ゴブリンの森にて(1)
ローゼリンデはエリスの町から真っすぐ北上するルートを選び、森の入り口にたどり着いた。
整備された街道とは違い、ここから森を抜けるまでは自然の道を進むことになる。
無謀な選択をしたとは思っていない。
ゴブリンは、集団生活するうちに賢いリーダー格の個体が生まれ、群れを統率をして集落を形成することもある。
そういったゴブリン集落は、人里にも現れて家畜を連れ去るらしい。
自分たちの家畜にするため人間から奪っていくのだというから、たちが悪い。
魔物分布マップによれば、この森のゴブリンたちは集落を形成している恐れがあるため要注意と書いてあった。
だからこそ、厄介だから旅人は迂回せよということなのだが。
「勇者様たちは、正義感の塊ですもの。ゴブリンを放っておくはずは、ありませんわ!」
勇者たちの目的は、もちろん魔王を討ち滅ぼすこと。しかし、その旅の道中で人間の生活を脅かす魔物がいたら、当然討伐対象となるにちがいない。
それに、迂回すればいつまでたっても勇者パーティーに追いつけないという思惑もある。
ローゼリンデの目的は、勇者の忘れ物を届けることなのだから。
マーブルの脇腹を軽く蹴り、ローゼリンデはためらうことなく森へと入っていく。
鬱蒼とした不気味な雰囲気が漂っているものと覚悟していた森は、拍子抜けするほど穏やかできれいだった。
爽やかな森の香り。ところどころに色とりどりの花が群生し、木の根元の苔も色鮮やかだ。
木漏れ日が道を照らし、鳥のさえずりが聞こえる。
木々の緑は美しく、道が荒れ果てている様子もない。
「意外と、真っすぐ森を抜ける冒険者も多いってことかしら?」
ローゼリンデは首をひねりつつも、周囲の警戒を怠らずに進んでいく。
とそこへ、ヒュンッと穏やかな空気を切り裂く音が聞こえ、慌てて手綱を引いた。
マーブルの足元に矢が刺さる。
さらにヒュンヒュンッ!と立て続けに矢を放つ音がして、四方から矢が飛んできた。
ローゼリンデは息を呑み、唇を強く引き結ぶ。
小賢しいゴブリンたちは、矢じりやナイフの先に毒を塗ることが多いという。
肌をかすっただけでも致命傷になる厄介な代物だ。
咄嗟に羽織っていたマントを剥いだローゼリンデは、それを大きく振り回した。
幸いにも矢は一本も当たらずに地面に散らばる。
「ギギギッ」
奇妙な笑い声が聞こえて見上げると、樹上に数体のゴブリンがいる。
ギョロリとした大きな目に皺くちゃの顔、緑色の肌に茶色い腰巻。
なるほど、よく森の風景に溶け込んでいる――と、感心している場合ではない。
ゴブリンたちは再び弓に矢をつがえて、ローゼリンデを狙う。
マントを翻そうとしたローゼリンデの体勢が崩れた。
突然、マーブルが前肢を上げていなないたためだ。
「だめっ!」
ローゼリンデが慌てて手綱を引いて止めようとしたが遅かった。
こうなっては、振り落とされぬよう捕まっていることしかできない。
周囲の空気が一変し、木の葉がザーッと音を立てる。
息もできなくなるような重圧感と威圧感が森を包む。
ニヤついていたゴブリンたちは、なにが起きたのかわからないまま泡を吹いてバタバタ木から落ちた。
それだけではない。
周囲にいた鳥やリス、昆虫までもが一斉に木々の根元に転がっている。
「もーっ! マーブルったらダメですわ!」
ローゼリンデが下馬しながら、場違いな甲高い声をあげる。
「マントを叩いて鳥さんとリスさんを逃がしてからにしようと思っていましたのに!」
頬を膨らませてぷんすか怒るローゼリンデに、マーブルは上目遣いで謝罪する。
だって、それでは間に合わなかったでしょう?
とでも言いたげだ。
「でも、守ってくれてありがとう」
ローゼリンデが微笑んで、マーブルの首にぎゅうっと抱き着いた。
マーブルが満足げに鼻を鳴らす。
「しばらくすれば、みんな目を覚ますから大丈夫ですわよね」
ローゼリンデはマントを羽織りなおした。
以前、兄王子たちと遠乗りに出かけた時、森で迷子になった。
武器を持ったゴロツキたちに絡まれたローゼリンデを助けたのも、マーブルのいななきだ。
それ以来ローゼリンデは、馬とはそういうものだと思い込んでいる。
兄王子たちに事後報告すると、なんとも複雑そうな顔をされた。
その理由を、乗馬に夢中になりすぎて迷子になり危険な目に遭ってしまったことを、兄王子たちは心底心配してくれたのだと解釈し反省した。
しかし――マーブルは、ただの白馬ではない。
王城に突如現れた聖獣ユニコーンの真名を、舌ったらずな明るい声で言い当て従属させたのが、当時五歳だったローゼリンデだ。
しかし彼女はそのことをよく覚えておらず、五歳の誕生日に父親である国王から馬をプレゼントされたと思い込んだまま現在に至る。
馬のいななきではなく、ユニコーンの威圧。
その真実に気づいていないローゼリンデは、愛馬マーブルとともに森の奥へと進んでいった。




