閑話・奇妙な小箱とエドガーの結婚前夜1
兄であり、ノーランド王国の王太子でもあるエドガーの結婚式をすっかり忘れていた――。
ローゼリンデは宿で頭を抱えている。
もう、クラーケン祭りに行くどころではない。
「エドお兄様、レティシア様……ごめんなさい……!」
結婚式参列のドレスは、とっくに用意済だ。
水色のかわいらしいドレスを用意して、準備万端だったというのに。
(とても楽しみにしていたはずなのに、なんたる不覚……!)
「どうしてわたくしは、いつもこうなってしまうのかしら!」
目の前のことに夢中になると、他のことがすべておろそかになる。
勇者へ聖剣を届けようと決意して王城を飛び出した時、すぐに渡して結婚式に間に合うよう戻るつもりだったというような算段があったわけではなかった。
とにかく一刻も早く届けなければと思うあまり、兄の結婚式のことをきれいさっぱり忘れてしまったのだ。
王城からずいぶん遠い所まで来てしまったわけだが、旅をはじめたあの日からすでに三週間以上過ぎていると、今日はじめて気づいたぐらいだ。
それぐらい夢中になっていた。
いますぐマーブルを駆って王都を目指したところで、もう間に合わない。
いま申し開きの手紙を送ったところで、届くまでに数日かかるだろう。
「ところでわたくし、お尋ね者になっていないのかしら……?」
ローゼリンデがこてんと首を傾げる。
置手紙もなにもせず家出したも同然であることにまで気づいてしまった。
普通であれば、行方を捜しまわっているにちがいない。
元気にしているから大丈夫だと手紙を送るとしても、出奔した理由に関しては触れたくないローゼリンデだ。
(勇者様が聖剣を忘れていることに気づいたので、届けるために追いかけています!なんて、書けるはずありませんわ!)
ローゼリンデは勇者の名誉を守るために、黙って城を飛び出したのだから。
どうしようか、どうすればいいのかと、思考が同じ場所を行ったり来たりする。
ベッドの横のサイドボードに置いたパールの髪飾りが目に入って手を伸ばした。
義理の姉となるレティシアの、ライトブラウンの髪によく似合いそうだ。
落ち着かない気持ちのまま、ローゼリンデは次に髪飾りの隣にある小箱を手に取った。
指先にグッと力を入れて強引に蓋を開けると、中には真っ白な砂が入っていた。
密閉されていたおかげで、海水が入らなかったようだ。
箱の中から、ジャコウのような甘い香りが漂う。
途端に眠気に襲われたローゼリンデは、ベッドに横になった。
◇◇◇
「実はローゼリンデのことなんだが……結婚式に参列できそうにないんだ」
王城の噴水の前でエドガーが気まずそうに切り出した時、レティシアは悪い予感が当たったと思った。
予定に入っていなかった急なお茶会に呼ばれ、双子の王子たちがどこか緊張した面持ちでやってきた。
その時にピンときたのだ。
だから池を案内するというのはただの口実であることも気づいていた。
エドガーが妹を愛称ではなく名前できちんと呼ぶあらたまった態度に、さらに胸がざわつくレティシアだ。
よほどの悪い知らせなのではないかと思ってしまう。
「ローゼリンデ様に何かあったのですか?」
レティシアもあらたまった口調で問う。
エドガーの返答は、彼女の予想を大きく裏切るものだった。
「勇者を追いかけて行ってしまったんだ」
「――――!?」
あまりの驚きで二の句が継げなくなる。
(あのおとなしいお人形のような子が!?)
いつもふわふわ笑うローゼリンデの顔を思い浮かべた。
レティシアが同じ十七歳だった頃は、もっと世間のいろんなことを知っていた。
国内の経済状況や世界情勢、女性としてのたしなみや貴族社会をうまく渡り歩く方法も。
そんな自分と比較すると、ローゼリンデはあまりにも浮世離れしていると感じていた。
読書が趣味で、特にロマンス小説を好んで読んでいる。幼い頃の遊び相手は、エドガーとロバートだけだったという。
貴族学校には通ったことがないと聞いて、驚いたものだ。
病弱説があるのも知っているが、本人の様子を観察するにそんな風には見えない。
そんな世間知らずな彼女だからこそ、無謀にも勇者を追いかけてしまったのだろう。
どんなに危険な旅であるかも知らずに。
王室はさぞや心配し混乱しているにちがいない。
つまり――。
「承知いたしました。では、式は延期ということですね?」
レティシアは、口角を上げるように努めた。
声色も刺々しくならぬよう心がけたつもりだったが、エドガーが青い目を見開くのを見て反省した。
(感情を表に出すなど、わたくしもまだまだね……)
「待ってくれ、どうしてそうなる!?」
エドガーが焦っている。
バルコニーで待っている間に、レティシアはお茶を運んできたメイドから聞いたのだ。
昨日、エドガーが騎士の訓練に参加していたと。
その時は、最近はずっと執務に専念していたのにどういう風の吹き回しかと思っていた。
それが、エドガーの「勇者を追いかけて行ってしまった」のひとことですべて繋がった。
速やか且つ秘密裏にローゼリンデを連れ戻すために、エドガーとロバートが追いかけるのだろうと。
だから結婚式は延期だ。
レティシアはそう思ったのだが、まちがっていただろうかと小首を傾げる。
すると腕を引かれて、レティシアが気づいた時にはエドガーの広い胸に抱きしめられていた。
「たとえ魔王が攻めてきても、延期は無しだ。絶対に結婚する」
力強く抱きしめられて、レティシアの心臓がドキンと跳ねる。
そっくりな双子をどうやって見分けているのかとよく質問されるが、答えは実にシンプルだった。
自分を見つめる眼差しがちがう――ただそれだけだ。
だからもしもエドガーがこちへ愛情を傾けなくなれば、もう夫と義弟の区別がつかなくなるかもしれない。
レティシアのほうは、そんな覚悟までしているというのに。
どこか不満げな声がレティシアの耳朶を打つ。
「レティは聞きわけがよすぎる。夫婦になったら、もっとわがままを言って甘えてほしい」
レティシアがエドガーを見上げる。
「わかったわ。じゃあまず、ロージィの事情をもっと詳しく教えてちょうだい」
「ああ。少し長くなってもいいかな」
「ええ、もちろんよ」
ふたりはしばし見つめ合って、クスクス笑った。




