも、志貴達に初めて顔合わせするファーヴを簡単に紹介したエリーゼは、ファーヴを振り返り苦言を呈す。

「先程の私の言葉を聞いていたでしょう?その失礼な姿を改めなさい」

頼み事をするというのなら特にしっかりとした姿を晒しなさいと注意する。

だが、ファーヴは上位者であるエリーゼの言葉を受けることを、首を横に振って拒絶した。真の勇者である志貴や、最近では『放浪の賢者』として並みの天使よりも人々の信心を集めている彰人を前にして、非礼の何物でもないと、それはファーヴも理解している。

けれど、彼にはこの姿を改めることの出来ない、理由があった。

「いえ、それは幾ら麗しのエリーゼの命令であろうと無理なのです。いえ、貴女に愛を捧げるからこそ、それをすることなど私には考えることもおぞましい」


「どういう事なのですか?」

 身振り手振り、一人スポットライトを浴びている主演男優のように、自分の考えをエリーゼへと伝えようと語るファーヴの姿に、志貴も彰人も呆気に取られて見入ってしまっていた。その中で、彼の言葉に疑問を向けることが出来たのは、慣れているエリーゼだけだった。


「これは万が一にも麗しき貴女に恐ろしき病を移さぬ為に必要な事なのです。どうか御了承下さい」

 あぁ!

 ファーヴが突然、大きな苦悩の声を上げた。

「この姿で悲しいことは一つ。貴女に触れぬことが出来ない事だ!」

 頭を抱えて身悶えるファーヴに、エリーゼは冷たい目を向け、あの志貴でさえ「どうしたものか」という困惑した様子を見せた。

「勇者シキ!貴方もきっと、この想いを理解してくださっているでしょう。このもどかしい様を!」


「…いや、分からないな。エリーゼ、何なんだ?これは?」


 エリーゼに触れられない悲しみを理解してくれるだろうと言われても…、と志貴は首を傾げる。

 彼にとって、この姿は身を護る為の必要不可欠な術でしかない。その為ならば、人に触れられないことも、飲食も極限まで耐え忍ぶことも、苦ではない。


「彼の言葉から推測するなら、志貴君の同類?でも、この世界に感染なんて考え無かったよね?じゃあ、その柊幸希が、志貴君の同類?」


そう考察した彰人は志貴から一歩引いた場所にたつ。だからこそ、志貴にはその声は届いても、彰人の表情を見ることは無かった。

志貴君が二人…なんて面倒臭い事なんだ、と何とか笑みを保ちながらも、ひきつり歪んだ彰人の表情を。






 そもそも、どうして志貴がこんな姿をし出したか、というと。


 『関東地方ではインフルエンザによる学級閉鎖が相次ぎ、休校となる…』

 この世界でこの部屋だけにしかないテレビが、今まさに元の世界の日本で放送されているニュース番組を伝えてくる。政治の問題に事件・事故、天気、そして芸能人のスキャンダル…。

 朝の忙しい時間に芸能ニュースを流す必要と意味はあるのか、と志貴が発作を起こすという一幕もあったが、こちらの世界も朝を迎えていたということで穏やかでゆったりとした朝食の時間を過ごしている時だった。勇者の一人であるケンイチが住んでいる村から届く食材と、それを加工することで作った調味料によって、完璧に再現出来ている和の朝食。御飯にお味噌汁、漬物、納豆、魚の干物…。天使達もすっかりと、志貴の作り出す和食に嵌まっていた。

 そんな中、テレビ画面からは毎年毎年、冬になると決まって世を賑わせる話題が取り上げられた。


 インフルエンザ。

 インフルエンザウィルスによってもたらされる、ウィルス性呼吸器感染症。

 毎年流行しては、学級閉鎖、学年閉鎖、酷い時には学校自体が閉鎖されてしまうという、冬の定番だ。流行の前にワクチンを接種する人も多いが、ウィルスの型が違ってしまえばワクチンの効果は全く期待出来ず、感染してしまう。歴史の中で何度も、世界に死をばら撒いた実績があった。


 天使達は異世界の事だと何も考えずにそれを聞いていた。

 だが、志貴は違ったのだ。


 ウィルス、細菌…。この世界にそれが存在していないと、誰が決めたのだ!


