承
土佐宇宙開発の歴史は浅い。
今でさえ国防の一角を占めたこともあり、総理大臣をはじめとする所謂大物から信頼が寄せられているものの、当初は国防軍の一研究施設に過ぎなかった。
所長の東雲五郎、副所長の霧島胤臣は宇宙新技術開発研究所で推進装置の開発を行っていた。といってもそう簡単に結果が出るはずもなく――なにしろ「新技術」開発なので――、次々と研究員が他の施設に引き抜かれ、今では研究員は僅かに二名、つまりは東雲と霧島であり、予算も他の施設と比べて雀の涙ほど。いつ潰れるのかと噂になるほど、否、噂にすらならない組織だった。
しかしそんな彼らが研究を怠ることはなく、紆余曲折を経て、新たな鉱物の発見とともについにその成果が実った。
――スカラビウム機関
そう名付けられた推進装置はそれまでのものをその性能で凌駕していた。といっても特に大きな技術革新はなく、これまで通りの水素酸素機関なのではあるが、それが抜きん出ている理由はその燃料補給方法にあった。
現在NASA、アメリカ航空宇宙局が使用しているスペースシャトルは大きく分けて三つの部分――飛行士が乗る軌道船、オレンジ色の外部燃料タンク、一対の固体燃料補助ロケット――からなっていて、特に後者二つには燃料である液体水素と液体酸素で満たされておりシャトル総重量の実に95%近くを占める。しかし当然のことながら、発射する時の推力はこの燃料を持ち上げることにも使われるため効率が悪いことこの上ない。
しかしこの新たな機関はその無駄を一気に払拭してしまった。
スカラべ――すなわちフンコロガシ――の名の通り、発見されたその新たな鉱物はある一定の条件を満たした時にその周囲にあった物質と同じものを取り込み続ける性質があったのだ。つまりその性質に酸素や水素を設定しておけば、予め大量の燃料を用意することなく半永久機関として航行でき、それは宙間でのごく微量でも取り込み可能なため、大量輸送・長期航行を可能にする宇宙開発に必要不可欠な存在たりうると考えられた。
そしてそのスカラビウムが、日本の太平洋岸でのメタンハイドレートの掘削試験中の排泥に含まれているのを東雲たちが発見し、その性質を活かすために研究を始めた。
そしてそんな時に所長に舞い込んできた上層部からのお誘い。
――弱腰政権打倒のクーデター
当時の政権は度重なる外交敗北で支持基盤を失い、逆に国内では国家主義が台頭し始めるもそれを警察力で排除したことで暗鬱な雰囲気が社会全体を覆っており、軍部もそれに嫌気がさしたのか、重い腰を上げたらしい。
東雲はまず自身らの研究所が未だに覚えられていることに驚いたが、少なくともようやく軌道に乗り始めた研究を潰したいとは思わなかったし、仮に味方せず新政権ができたところでこれ以上の待遇の悪化などしようもなかったので断った。霧島も同じ考えだったようで、逆にどうせなら独立しようと考え始めたが、果たして断った自分達を上層部が見逃してくれるかどうか、そこが大きな問題だった。
しかしそれも杞憂だったのか、大した障害になり得るとは考えられずにスムーズに軍から離れられた。というより逆に新政権の邪魔になりかねないと思われたのかもしれない。二人は安堵すると共に、自身らの存在意義の薄さに呆れるしかなかった。
とはいっても茶々を入れられる危険が無くなったわけではないので、少しでも離れるために土佐へと向かった。そこはメタンハイドレート掘削の面前であり、土地も広く人も少ないので宇宙船研究にはこの上ない立地であった。
そして少ない資金を繰って準備したその施設に突然現れた威厳を纏った精悍な容姿の御仁。
言わずと知れたその姿に、東雲はまた厄介事が来たと泣きたくなった。
――羽佐美純一郎
今の弱腰与党に敵対する最大野党総裁である。
彼曰く最近の軍部の動きが怪しいらしい。
彼曰く丁度そんな時軍を抜けた東雲に会いに来たらしい。
彼曰くこれはかつてない政権奪取最大の機会らしい。
彼曰く成功した暁には資金援助してくれるらしい。
東雲は悩んだ。霧島も悩んだ。かつてない程に。
......いや、本当は悩む間も無く即答した。
まずは先立つものである。
こうして羽佐美はそのカリスマと謳われる腕を駆使してクーデターを治め、その後の選挙で与党に咲き誇り国防軍の一部を縮小して自衛隊と改称、教育充実を前面に打ちたて圧倒的な支持を得ることとなり、東雲らは思わぬところで臨時収入という名の研究費用を手にしたのである。
