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口を真一文字に結び、頑として動こうとしないぼくに、先生は苛立ちを隠さずに言った。
「ここで言い合っている時間が無駄だ」
たしかにそうだ。そうだからこそ、どうしてぼくを放っておいてくれないのだろうか。
先生にこれ以上何を言っても無駄だ。そう思い諦めかけたときだった。
「先生。ぼくも行かせてください」
後ろから声がしたので振り向くと、真面目な顔をした斉藤が立っていた。真剣な眼差しで先生を見ている。
「お前まで何を言いだすんだよ、斉藤」
まさか他に反抗する者が出てくるとは思っていなかったであろう大山先生が、明らかに困惑した様子で言った。
先生の言うとおり、なにも斉藤が行く必要などないはずだ。昨日、あんなに酷い言葉を吐いたのに。
怪訝に思っているぼくを、斉藤は一瞥すると静かに口を開いた。
「夏目に謝りたいことがあるんです」
「おれが今すぐ先生が病院へ行くから、お前らはここにいてくれ。あとから謝るなりなんなりすればいい」
「今じゃなきゃ駄目なんです」
意志を持った斉藤の力強い眼差しに、先生は少しだけたじろいだ。眉を顰めて、何を言えばいいのか考えている。
こうしているあいだも時間は刻々と過ぎていく。早くしてください、と思わず言いかけたときだった。
「それならわたしも行かせてください」
と、またもや会話に中入りする声がした。まさかと思い、声のした方へ視線を向けると、思いつめた顔をした瑞枝がこちらへと歩いてきた。ぼくの横に並び、先生を睨むように見つめる。
「わたしもこの二人と同じように、今じゃなきゃ駄目なんです」
そう言い放った瑞枝は、一歩も譲らない様子でスカートの裾を強く掴んでいた。斉藤と瑞枝に挟まれて、ぼくはなんとも言えない気持ちになった。胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなる。
先生は三人揃ったぼく達を見て、呆れた様子でため息をついた。
「馬鹿か。急いでいる途中に、お前らが事故に遭ったらどうするんだ」
「ぼくが責任を取ります」
「何が責任だ。いち学生のお前が、軽々しく口にするな」
次はぼくが説得しなければならないと思って言ったのだが、半ば怒鳴るように言った先生の言葉に、思わず肩をすくめる。それしか言いようがなく、決して軽々しく口にしたわけではないのだが、言われてみればそうだった。ぼくはただのそこらへんにいる中学生で、一人じゃ何もできないのだ。こうしてぼくらが三人集まったとしても、一人の大人を説き伏せることもできない。
自分の無力さに、悔しさで涙が滲んだ。心配でたまらないのに、駆けつけることもできない自分が腹立たしい。
微動だにせず立ち尽くすぼく達に、先生が大きくため息をつくのが聞こえた。
「夏目が運ばれたのは総合病院らしい」
ふいに呟かれた先生の一言に、思わず顔を上げる。
「自習時間は五十分。そのあいだおれは、夏目の親御さんや他の先生方に事の状況を説明しなければならない」
目が点になっているだろうぼくは、他の二人と顔を見合わせた。斉藤と瑞枝も驚いた顔をしているのを見た限りでは、ぼくの聞き間違いではないらしい。視線を元に戻すと、先生の口が「はやく行け」と動いたのがわかった。
斉藤が強くうなずいたのを合図に、ぼく達は一斉に走り出した。教室の中から様子を窺っているクラスメイト達を尻目に、廊下を駆け抜ける。
きっと、他の先生に知れたら大問題だ。大山先生の沽券に関わるだろう。最悪、ぼく達のせいでクビになるかもしれない。それなのに、先生はぼく達を理解して行かせてくれた。先生のためにも絶対に知られるわけにはいかない。
校舎を出ると、ぼく達は他の先生にばれないように裏門から学校を出た。