 発作が始まったのだ。

「彰人が言っていた限りには、この世界の医学はあまり発達していないことが理解出来る。まぁそれは仕方無いことだろう。魔術による治療が出来てしまうのだからな。傷があれば術で治癒させてしまえばいい。風邪などの病に効果のある魔術を使う者も少ないながら居るらしいな?それがあるのならば、わざわざ身体を切り裂くという行為をせずともに済む。どんな屈強な戦士であろうと、不要な痛みを負わねばならない治療は避けるだろうからな」

「全く居ないという訳ではありませんが、確かに魔術に頼らない医師という方は少数ですね」

「身体の隅から隅までの構造理解と知識が無ければ治療の基本さえも成り立たない世界に比べれば、簡単お手軽なものだ。そうであるのなら、僅かな傷からでも死の原因としてしまう細菌の存在に、この世界の医学が辿り着けなかったとしても無理は無い。それの存在を知る前に、怪我や病を消し去る術があるのだからな」

 志貴が突然、食卓の上に鎮座している納豆を指差した。

「この世界に菌は存在している。これがその証明だろう」

 実はその納豆、ケンイチの住んでいる村で生産されたものだった。

 志貴が提供した知識を元に、村に元から存在している藁と、志貴が種を授けた大豆を使って作られた、納豆。納豆を作るのには納豆菌と呼ばれる細菌が必要だったが、志貴はあえてそれを提供することは無かった。提供せずに作れるか、という試験だったのだ。そして、その試験は成功した。この世界の藁には納豆菌が存在していることが証明された。

 これの他にも、醤油や味噌など勇者達には喉から手が伸びる発酵食品の数々も現地の材料での生産が成功したし、この世界にも元からチーズなどの発酵食材というものは存在していた。

 勿論、発酵食材が細菌によって誕生するという概念自体が、この世界に存在しているのかという問題もあるが、すくなくとも志貴がこちらの世界で作った食品には、しっかりと細菌が存在し、出来は上々だった。


「もしも、この世界に細菌、ウィルスという存在は無かったのかも知れなくとも」


 ゴクリ。

 志貴は自分が口にしようとしている考えに、自分で怯え、唾を飲みこんだ。

「だが、もう手遅れだ。28人の勇者達がその存在をこの世界に持ち込んだ!あぁ、恐ろしい!恐ろしい事が起きるぞ!!」

 先程のものよりも激しい発作の始まりだった。


「28人の勇者達。つまり、28通りの生き方をしている人間がこの世界にやってきたということだ。細菌やウィルスの存在を知らない人間、動植物が生きている異世界に、28の生活習慣、生活環境に生きてきた、細菌とウィルスをどれだけ保有しているかも分からない得体の知れない存在が。日本人として日本に暮らしていても保有していたかも知れない細菌、ウィルスを考えただけでも、その数は多い。納豆菌などの有益な種類も多いだろうが、細菌ならば結核菌などの有害なものの他に、日和見菌という適当な状況になった時に有害なものに変化する大腸菌も存在している。結核は近年の若者の中で掛かるものが増えていると言われているからな。28人も居るんだ、一人くらいは発症はせずとも保有しているものがいるかも知れない。そして、ウィルス!これが問題だ!」

 恐ろしい、恐ろしい!

 突然、志貴が行動を開始した。

 発作の最中、息をつく間も無く語り続けていることが多い志貴がそのように、話ながら動き出すということは全く初めてのことだった。

 エリーゼが驚きながらも、その背中を追う。志貴は多くの物が押し込められている部屋の一つに駆け込み、開け放たれたままの部屋の中から、その語る声は絶えず聞こえてきた。

「ウィルス。これが勇者達について、この世界にもたらされてしまったのなら、これほどまでに恐ろしいことはない!インフルエンザだけではない。天然痘、ヘルプス、水疱瘡、B型肝炎に風疹、狂犬病、コンゴ出血熱、コレラ、エボラ!」

 彼が恐ろしいと恐怖に打ち震えるに任せて吐き出していったウィルスの中には、日本ではまだ確認されていないものが含まれていた。だが、それを聞いている相手がこの世界の天使であるエリーゼ。此処に彰人さえ居てくれたなら、世界中を旅していた彼のこと、適切なツッコミを入れてくれたことだろう。だが、今はタイミングの悪いことに旅の最中。志貴の語るその口を止めてくれる人は居ない。

「ウィルスが生物であるか否か。これは長年における終わらぬ議論だった。細胞をもたない、遺伝子だけの存在。細菌は微生物として単細胞生物に明確に区分されている。だが、ウィルスはそうではなかった。だが、最近になって発表された論文には、ウィルスが間違いなく人類と共通の祖先から発生した生物であるとされていた。これが真実であるというのなら、今の状況においてこれほどまでに恐ろしいことがあるだろうか!」


いや無い!


ガタッ

シュコー


漸く部屋から出てきた志貴は、真っ白な完全防御服と言えばいいのだろうか、細菌もウィルスにも触れてたまるかという意思だけをひしひしと感じさせる姿をしていた。



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