少女、屋上にて
華恋は気持ちが落ち着かないので病院の屋上で風にあたっていた。
病院の玄関の前では昨日、看護婦の愛美が言っていた沙希がお母さんらしき人と手をつないでいるのが見えた。看護婦さんに見送られているところを見ると、今日で退院するらしい。沙希もその母親もとてもうれしそうだった。
華恋は本当の自分の事が気になってどうしようもなかった。美由と同じ状況かもしれない。もしくはそれ以上かもしれない。
「あの子みたいに幸せな家庭だったら良いなぁ」
つい言葉に出してしまった。
「きっと幸せな家庭よ」
その言葉に返事が来た。びっくりしながら後ろを振り返ると看護婦の愛美がいた。華恋はさっきなんとなく呟いたことを聞かれていたことを知って顔を赤くした。
「私も早く結婚して母親になって幸せな毎日を過ごしたいわぁ」
「きっと愛美さんなら良い母親になれます」
「華恋ちゃんが言うなら安心だね」
二人で笑いあった。さっきの不安が飛んでいくように楽しい気分になった。
そして愛美は華恋の笑顔をじっくり観察してこう言った。
「ずいぶん昨日とは表情が違うわね。まるで別人みたいよ」
愛美に言われて華恋は初めて自分の感情の変化を自覚した。昨日は何も知らない世界に放り込まれたようで孤独で恐怖におびえていた。しかし今はそんな恐怖など彼女の中にはない。周りに自分を支えてくれている人がいる。
ゆっくりでいいからきちんと記憶を取り戻して、自分のことを知っていこうと冷静に思えるようになっていた。
たとえどんな自分であったとしても。
気持ちも落ち着いたので華恋は病室に戻った。そこには美由しかおらず、もう美奈子の姿はなかった。美由が言うには美奈子は昼間も普通に働いていて仕事の合間に病院に来ているらしい。
「早く治してお母さんを喜ばせてあげられるといいね」
「うん、私がんばる」
華恋は美由の笑顔が胸に深く突き刺さるような感覚に襲われた。できれば全てを話して自分も美由も美奈子も楽にしてやりたかった。
「華恋ちゃんの荷物の中に写真とか入ってないの?」
「え、いやたぶんないと思う。何でそんなこと聞くの?」
急に話題が変わって華恋は少し戸惑った。華恋はあまり自分の荷物を調べていないのでよくわからなかった。
「もしかしたら記憶が戻る手がかりになる物があるんじゃないかなーって思っただけ。私も手がかり持ってるんだよ。大切にしている写真なんだけどね」
そう言って美由は自分のリュックをあさり出した。しかしなかなか見つからないようでずっと探している。
「あれ? いつもここに入れているんだけどなぁ」
「一緒に探そうか?」
「いや、別にいいよ。こういうものはいつかポロっと出てくるものだから」
美由はあっさりと探すのをやめた。さっき大切にしていた写真だって言ってたけど大丈夫かな、と華恋は心配した。
「お母さんから聞いたんだけど、李帆ちゃんっていう女の子と写ってる写真なんだけどね。ピンクの写真入れのアクセサリーの中に入れてあるから写真というよりはプリクラかな。とっても仲良しだったらしいんだ。でも遠い場所に引っ越しちゃったらしいの」
「そうなんだ。早く記憶が戻って会えるといいね」
華恋は励ましながら、自分も記憶が戻ったらどんなことをしようかなと色々と考えていた。
まずはお父さんお母さんの元に帰りたいな、とわくわくしながら楽しんでいた。
「華恋ちゃんのリュックでもいじっちゃおうっと」
美由はそう言いながらベッドを飛び出して華恋のリュックをあさり始めた。その姿はまるで好奇心旺盛な少年のようで、華恋は温かく見守ってあげていた。
「あんまり面白い物とかないと思うよ」
「なんかお菓子とかばっかりだね。あっ財布だ」
美由はピンク色のキラキラした財布をリュックから取り出した。華恋はあんまりいじらないでよーと楽しそうに文句を言っていた。
「うわ、三万円も入ってるよ。お金持ちじゃん」
美由はテンションが上がってさらにリュックをあさった。中からは音楽プレイヤーや小説が出てきた。
そして小説をパラパラとめくり始めて、音楽プレイヤーもカチカチといじり始めた。
「この本の作者の他の本なら私持ってるよ。お父さんが大好きなんだって。あっ華恋ちゃんもこのアイドル好きなんだー。ほとんどの曲が入ってるよー」
なんで彼女がこんな荷物を持っているのかは当然本人にも分からない。
誰が何と言おうと、これが彼女の好みなのだろう。だから美由は自分とは違う『華恋』と話しているようにしか彼女には聴こえなかった。
続けて美由はリュックの中を探るが特に目立つものはなかった。
「そういえば携帯電話は持ってないの?」
「うん。持ってないみたい」
「財布の中に連絡先とか書いてないね。これじゃ連絡も取れないから大変だね。……もしかして、さぁ」
美由は一呼吸おいて再び口をあけた。その一呼吸が華恋に何かを感じさせた。
「華恋ちゃんは家出少女だったりして……」
美由がその言葉を言った途端、華恋の中での時間が止まった。
家出、その言葉が華恋に深く突き刺さった。
自分がどういう人間だったのかは色々考えてはいたが、家出少女だとは思ってもいなかった。
確かに名前も判明してないし、保護者と連絡をとれる方法を一個も持ち歩いていなかった。つまり警察に連絡されて家に連れ戻されるのを避けていたということになる。
「う、うそ……」
「か、華恋ちゃん? 大丈夫?」
華恋は思わず病室を飛び出して行った。美由はただ呆然としていた。
「なんかマズイこと言っちゃったかも……」