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少女の世界

 李帆は記憶がある程度戻ったことを医者に伝えた。もう少しすれば連絡先も分かって、無事に帰ることができるだろう。


「えぇ!? 華恋ちゃんがあの李帆ちゃんだったの!?」

 

 面会時間終了ギリギリに急いでやってきた美奈子に二人の事を伝えると、大いに驚いた。普段の美奈子からは考えられないほど取り乱していたのがわかった。


「世の中にはそういうこともあるのね……」

 

 やっと美奈子が落ち着いたので、李帆は新たに話を切り出した。


「ねぇ美由ちゃん」

「ん、なに?」


 美由はちょっと不思議そうな顔をして李帆の方を向いた。そして李帆は少し溜め込んでからまた真剣な表情で話し始めた。


「話しておかないといけないことがまだあるの」

「え?」


 美由はさらに不思議そうな顔をした。


「この話にはまだ続きがあってね」


 この話、綺麗に言葉で言うならばこの奇跡にはまだ続きがある、と李帆は言った。


 写真に写っていた二人の少女の正体は三年前の李帆と美由で、たまたま記憶を失くした李帆とたまたま記憶を失くした美由が病院で偶然再会した、これが全ての真実ではないのだろうか。


「わ、私はいない方がいいかしら?」


 突然真剣な話が始まったため、美奈子は慌てて部屋を出ていこうとする。しかしその手を李帆は止める。


「美奈子さんも居てください」

「……わかったわ」


 美奈子は動揺を抑えきれないまま美由と一緒に話の続きを聞くことになった。


「まず私が思い出した範囲で話すね。私は九州からなんらかの理由でここに来た。たぶん親には内緒で。そして駅で運悪く事件に巻き込まれて記憶を失った。そして今、私はここにいる」

「そして私も李帆ちゃんも思い出のアクセサリーを持っていた。だから私たちは元々親友同士だったってことでしょ?」

「美由ちゃんはなんで記憶を失くしたの?」

 

 李帆は喰い気味にそう尋ねた。


「え……わ、私は家の階段で転んで、それで頭の打ち所が悪かったから記憶を失くしたってお母さんから聞いたよ?」


 美由が自信のないような小さな声でそう言うと、李帆は一度だけ美奈子を見て、すぐに話を戻した。

 美奈子はずっとうつむいていて、美しい顔がよく見えなかった。見えるのは美しい髪の毛だけ。


「色々と思い出したんだよね。昔、美由ちゃんとよく好きなアイドルの振り付けを覚えて遊んでたなぁとか」

「もしかしたらそんなことしてたかもね。なんか懐かしいなぁ」


 美由も記憶の片隅にそんな映像が微かにあって楽しい思い出に浸っていた。


 しかし李帆はすぐに話を戻す。

 今は思い出に浸っている時間ではなかった。


「それでここからが本題なの。色々と美由ちゃんのことを思い出したんだけどね。"違った"の」


 違った、この動詞に主語はなかった。決して李帆が主語を言い忘れたわけではない。あえて言わなかった。もちろん美由は何が違ったのか聞いてくる。

 そして美由は想像していなかった事実に出会った。今ここで、本当の美由に出会った。


「美由ちゃんのお母さんは美奈子さんとは違ったの」

「……ん? え?」


 美由は言葉を失った。思考が一気に停止した。

 頭が空白になった。空白に染まっていった。空白に犯されていった。

 

 自分のお母さんがお母さんじゃない、一瞬では理解できない事を言われた。

 

 美由は唖然とした表情でゆっくりと視線を美奈子に向けた。でも美奈子は顔を上げてくれない。ただ震えていた。


 それほど美奈子にとっては隠しておきたかった事実だったのか。それが今、明らかになろうとしている。


「あとは、美奈子さんの口から話してください」


 美奈子はその言葉を聞くと、ゆっくりと顔をあげた。

 その瞳には涙の塊が溜まっていた。やがて涙の塊は崩壊して口の方へと滴り落ちてくる。

 涙に濡れた口が恐る恐る開く。


「全部……本当よ」

「……」


 何も言い返せなかった。

 美由は本当の自分を見つけると李帆と共に約束した。でも本当の自分を聞きたくなかった。嘘だよ、と美奈子に言ってほしかった。

 


「あなたの本当のお母さん、私の姉は夫と共に交通事故で三年前に死んだの。三年前だからまだ李帆ちゃんもここに居たころよ。それで一人身だった私が引き取ったの」

「じゃあ、お父さんが北海道に単身赴任してるってことも……」

「そう、お父さんなんて元々いないのよ」

 

