10 迷子のベクトル 〜 Michiru side
ヴィラについて、割り当られたコテージに入る。優羽ちゃんたちは、まだ来ていない様子だった。
三時から弓削教授の講演会、その後に懇親会。
とりあえず荷物を置いて。
「講演まで、時間あるね。どうしよっか」
「私、ちょっと着替えるから」
一佳ちゃんは、わざわざ今から着替えると言う。たぶん、化粧直し諸々、綺麗にしたいんだろうな。
そんな気合いのない私は、そのまま過ごすつもり。
「じゃあ、ちょっと散歩に出て来るね」
と一佳ちゃんに断って、私は一人コテージを出た。
ヴィラは、本棟を中心にコテージが何棟もあって、その周りは高原の森になっていた。
一佳ちゃんとずっと一緒にいるのも何故か気詰まりで……。
十一月、高原のヴィラは歩くのも気持ちのいいお天気で、自然の中にいたら、気持ちも晴れるかなって。
「アオが、好き」そう言った一佳ちゃんは、攻勢をかけている。この研修旅行で関係性を変えたいんだと思う。
アオだって今はフリーなんだし……この前も、そう言ってたし、一佳ちゃんみたいな美人さんなら、付き合うのを断る理由もないだろうし。
付き合っても好きになれない、なんて共通点で、なんとなく同志のように思ってたけど。
……アオも、一佳ちゃんなら、好きになれるかも、しれなくて。
なん、だろ。
……なんだか、胸の奥に、固くて重い何かが。
一佳ちゃんとアオが、お付き合いしたら。この前みたいに、一緒に出かけたりも、もうできない。
アオの側では息がしやすくて、居心地がよかったけど。
……そんなの、許されない。
ぐるぐると、何故か自分を追い詰める思考に陥っていた。
そんな時、
「あ、藤崎サンだよね?」
と、声をかけられた。
知らない男性の三人組。すぐ側のコテージから、出てきたようだった。
「え、っと……」
「俺ら、弓削ゼミの四回生」
「教授の講演会には毎年駆り出されててさ」
彼らはもう就職も決まっており、ゼミの単位と卒論のためだけに来ていると言った。
一人でいるなら一緒に、と彼らは誘って来た。
一人でいたいから、一人でいたのに。
角が立たないように断っても、聞き入れてくれない。
「一人で歩きたいんで」
って、はっきり言ったのに、それでも引き下がってくれなくて……。
ああ、もう。どうしたら……!
「みちる」
不意に、男性三人組の後ろから声がかかった。
「これから、グループの打ち合わせだけど?」
……そこに、アオが、いて。
上級生達にお辞儀をして、その輪を抜ける。
アオは、彼らと私の間に入ってくれて、それから二人で、もと来た道を引き返した。
しばらく早足で進んで、彼らとの距離が開いたと思ったら、
「なんでまた、一人でいるんだよ」
アオが、いつになく刺々しい言葉を放つ。
なんか、すごく怒ってる……?
「……一人に、なりたくて」
と、なんとか答えたら、
「場所を考えろよ」
更にキツく言われた。
……なん……で、どうして、そこまで。
「……なんでアオが、そんなキレてるの、ぜんぜん、しゃべれ、なくって今日、……初めてまともにしゃべったのに、……なんで怒って……」
だんだんまともにしゃべれなくなった。
アオは、そこにいたのに。今日はずっと遠くて。
一人でいたかったのに、上級生に絡まれて。
なんでこんなタイミングよく来てくれるかな、って思ったら、何故かアオはキレてるし。
もう、わけがわかんない。
なんでこんなに、ぐちゃぐちゃなのか……。
「ごめん」
アオの纏う雰囲気が一転、私を気づかって戸惑っている。
こんな、ことで。
泣いてるなんて。なんだかすごく自分が嫌だ……!
