そして増える契約
「話は分かった。だが、いいのか?」
サングラスに、黒いスーツ姿。
彰人はその、油断してしまうと日本に戻ったのかと錯覚してしまいそうになる姿のまま、目の前で凄んで見せてくる桐生辰巳に、返事の代わりとばかりに微笑んで見せた。
これが日本での光景ならば、世界中を旅して修羅場を潜り抜けたという経験はあるものの、一介の一般人でしかなかった彰人はこんな余裕のある姿、表情で相対していられなかっただろう。だが、異世界という危険と未知の溢れる世界をあっちへこっちへと動き回り、それなりに、と自分でも自信を持てる程度に彰人は戦い抜いてきた。桐生辰巳にその部下達という、どう見てもそっち系にしか見えない強面の、日本人ならば滅多に無い顔の大きな傷痕にも怯むことなく、対等に話し合うことが今では出来るようになっていた。
余裕があり過ぎて、彼等が普通に着用している黒いスーツを目に入れる度に、色々と考えてしまう程だ。
色々と…そう、その最たるものは、違和感だ。
日本でなら、「あぁ」とか「目を合わさないように」などと思う姿だが、此処が異世界だと考え、実際に彼等が本拠地としている木で出来ている壁に床に天井、機械類など一切ない内装と共に見ていると、強い違和感しか感じない。そう感じるということは、彰人の感覚がこの異世界に馴染み溶け込もうとしているということでもあるとは思うのだが、それでもその姿は目立ち、否応が無しに目を引く。
この世界に降り立ち、彰人を始めとする勇者達がまず行ったこと、それは服装を改めることだった。それぞれがこの世界の光景を見回して感じたイメージから、この世界の文明文化を中世ヨーロッパに例えた。王侯貴族に馬車、ドレス、テレビやアニメ、教科書などによるイメージだが、まぁ彼等が最初に抱いたイメージは生活の中でもあまり変わらなかった。違うことといえば、魔法・魔術・魔道具というものが珍しい、高価とはいえ普及し、魔獣などの脅威に常に襲われているということだ。日本などよりも危険が多く、人権も重視されない。基本的には力無くしては生活もまま生らない。そういった事は地球でも一昔ほど前に遡れば欧米諸国や日本でも普通だったと、彼等は義務教育の中で知っている。その世界であって、日本で普通に学生やサラリーマンなどの通常の生活を営んでいる途中で降り立つことになった彼等の服装は、周囲に一切馴染むことが許されず、悪い意味で大きく目立って仕方無かった。自身のことを隠して周囲に溶け込もうにも、旅をするにも、その目立って仕方のない服装は、周囲から拒絶される壁の役目を果たしてしまう。地上との関わりを持たずして生き延びれた若干一名を覗けば、服装を改めねばと思うのは当然のことで、彼らを見守ろうとそれぞれの下に派遣された天使達も、その後の協力や関わり方などには関係なく、その調達には積極的に協力した。
余談だが、彰人がこの世界を志貴の前で「中世ヨーロッパみたいな…」と評した事があった。それは、志貴の下に彰人が世界中を歩いて集めた、地球にあったものの類似品-全く同じということは志貴の『発作』と何度も誘発したので避けることになった-を見せ、彰人が毒見をして見せていた時のことだった。
バルコニーから地上の風景をちょこっとだけ、チラ見する程度だった志貴の興味をもっと引き出そう、あわよくば地上に一度でもいいから降り立たせようという、彰人による老婆心からの地上の話の、その中での何気ない言葉だったのだが、それは志貴を大きく反応させた。
志貴は、彰人が持ち込んできた紅茶の茶葉が入った小壺を掴むと、晴天の下のバルコニーから地上へと放り投げたのだ。「あぁ!!!」と叫んだのは、彰人に天使達だった。
慌てて天使達が地上を確認したところ、その茶壷が地上の人間に当たって死傷者が出たということは無かった。だが、丁度タイミングが悪く部屋の真下で大きな口を開けて欠伸をしていた人間以上の大きさの亀の喉に、空から落ちてきた茶壷が入ってしまった。それによって喉に違和感を覚えた亀が何度も咳き込み、それでも喉の気持ち悪さが取れなかった亀が近くにあった街を壊滅しかけた、という事態に陥ってしまったのだが、志貴はそれを知ることなく彰人の前で『発作』を起こしていた。
