中
二年という月日が流れるのは早い。
こちらにやってきたばかりの勇者達には行わなければならない事が多いのだから、それは当たり前のことだった。五人目の勇者ケンイチのように一箇所に留まり定住しようと決めたのなら、住む場所を見つけ出して、生活の地盤を作らなければならないのだから、時間はいくらあっても足りないくらいだろう。定住しないという道を選んだのならば、旅をする為の術を身に付けて、力を得なければならない。この世界の貨幣というものが無ければ旅に必要なものをそろえることが出来ないのだから、貨幣を得る為に何かをなさなければならない。
勇者達-若干一名の真・勇者を除いた彼等にとって、二年という時間は瞬く間に過ぎていったのだ。
だから、当たり前に起こっているとばかり思っていたそれに異変が起きていたなどという些細な変化に、彼等が気づく事は出来なかった。
それにいち早く気づいたのは、ケンイチにとっての村人達のような、彼等の傍近くで彼等の生活を温かく見守ってくれている現地の人々だった。
「そういえば、こっちに来てからさ」
志貴の家では、それは彰人が気づいたことだった。
あまり地球での生活から変わらない自堕落ともいえる日々を過ごしている志貴よりも、外に出たりと楽しげに異世界の冒険を楽しんでいる志貴の方が、その変化に気づきやすかった。
「前髪とかあんまり伸びてこないよね?」
掃除と整理の中、発掘したバリカンやヘアアイロン、何故か練習用だと美容師が持っている頭だけのマネキンなどを見つけたことも、彰人が気づくきっかけだった。
髭に髪、爪、地球ではまめな者で月一、ずぼらな者でも爪くらいは数ヵ月に一度は切っていた。だというのに指摘されて、はたっと気づいてみれば、 「そういえば」と。自分達が髪や髭、爪を切らなくてはと思うほど煩わしいなんて、こちらに来てから思っただろうか、と。
地上で忙しさにかまける彼らの場合、彼らよりも彼らの行う物珍しい全てを見ていた人々が、自分達には起こるのに彼らには起こらない自然の現象を不思議に思って、そしてそれを口にしたのだ。
だが、別にそこに怖がる素振りは無かったと、後から彰人に聞かれた勇者達全員が苦笑して答えた。
だって、神に遣わされた人だから。だから、私達と違うところがあっても納得出来た。そう言われたのだ、と。
「神が遣わした方々が、役目の途中でくたびれてきたら、なんか嫌じゃないですか?」
それに、何年かかるか分からない中で体力が落ちていってしまうのも危険ですし。
それは、天使による配慮、だったらしい。
この世界の民へ、そして勇者達への、天使達の優しさなのだそうだ。
天使達の中でも、二番目三番目程の地位にある高位の天使クルーゼが独断と偏見によって行ったこと、とクルーゼの上司しにて最上位にある天使エリーゼはしどろもどろに言い訳をしてみせたが、志貴や彰人の冷え切った視線が彼女や部屋に居たグレース、アイン達に突き刺さった。
上級に位置する天使という者達は碌なことをしない、とは志貴の言葉だった。そして、彼による追求と、何時もの暴走の発作の始まりとなった。
「み、皆さんの身体に流れている時間を遅らせて…」
「遅らせた?どの程度だ」
「クルーゼによると、計算しやすいように十二年で、勇者様達には一年の時間が訪れるように、という程度だそうです」
「一年が一ヶ月かぁ…そういえば、あんまり空腹も感じないし、トイレに行くのも減ったかな?」