その後はとんとん拍子に話が進み、いつの間にか数千人を抱える大組織となり――といってもJAXAと異なりあくまで私立組織だが――急死した東雲を引き継いだ霧島がトップに据えられ、宇宙への試験飛行も成功させた。
また、その一報を耳にした羽佐美が航宙自衛隊としての編入を打診してきたので、独立した部隊としての運用を条件に承諾し晴れて航宙自衛隊としての活動も始動した。因みにこれが日土安保と揶揄されたのはまた別の話である。
土佐宇宙開発本社の二階の大広間には、全国紙の新聞社や大手雑誌に海外の記者、はたまた同業である鉱業関係者までが自分たちの席を必死に確保しながらも代表の霧島胤臣を今か今かと待っていた。
そしてようやく会見場の前方にある壇上に現れた初老の男性は一礼すると席についた。胸に土佐宇宙開発のバッジを付けており、その横にはかつての航宙自衛隊幕僚長としてのバッジのスペースを残したままになっている。
「おほん。あー、記者諸君、よく集まってくれました。土佐宇宙開発代表の霧島です。」
今や誰もが知る人となっている有数の巨大企業の代表に多くのフラッシュが焚かれる。
「今日は二つのことを伝えるために集まってもらいました。一つ目は、先日我が社が月面資源調査隊第一陣を派遣しましたが、その彼らが大量の地下資源を発見しました。」
会場に衝撃と動揺が同時に走る。しかしそんなことはお構い無しに霧島は続ける。
「地球に一旦帰還後新たに掘削隊を編成してそこの資源を採掘し、輸出していこうと考えています。既に確認されている主な資源は銅、チタン、コバルト、ニッケル、亜鉛、錫、およびウランなどで、このようにレアアースも多く含まれており埋蔵量も豊富なことがわかっています。例えば可採年数が50年程と言われるニッケル。月には200年分はあるらしく、他の資源も同様に多く採掘が可能とされています。これからの世界を担っていくのに一役買うことでしょう。」
満足げに言い切った霧島が周りを見渡せば、記者たちはペンを止め、キーを打たずに口をあんぐり開けており、鉱業関係者は何を言ってるのかわからないといった様子で固まっている。唯一先ほどと様子の変わらないカメラマンも恐らくは動けないだけであろう。つまるところ、......会場は静まり返っていた。
少しやり過ぎたかと反省しつつも続ける。
「また、これが二つ目ですが、私の先程の報告で世界の資源価格の大暴落が予想されますが、少なくとも今のところ原油、石炭、天然ガス、鉄鉱石を輸出するつもりはありません。それは既に地球に豊富にあり、かつ輸送しづらいからです。」
幾つかの外人記者が胸をなでおろすかのように安堵の表情を見せている。
「そして他の資源ですが、その産業に従事していた方々の大量失職が考えられます。本来なら資本主義の自然淘汰として何もする必要はありませんが、宇宙開発でいきなり大量輸出では少なからず不公平だと心得ておりますので、その国の平均年収半年分を給付させてもらいます。それより先はその国の社会政治の責任ですし、これまで得てきた利益を考えれば悪くない条件と考えています。」
これにはほとんどの人間が驚愕している。なにせこの地球上で鉱業に従事している人間だけで億単位である。なおかつそういった産業の従事者はことのほか収入が他の職より少ないのが普通であり、彼らを半年養うだけで何兆という先進国の国家予算に相当し得る金が飛んでいく。ここまでお人好しの企業がやっていけるのだろうかと心配になるのも当然である。
しかし霧島もただ正義のヒーローを気取ってるわけではなく、これは国を巻き込んだ超長期計画のひとつなのだ。確かに薄利多売の原理で市場を独占できることは有益だが、重要なのは「他国の鉱業の破壊」である。これにより、各国の鉱業が衰退し、その分安く売り払うことで日本からの輸入に依存させ、むやみに干渉できなくさせられるし、産業が停滞することで掘削技術に差を広げることができ、再び掘り始めてもその差は埋め難いものとなる。当然各国のトップや評論家はその意図に気づいて産業の保護を打ち出すだろうが、安価な資源の波に耐えられるかは時間の問題だろう。
よって超長期的に見れば日本の大きな益になり得るのであり、これが先の弱腰外交政権との違いであると羽佐美は自負しているのだが、これが後々の悲劇の発端になるとは一体誰が想像し得ただろうか。
こうして日本と土佐宇宙開発の全世界への挑戦状が叩きつけられた。