「中世ヨーロッパだと!?何と恐ろしい。そんな恐ろしい世界の紅茶を!あっ、さ、触ってしまったな。手を洗わないと…いや、アルコールで消毒を…。にしても、地上に降りることなくあれたことは幸いだったな。そんな野蛮で恐ろしい地上になど、足をつけるのもおぞましい。」
「ちょ、中世ヨーロッパって事が駄目って!?」
「中世ヨーロッパといえば、暗黒の時代と一般的に称される時代だ。戦いに次ぐ戦いによって、古代より受けついた文化が衰退し、技術・知識が掻き消され、人々の生活は一気に停滞したといわれている。貨幣が価値を失い、自給自足がそれぞれの街、村に強いられた。カトリックこそが至上のもの、唯一のものとされ、それに反する全てが異端とされ、排除され尽くした。水を有毒と信じた人々は身体を水で清めるといことを止め、体から発する悪臭を強烈な香水の匂いで誤魔化した。髪の長い女達の頭にはしらみがわき、芳しくない衛生状態に疫病が疫病を呼ぶ。排泄物は家畜に食べさせればいいという考えによって、街のあちらこちらに家畜が放し飼いにされ、排泄物は庭に路上に、よくても川に、しかも流れがいいとは言えない川へと投げ込まれる。貴婦人が差す傘は降り注いでくるそれらを頭に被らずにすませる為、かかとを高くしたハイヒールは地面のいたるところに落ちるそれらを踏まない為。男がマントを羽織るのも貴婦人の傘と同じ理由とされ、女性を連れ添う際に建物側を歩かせるのは、頭上から勢いよくまかれるそれらが道路の中心に降り注ぐからと言われている」
恐ろしい、と志貴が『発作』によって叫んだ内容に、彰人が反応するよりも早く、天使達が声を荒げた。それは、恐ろしいと『発作』の最中である志貴にではなく、彰人に向かって。
「あ、彰人様!この世界のことをそのように見たんですか!!そんな可笑しな街なんて、何処にもありません!ゆ、勇者様達が皆、中世ヨーロッパみたいだって口を揃えて言うから、そういうものなのかと口を出さずにおりましたが、そ、そんな意味だったなんて!」
酷いです、と天使達が涙を滲ませて彰人に詰め寄った。
「人々は食事を手づかみで食べる。ろくに洗いもしていない手で、パンを掴み、サラダをつまみ、肉を貪り、スープは皿から直接飲み干し…。紅茶には藁や家畜の糞が混入されている。」
「いやいやいや!」
「そんなことありません!」
「そもそも、ヨーロッパにおける中世とはルネッサンス期となるまでの1000年あまりを指すと言われている。その為、15世紀になって初めて紅茶が入ってきたのだから、紅茶文化を中世ヨーロッパに位置づけるのはどうかと思うが、お前が紅茶を持ってきたのなら、そうイメージを持っているということだろう」
「あっ、そうか!」
天使達と共に志貴の『発作』に声を上げていた彰人が、ある事に気づいた。
志貴はある勘違いをしているのだと。
「志貴君。志貴君。君は大きな勘違いをしている!」
「勘違いだと!?」
「そうです、そうです。私達の世界はそんな恐ろしい…」
彰人の指摘によって顔を上げた彰人に天使達が意見を述べようとするが、彰人はまた、天使達とは違う意見を口にしたのだった。
「普通に中学高校で世界史をしただけの人間に、志貴君みたいな知識は無いから!」
世界史や日本史の授業なんて、子守唄を聞きながら熟睡する時間なんだよ、普通は!
と真面目に授業を聞いていた学生達や授業を行う教師に対してなら、暴言としか言いようがない発言を彰人は投下したのだった。
「中世ヨーロッパって言ったら、馬車にドレスに、王様、貴族様!馬に跨って剣で戦う。あとは、神様を信じてる。それだけ!」
「…そうなのか?」
「そう。だから今、志貴君が口にしたような状況はこの世界で、まだ俺は見たことない」
「そうか。ふむ。なら、そう大袈裟に恐れずとも…いや、うぅん…」
「また、色々買ってくるけど。今度は捨てないでよ?」
この高さからの落下物って、普通に人殺せるからね?
彰人と志貴のやり取りに天使達はハァと疲れがよく分かる息を吐き出し、そして余裕の出来た耳に飛び込んできた音に気がついた。
ゲホッゲホッという咳き込む音と、破壊の音。
バルコニーから地上を覗けば、強力な魔獣に位置づけられる大亀が街を襲っている光景。
天使達は慌ててバルコニーから飛び降りていった。勿論、電気係と電波係を抜いて、であった。
「善処する」
「よろしく」




