精霊の泉にて(1)
バランスを崩したガルーダの背中から落下したローゼリンデは、マーブルに抱き着かれて視界を塞がれてしまった。
このままだとマーブルもろとも地面に叩きつけられるだろう。
マーブルの怖くて仕方がないにちがいない。
ローゼリンデは死を覚悟して、ギュッと目を瞑っている。
しかし途中で落下のスピードが遅くなった。
まるでフワフワ空を飛んでいるような感覚がする。
「え……?」
どういうことかと目を開けたローゼリンデだったが、相変わらずマーブルによって視界が塞がれたままで状況がよくわからない。
もしかすると、ガルーダがまた捕まえてくれたのだろうか。
と思った直後。
ドボン!と勢いよく水の中へ落ちた。
マーブルから体が離れた。
泡が落ち着くと、水面に浮くマーブルの脚がどんどん遠ざかっていくのがわかる。
浮力が働く気配がない。まるで錘でもつけているかのように、ローゼリンデの体はどんどん沈んでいく。
(背中の聖剣が重いから沈んでいるのね……)
ローゼリンデはそれに気づいたものの、かといって聖剣のベルトを外そうとはしない。
外してしまえば、聖剣は底の見えないこの水の中へと深く沈んで二度と回収できなくなるだろう。
これはローゼリンデの剣ではなく、勇者の忘れ物だ。
(必ずや勇者様に手渡すときめて、ここまで来ましたのよ? ここで手放してなるものですか!)
ローゼリンデはどうにか浮上できないかと、懸命に腕を動かした。
ところが逆に沈むスピードが速くなり、ついにはゴボッと肺の空気まで吐き出してしまった。
万事休すか――と思った時、ローゼリンデはあることに気づいた。
(あら? 息が苦しくありませんわね……?)
息が苦しくないのなら問題はない。
むしろ、一気に底まで潜水してどれぐらいの深さがあるのか確認してやろうではないか。
いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、ローゼリンデは頭を下にして水底を目指し泳ぎはじめた。
王城の池での水遊びを思い出す。
『中心は深いからやめろ!』
『ロージィ! 戻ってこい!』
兄王子たちが叫んで呼び戻そうとしたようだが、泳ぐのに夢中で気づかなかった。
ローゼリンデは池の反対岸に難なく泳ぎつき、褒めてもらおうと振り返ったら兄たちが池の中心で溺れかけていた。
使用人たちが大勢駆けつける前代未聞の大騒ぎとなり、両親にこっぴどく叱られたのは、いまとなってはいい思い出だ。
ローゼリンデが夢中で水をかきわけて潜っていると、突然耳元で鈴の音のような声がした。
「こら、何をしておる」
驚いて振り返る。
次の瞬間どういうわけか水から上がり、泉のほとりに立っていた。
全身が濡れそぼっていることが、水の中で泳いでいたのは夢ではなかったと証明している。
ローゼリンデはあたりを見渡し、ここが森に囲まれた泉だとわかった。
隣にはマーブルもいる。
上空からたまたまこの泉に落ちたのだとしたら、とてもラッキーだった。
地面に叩きつけられていたら、いまごろ命がなかっただろう。
それはいいとして――ローゼリンデは目の前に立つ得体の知れない存在をじっと見つめた。
髪も目も体も基本的に青い。
人間と似たような二足歩行の外見ではあるが羽を持ち、輪郭が常に揺らめている。
ローゼリンデは目を瞬いた。
「あなた……どなたでしょうか?」
「おまえこそ名を名乗れ」
鈴の音のようなきれいな声の主とは思えぬ口調で、相手は苛立ちを隠そうともせず問うてくる。
「失礼いたしました。わたくしは、ローゼリンデと申します」
ぐしょぐしょに濡れた冒険服姿でカーテシーをする。
「ここを精霊の泉と知っての蛮行か?」
「精霊の泉!?」
精霊の森のどこかにあるという泉。
何ものにも汚されることなく清廉さを保っていることから、たゆまぬ希望の象徴だといわれている。
泉の番人は、水の精霊だ。
そうとは知らず、不可抗力とはいえ派手に落っこちてきた挙句バシャバシャ泳いでしまった。
おまけに水の精霊に向かって、あなたは誰だと聞いてしまった。
失礼にもほどがある。
(蛮行と蔑まれても仕方ありませんわ!)
「品のない振る舞いをしたことを、改めてお詫び申し上げます」
ローゼリンデは心底反省しながら恭しく頭を下げた。
水の精霊がスッと腕を振ると、濡れていた衣類がきれいに乾いた。
驚いて目を瞬くローゼリンデには、どうしてももうひとつ気になることがある。
精霊の森は、おいそれとは入れぬ場所だと聞いていたのだが。
「わたくし、どうやってここに入れましたの?」
もしや落下の衝撃で結界を突き破ってしまったのだろうかと慌てるローゼリンデだ。
水の精霊はチッと舌打ちした。
「本来ならばこの泉は、精霊が認めた者と聖遺物を所持した者しか入れぬ場所だ」
「なるほど。わたくしはエクスカリバー様を所持しているから入れたのですね!」
ポンと両手を合わせたローゼリンデだったが、ここでおや?と首を傾げる。
「では、マーブルはどうやってここへ?」
横に視線を走らせると、マーブルと目が合った。
大きな黒い目からは何も読み取れない。
水の精霊はリリリと笑い、おもしろがるようにローゼリンデとマーブルを見ている。
聖剣を持つローゼリンデを抱えていたから一緒に入れたのだろうか。
それとも……。
「まさか……!」
ローゼリンデが、何かに思い当たった様子でサファイヤのような目を見開いた。
そして、愛馬に向き直り震える声で問う。
「マーブル。あなた、もしかして……」