 ずっといると思っていた人が本当はいなかった、そんな現実を簡単に受け止められなかった。


「だって、だって私、病院で一回会ってるよ? 色々話もしたよ? すぐにまた北海道から帰ってくるって……」

「あの人は私の友達なの。ごめんなさい、騙してたのよ……」


 あまりにも残酷だった。李帆は美由にこんな残酷を味あわせたくない。

 でも真実を知らなければいけない。

 あの時に二人で約束したから。


「なんで……黙ってたの?」

「……」

「答えてよ!」


 美由の怒号が病室に鳴り響く。反射して声が自分に戻っていく。


「愛したかった……」

「え?」


 美奈子は静かにそう言った。震えたその言葉が美由の心にぶつかった。


「もう一度、チャンスが欲しかったの。美由を愛するチャンスが……」

「お母さん、どういうこと?」


 正確には美奈子は美由のお母さんではない、しかし現実が受け止められていないのだ。


「あなたの背中に……アザがいくつかあるのは知ってる?」

「し、知ってるよ。階段から落ちたときにできたアザでしょ?」


 違う、たぶん違う、そんな気しかしない、美由はそう思いながら聞いてみた。

 自分から聞いたのに、その答えは聞きたくなかった。聞きたくないのに、聞こえてしまう。


「……私が虐待して……出来た傷……」

「え?」


 美奈子は最後まで言い切れなかった。美奈子の中で何もかもか崩れていくような気がした。

 李帆もこのことまでは知らなかった。あまりの現実に言葉が出てこない。


「ごめんなさい。私はあなたをずっと傷つけていました、ごめんなさい……」

「……うそ、嘘だよこんなの!」


 嘘じゃない、美由は自分でも良く分かっていた。でも分かりたくなかった。


「あなたは……その虐待に耐え切れなくて、自分の部屋で首を……」


 全部言わなくても分かってしまった。李帆は美由の首元に薄くロープの痕が残っていたことを知っていた。それは美由と出会ってすぐに気づいたことだが何も触れはしなかった。


 美由は階段から落ちて記憶を失くしたのではない。首を吊って自殺しようとして今、ここにいるのだ。


「あなたが病院に運ばれたあと、後悔していたの。娘の命を奪おうとしていたなんて……」


 美奈子は話すのも限界になってきた。

 李帆がそれを察して代わりに話す。


「それで虐待のことも自殺のことも覚えていない美由ちゃんに真実を告げないまま、隠し通そうとしていたんですね。だから美由ちゃんの持っていた写真入りのアクセサリーをとっさに隠した。美奈子さんは私があの時の李帆だということに気づいたから」

 

 美奈子が写真を隠したのだから、美由が見つけられるわけがない。

 美由はもう一度、李帆が持っていたアクセサリーの中の写真を見る。

 写真の中の李帆と今の李帆は髪型やスタイルは違っているが、誰にでも愛される雰囲気は昔から変わっていなかった。


「でも、なんでお母さんに気づけて、私には気づけなかったの?」


 美由はずっとその写真が大切なものだと思って見続けてきた。それなのに気づけなかったのは少しおかしい。


「たぶん、私と美由ちゃんとの世界が昔のままで止まっていたからじゃないかな」


 世界が止まっていた。つまりある地点から二人の時間は動いていないということ。


「私たち、たしかケンカしたまま離れ離れになっちゃったんだよ。私が九州に引っ越すことを直前まで美由ちゃんに言えなかったから。覚えてる?」

「……ごめん、あんまり覚えてない」


 美由は記憶を少しずつだが取り戻している。でもそのことは覚えていなかった。


「ケンカしたあと、仲直りしようと思ってプレゼントを買ったの」

「プレゼント?」

「ケンカする少し前に二人でいつか買いたいねって言ってた物なの」


 美由には何のことを言っているかわからない。しかし美由が取り出したものでその記憶が近づいてくる。


「あのときの、鍵つきのやつ……」


 李帆が昨日リュックから見つけた四桁の暗証番号の鍵つきの小物入れだった。


「私たちが持ってた写真に書いてある日付をそれに入れてみて」


 美由は李帆から受け取って、言われたとおり日付を入れる。ゆっくりカチカチと音を立てながら数字が回っていく。そして四桁を入れ終わると素直に開いた。


「……これって……」

「私からのプレゼントだよ。恋愛成就のヘアピン」


 病院で初めて会ったときに李帆がもらったヘアピンだった。

 孤独だった二人をつなげたヘアピンだった。

 ケンカした二人をつなげるはずだったヘアピンだった。


「九州に行く前に渡したかったけど、引越しが早まっちゃって渡せなかったの。ちょっと遅くなっちゃったけどプレゼント、受け取ってくれる?」


 三年越しのプレゼント、仲直りのしるしのプレゼント。美由はうれしさのあまり溢れている涙を流しながら受け取った。

 本当の自分にも、いいところがあった。大切なものがあった。これからの希望があった。


「李帆ちゃん……!」


 美由は泣きながら李帆の胸に飛び込んだ。もう絶対離さないから李帆ちゃんも離れないで、美由はそんなことを小さく呟いていた。

 今、二人の世界が動き出した。


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