そう気づいた変化、というか異変は爪や髪だけでは無かった。一日三食とまではいかないまでも、一日一食でも人は食事をするものだ。なのに、忙しいから忘れた、食事をとる資金がない、という理由以外でも彰人達は食事の量が無意識の内に減っていた。お腹が減らないのだ。空腹を感じない上に、食べなくても平気なので平気で数日とか食事を抜いている時があった。
食事したものの消化が遅いのだから、お腹が減らないのも当たり前だったと、エリーゼによる説明で判明した。
勇者となった女性達も数人居るのだが、彼女達は月に一度訪れる女性特有のものが来ないことを不思議に思ってはいたらしいが、異世界という環境に適応しきっていないストレスによるものと考えていたらしい。自分達の体の異変に気づかされた時に派遣された天使の謝罪と説明を受けて、納得していたと言わなくてもいいのに、男である志貴や彰人に説明するエリーゼに、「やっぱり上級天使は…」と志貴だけでなく彰人も零した。
だが、それによって志貴は目を大きく見開き、何かをブツブツ考え始めた。
発作の兆候なのだが、何が恐ろしいと感じたのか。
そんな志貴を隣に、エリーゼは男にとっては何とも言えない、どうしようもない説明を続けた。
逞しいというか何というか、この世界に来て一年も経たない内に恋人を作った、いわゆる肉食系女子という女性が居たらしく、「子供ってどうなるの?」という疑問を零したらしい。彰人よりも年上、世界的にみても若く見える日本人の中でも童顔な部類に入るその女性の見た目は、欧米系な人間が多いこの世界では年齢より十歳以上も下に見られる。それは彰人も世界を移動し続けている中で体験したことだったが、女性にとって見た目はどうであれ、実年齢については妊娠出産においては重大な事柄だ。しかも、日本程の設備などある訳のないこの世界でなら、特に。可愛らしい顔から鋭く向けられた眼光に、説明に赴いた天使はただ、「至急、調査の上、またご説明にあがらせて頂きます」と土下座して帰ってきたようだ。
年齢の事を抜いても、十月十日、エリーゼの説明にあるクルーゼの仕業によると、十年も胎内で育むことということになるのだろう。その期間、動きを制限されることなどの危険性、勇者同士でも感覚は普通なのだから長過ぎると感じるその年月、どう考えようと由々しき事態だ。
「下手に怪我をしようものなら、恐ろしいことになる」
ブツブツと呟いていた志貴が声を高々にした。
「怪我を負った時、人の体の中では好中球、線維芽細胞、血小板などが活性化し、傷を治す。これは十二から四十八時間で行われることだ。十二年が一年?ならば、俺達が傷を負った時に、私達の体である細胞達は怪我を受けた直後に機能しないということだ。おおよその計算でいけば、俺達の一日は十二日から十三日。つまり、俺達が受けた怪我の治癒活動は、早くて六日、遅くて二十二日程度からようやく始まるということだ。それがささいな怪我だといっても、そこから人体に有害な物質や菌が侵入したら?それらから身体を守る好中球が動き出さないのだ、俺達の身体に流れている時間など関係のない菌は何の妨害も受けることなく俺達の身体を良いように蝕むことになる。怪我だけでないな。この世界に菌やウィルスを原因とする病気があるかは分からないが、それらが体内へと入ってきた場合、免疫がしっかりと機能するのか。いや、しないだろう。薬を飲んだとしても、それらが消化されて体内へと吸収されるのも、病気が蔓延していくよりも遅くなるに違いない。いや…」
「だ、大丈夫です。この世界には、治癒魔法に魔法薬という地球には無い技術があるんですよ!?それを使えば、自然治癒がなどと言わずに、一瞬にして怪我を治してしまえます!」
「治癒魔法だと!そんな恐ろしい!!」
はっ?