「みちる」
アオの手が、伸びて止まる。触れない。
「ごめん、俺……イライラしてて」
触れないで握り込んだ手が、今度はそっと上に伸びて。
「完全に八つ当たり。嫌な思いしてたのは、みちるなのに、ごめん」
そっと。頭を撫でて……。
……どうしよう。
嫌じゃない。……なのに、ぎゅっと胸が、痛い。
なにこれ……。
「……助けてくれたのに、泣いたりして、ごめん」
なんとか、そう言葉にして、
「……なんか、ちょっと不安定で……いつもだったら、こんなことで泣いたりしないんだけど」
言い訳をすると。
アオは、
「いいよ」
と言ってくれた。
「で、どうする? このまま、小ホール先に行っとく?」
さっきの上級生たちにも、和哉たちにも、泣き顔がバレずに済むように。アオの気遣いが、嬉しくて。
先にホールに入り、みんなと合流するまでに顔を直したくて、化粧室へ。
しばらくしてから戻ると、一佳ちゃんたちも来ていて、一緒に席に着いた。
講演の後に続いて懇親会。
最初は、一佳ちゃんやゼミの女子と一緒だった。
そのうち、一佳ちゃんは、アオのところに行ってしまい、優羽ちゃんも他の女子と盛り上がって。
またいつの間にか、男子ばかりになって。そこへ、散歩の時に絡んできた上級生たちが合流してきた。
お酒も入っているせいか、話し方が馴れ馴れしい。時々、わざとなのかオーバーアクションで肩とかに触れそうになる。なんとか躱しているけど……やっぱり気持ち悪い。
周りのゼミの男子も上級生相手だと止められないようで、どうやって抜けようかと思っていたところに、和哉が来て。
「みちるちゃんは、今、接触禁止でーす」
「え、なんだよ、それ」
「センパイ方、ちょっとパワハラですよ。無理に触るとセクハラ」
「おい、和哉」
ちょっと同ゼミの男子が止めようとしたけど、和哉は、いーからと押し切った。
「だって俺、みちるちゃんのカレシ立候補中だもん」
あまりにあっけらかんと言われ、毒気を抜かれたのか、
「はいはい、わかったよ」
先輩たちも引いてくれた。
「ありがと」
「ふふん、お礼いただきました」
和哉のこういう明るさは救いになる。
一佳ちゃんとアオが、どうしても視界に入って、それを消したくて。
俯いた私に、
「あ、どさくさで言っちゃったけど、俺本気だから」
と、和哉は言った。
「和哉、私……」
「いーよ。みちるちゃん、まだまだ無理でしょ。そのうち、考えてくれたらいいから」
言いかけた私を遮って、和哉はそう言って笑った。
なんとか懇親会を乗り切って、コテージヘ帰る。
一佳ちゃんとアオが、その中にはいなかった。
たぶん、二人で抜けて。きっと大事な話をしている。
「うーん、一佳、ね……」
ボソリと優羽ちゃんが呟いた。
「わかるけど……意外かな」
「優羽ちゃん?」
「まあ、ちょっと腑に落ちる部分もあるんだけど」
なんだかよくわからなくて、優羽ちゃんを見つめたら、
「ヤダ、みちるってば破壊力強すぎ」
なんて茶化されて。
「私は、傍観者だから。みちるは……渦中で頑張って」
……何を頑張れと。
一佳ちゃんは、なかなかコテージに帰って来なかった。
他の女子たちが全員入浴も済ませた頃、やっと一佳ちゃんが帰って来て。
「じゃあ、最後のお風呂いただきます」
そう言って、さっとお風呂に入ってしまった。
明日は、高原地域の朝市と物産展が開催されることになっている。朝も早いので、みんなそろそろ寝支度に入った。
一佳ちゃんもお風呂を出て、髪を乾かしている。
上手くいった、のかな?
……機嫌も良さそうな感じだし。
聞かなかったのは、聞きたくないからで。
いつか誰かをちゃんと好きになれたらいいなって、思ってた。
だけど。
……こんなふうに気づくなら、好きになれなくたってよかった。
いつの間にか、彼のことばかり考えている。
そこにいれば、ずっと気にしている。
知らない間に、彼を見ている。
……アオは。
……アオが。
……アオを。
心が、持っていかれる。
こんなふうになる、なんて。
明日から、どうしよう。