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翌日、学校へ行くと、教室内は何やら騒がしかった。斉藤が輪の中心になって、皆に何か話しているらしい。楽しそうな声が廊下まで響いていた。
何事かと思って輪の中に近付くと、ぼくに気付いた斉藤がこちらへ手招きした。
昨日のあの現場を偶然にしろ目撃してしまったぼくとしては、朝から斉藤と話すのは気が重かったが、かといっていきなり距離を置いたら怪しまれてしまう。
ぼくはぐっと我慢して、斉藤の近くへと寄った。
「なんだよ」
自然に接することを心掛けていたつもりが、ふてぶてしい声が漏れる。
しかし、斉藤は何がおかしいのか、そんなぼくを気に掛けることもなく笑って言った。
「聞いてくれよ誠。昨日さ、おれ夏目貴子に告白されたんだ」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。たった今、斉藤が放った言葉が頭の中で反芻される。
どうしてこいつはそんなことを皆の前で言っているのだろう。夏目の告白を話題の種にして皆で笑い合っているなんて、何を考えているのか。
何も言えずに茫然としていると、斉藤はさらに続けた。
「もちろん断ったんだけど、今日皆に話したら、意外なことがわかってさ」
「意外なこと?」
ぼんやりとした頭を必死に動かして相槌を打つ。すると、斉藤の口から信じられない一言が飛び出した。
「それがさ、あいつ前の学校でいじめられてたんだって」
ぼんやりしていた頭が、その一言ではっきりと覚醒した。
何を根拠にそんなことを言っているのか。なぜそれを平気で笑い話にできるのか。訊きたいことは山ほどあったのに、ぼくは驚いて何も言えなかった。
「まあ意外って言っても、考えてみれば普通のことかもな」
と斉藤は素っ気なく言い放った。
「そりゃあ、あんなに暗かったらいじめられるよね」
斉藤に同調して、脇に立っていた他の女子もうなずく。
「前の学校じゃあ、そのせいで相当嫌がられていたみたいだよ。全然喋らないから」
「わたしも前から不思議に思ってたんだよね。遠くから転校してきたってわけでもないし」
「話しかけても必要最低限のことしか喋らないしね」
「そうそう」
噂話に花を咲かせているクラスメイト達の声が耳に突き刺さり、ぼくは手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
自分でも気が付かないあいだに、唇を噛んでいたらしい。口を開くと同時に、口の中に鉄の味が広がった。
「誰がそんなこと言ってたんだよ」
振り絞るようにして出した声は、かすかに震えていた。
ぼくの言葉に、教室が一瞬にして静まり返った。その場に気まずい沈黙が降りる。
女子の一人に目を向けると、彼女は慌てて頭を振った。
「わたしじゃないよ。瑞枝だよ! 夏目さん、隣町の中学校から転校してきたみたいなんだけど、瑞枝がたまたまその学校の子と仲が良くって、話を聞いたみたいなの」
「瑞枝が?」
驚いて振り返ると、見慣れたおかっぱが、遠くの席からこちらの様子を窺っているのが見えた。こちらに向けられた目が、なぜだかひどく侘しげだった。
たしかに瑞枝には男女問わずよく話すので、別の中学校に知り合いがいてもおかしくない。とはいえ、正義感の強い性格なので、他人の過去を言いふらすようなことはしないと思っていたのに。
「信じられない……」
思わず出たぼくの言葉に、瑞枝は大きく目を見開いた。ぼくから気まずそうに目を逸らしたかと思えば、今にも泣き出しそうに眉を顰める。
ぼくはべつに瑞枝を責めようとして言ったわけではなかった。本当に思ったことを言っただけだ。それなのに、どうして泣きそうな顔をするのだろう。泣くくらいなら、最初から言いふらさなければいいだけの話だ。
不思議に思ったが、瑞枝は口を閉ざしたまま何も言わない。
我慢ができなくなって、問い質そうとしたそのとき、その場を取り繕うように、斉藤が笑って言った。
「なんだよお前、反応薄いなあ。もっとびっくりするかと思ったのに」
「これでもびっくりしてるよ」
しかし、それよりも皆に対する怒りのほうが勝っているのだ。
斉藤はぼくの反応がよほど意外だったのか、明らかに動揺していた。笑ってはいるが、眉尻が痙攣しているのがわかる。
その様子を見て、ぼくの中で何かが弾けた。
「夏目のこといろいろ言ってるけど、お前はどうなんだよ」
斉藤を追い詰めようと、口が勝手に動き出す。
「恋愛には興味ないからとか言っておいて、裏ではへらへら笑って散々スケベなこと言ってるくせに、人のこと言えるのかよ」
「お前! 見てたのか?」
斉藤はぼくの言葉に目を剥いて叫んだ。顔が耳まで真っ赤に染まっている。
「見てたんじゃなくて、偶然見えたんだよ」
と、ぼくはしらっと答える。
「一緒だろうが」
斉藤は教室だということも忘れて、吐き捨てるように言った。
「好きじゃないから振ったんだ。断る理由なんてなんだっていいだろ。だいたい、どうしてお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
「やっていいことと悪いことがあるだろう。告白されたからって、笑い者にしていいはずがない」
自分の中での正論を言ったつもりだった。しかし、斉藤の心には響かなかったようで、嘲るように口角を上げて笑った。
「なんだよ。やっぱりお前、夏目のことが好きだったんじゃないか。あいつがおれに告白したから悔しいんだろう?」
そう言われて、ぼくは言葉に詰まった。あまりに核心を衝いた斉藤の言葉に、何も言えなかったのだ。というのも、そう言われれば、今までの心の葛藤に納得がいく。
霧がかったように見えなかった自分の心が、斉藤の言葉ではっきりと見えたような気がした。