普通、治癒魔法というものに、勇者達は感動を覚えるものだ。
薬を飲んだり、手術をしたり、と地球で行われる医療を考えれば、大概の怪我を一瞬にして治してしまう力は凄いと思うのだろう。病気に関しては、それが作用して治る人と治らない人が居るらしい為、薬を使うしかないのだが、その薬さえも魔法薬という地球には無い素晴らしい効果を発揮するものなのだ。簡単な病などは、魔法薬を一つ飲むだけで治してしまう。
なのに、エリーゼが口にしたそれを、志貴は恐ろしいと何時もの言葉を吐き捨て、顔を強張らせた。
「それらはどのような仕組みによって傷や病を治しているのか、それさえも判明していないというのに簡単に利用、服用など出来るなど、何を考えているのだ!細胞の増殖を活性化させて怪我を治すのか、それともその部位だけの時間を蒔き戻し、傷の無かった頃まで戻すのか。薬においても、聞いた話ではどんな症状が出ていようと同じ薬ということがあるそうではないか。体の何処の部位で起こったいる病なのか、それがどのようにして罹るものなのか、それさえも判明していない、分かっていないというのに安易に薬を服用するなど。そもそも、私達の体内で起こっている現象が、魔力というものを普通に持っている異世界の人間の体内で起こるそれが同じだと何故いえる?細胞一つ一つに魔力が何らかの作用と進化を促しているかも知れないではないか」
「こ、こちらに来てから、魔力を持っていると分かり、魔術を嗜まれていらっしゃる勇者様達も多いので、それに関してはご心配の事はないと思いますか。」
「そうか。ならば、それについてはいいだろう。だが、治癒魔法における効果の仕組みにおいては?もしも、それが細胞の分裂増殖を活性化させることによるものだというのなら、それは恐ろしい事を引き起こしている。異世界の住人の平均寿命にも大きく関与しているだろう」
「寿命かぁ。確かに、日本に比べたら老人は少ないとは思うけど、それは比較しているのが日本だからで、この世界には死に直結する事態が多いから仕方無いんじゃないかなぁ」
エリーゼが言い返したが志貴はそれを冷たい眼差しで受け流してしまった。志貴の暴走初期の語り口について考え、それに関する自分の考えを口にしたのだが、志貴はまだまだ止まらない。
「細胞にはテロメアという寿命がある。それは細胞が分裂する度に減り続けていき、それによって生命は老化すると考えられている。治癒魔法が細胞を活性化させているのだとすれば、それは不自然な速さで細胞の寿命を縮めているということだ。つまり、人はより早く老化するだろう。老化すれば、待っているのは寿命だ。なおかつ、治癒魔法をかけたその場所に、癌細胞があったのならばどうなる。ただでさえ普通の細胞のようなテロメアによる分裂の限度が無くなっている癌細胞を故意に増殖させる。大きくなった癌細胞は全身に転移していき…」
「抗がん剤も多分無いだろうし、癌は怖いなぁ」
志貴の暴走が、伸びた時間に伴って長い時間苦しまなくてはいけない、癌の苦しみについてとなった頃、彰人がポロリと零した。
彰人にとって、癌といえば抗がん剤で放射線治療。放射線治療は絶対に無理だと分かる。抗がん剤はもしかしたら魔法薬で効果があるかも知れないが、魔法薬や魔法などに頼って、あまり医療などが進んでいないように思えるこの世界では、それをどうか確かめるのは難しい。
-そもそも癌細胞は人間の体の一部。普通の状態であれば共存出来ている細胞で、免疫が落ちることで身体を蝕むようになるだけだ。これを魔法薬でどうにかするのは難しいのではないか。-
とは、暴走する中での志貴の言葉を彰人が聞き取った言葉だった。
「抗がん剤?無菌室を作れそうにないこの世界で服用するなど、他の病気を併発して悪化するのが目に見えている。あれはそもそも、細胞の分裂を抑えるという、癌以外の細胞にも打撃を与えて副作用をもたらす。もしも抗がん剤があったとしても、それを使えば…はたから見れば毒を持ったように見えるかも知れない。あぁ、そうなれば人々は、あれは人殺しだ、と石を投げ武器を手に…」
「…彰人様。神経衰弱などどうでしょう?」
「いや、今日はツイスターがいいですよね?」
今度こそ、呆れる程に遠くの方向へと話が向かっていった志貴の暴走。それまでの何度かの暴走初期状態は少しは耳を傾けていた天使達も、トランプやツイスターゲームと書かれている箱を持ち出した。