1 「無理」が重なる。 〜 Ao side
ものすごくお久しぶりです。
新作始めました。
今回は、書き上がってます! 毎日、7時と19時に投稿予定です。よろしくお願い致します。
「……無理だって、言ってるでしょ!!」
俺が初めて彼女と話したのは、夏休み明けの大学。
三限目に突入し、昼食を取る学生の波が少しばかり落ち着いた大学のカフェテリアの入り口近く、彼女の声が響いた。
痴話喧嘩、か。
……こんなところでよくやるよ。正直、呆れて、ただ素通りするだけのはずだった。
「だから、納得できないって」
「無理だから、それだけ」
そこまで大声ではないものの、お互いに険を含んだ言葉の応酬。学生たちは、あまり関わり合いになりたくないと見て見ぬふり。
そんな時、遅めの昼食をとろうとカフェの入り口を目指していた俺と、彼女の視線が一瞬絡み合った。
「成沢くん!!」
当の彼女に名前を呼ばれて、ぎょっとする。
「今から、お昼なの? 今日、プレゼミだよね」
言いながら、もう話は終わったと相手の男を振り切って、彼女は俺に近づいて来た。
確かに後期から始まったばかりの四限目のプレゼミが一緒だったな、と思いながら、
「……あっち、いいの?」
と置き去りにした相手と彼女の様子を交互に伺うと、
「もう話すことないから」
と俺を促してカフェに入って行く。
向こうはそうでもなさそうだけど、と思いながらも、もう仕方がない。
俺は、彼女に続いてカフェに入った。
俺の日替わりランチの前に、彼女のミックスサンドのプレートが静かに置かれた。
これ、一緒に食べる流れなのか。ほとんどしゃべったこともないけど。
「よく名前知ってたな」
「先週、ゼミで自己紹介したでしょ」
確かに。けど、ほぼ初対面の人間が二十人近くいたような。
「成沢くん、目立つから」
こともなげに言う。
「百八十越してるでしょ?」
「まあな」
ああ、身長か。
「イケメンだし、一年の頃から噂になってた」
それはどーも。
「藤崎もな」
目立つ。
「あんまりいい噂じゃなさそう」
こともなげに笑う。
さらりとした艶黒のロングヘア。黒目がちの大きな瞳。さりげないナチュラルメイク。小顔で、スタイルもいい。画面越しに、歌って踊っていても驚かないスペックだろうと思う。
彼女、藤崎みちるとの接点は、この二年後期のプレゼミからだったが、その存在は俺も知っていた。
「……聞かないんだ」
「さっきの?」
聞いて欲しいのか?
俺が黙っていると、
「……また無理だった」
彼女は、ほとんど聞き取れないくらいの小声で漏らした。
「何人目?」
意地の悪い質問をした。茶化すように。
はっとしたように顔を上げ、大きな瞳が真っ直ぐ俺を射る。
「また、って言ったから」
可愛くて美人。男が放っておくわけがない。そんな彼女は、長続きしないことで密かに有名だった。
「無理なものは、無理だろ」
さらに俺は言った。
「何人だろうと、同じことだ」
どう無理なのかは、知らない。ただ、少しはわかる気がする。
射るようだった彼女の目線が少し緩む。
「成沢くんは、彼女いるよね」
「ああ」
向こうから告られて、二カ月。それなりに順調。
「いいなあ」
羨ましいと思っている風に言いつつも、
「なんでうまく行かないのかなあ」
その言葉は、答えを求めるでもなくて。
「無理なんだろ」
「うん」
「だったら、仕方ない」
断言してやると、何処か嬉しそうに、
「そうだよね」
と、彼女は言った。
その後は、残りの食事を楽しみつつ、特に何ということもない話をした。
おしゃべりというわけでもなく、会話のテンポや返しが心地よい。
思いのほか、ゆっくりしてしまい、そろそろ四限のゼミの教室へ向かった方がいい時間になってしまった。
そのまま、なし崩しに一緒にゼミ教室に向かう。既に来ていたメンバーから、少しばかり驚いた顔をされたが、説明は求められなかった。する気もなかったけど。
「アオ、今日ゼミのあと懇親会やるよ」
俺と同じイベントサークルの北野和哉が、ちらりと隣の藤崎を見やりつつ近づいて来た。
「アオ?」
「ああ、コイツ、成沢碧だから。アオイっていうと女子みたいだって」
意気揚々と、和哉が藤崎に説明する。
「藤崎さん、今日ゼミのあと、空いてる? 懇親会来るよね?」
空いてるかと聞きながら、来るよねという押しの強い和哉。イベントサークルでも仕切りたがりの盛り上げ隊だ。
「うん、大丈夫」
「やった! 俺めっちゃ楽しみにしてたんだ」
そういえば。藤崎みちるが同じゼミだって、一番に騒いでいたのも和哉だった。
ゼミ開始の懇親会は、八割方の参加で盛況だった。
プレゼミでは、グループワークで年末に発表するというのと、十一月には研修旅行を行なうことが決まっていた。グループワークに向けて、コミュニケーションアプリのID交換もした。
最初の乾杯から、それぞれ場所を動いてテーブルの面子が変わって行く。
俺は、動かない方。ふと斜めのテーブルの藤崎が目に入る。彼女も動いていない。
最初は女子で固まっていたようだったが、いつの間にか男に囲まれている。
女子の中でいるより、楽そうに見える。女子同士の付き合いが苦手なのか。ただ、ちょっと距離が近い。そんなだから、すぐ勘違いされるんだ。
「藤崎さん、いまフリーらしい」
グラスを持って隣に来た和哉が、俺の肘を突つく。情報が、早い。
「あー、そうみたいだな」
「同じゼミで、ラインも繋がって、なんか前途明るくね?」
前向きだな。
「あんな可愛い子と、付き合えちゃったりして」
少なからず高揚している和哉に、俺は、
「まあ、頑張れ」
と、おざなりな励ましをした。
付き合えたとして、速攻別れるパターンを想定しないのか。目の眩んだ男には、噂なんかブレーキにもならないようだ。
「彼女持ちは余裕だねー」
和哉がまた俺を突ついた時、俺のスマホが振動し始めた。
メッセージじゃなくて、通話。遥香からか、なんだろ?
「ちょっと外す」
和哉と周りに断りを入れて、席を立つ。
居酒屋の喧騒は、通話に向かない。
「あー、ちょっと、待ってて」
通話状態にして、とりあえず外に向かう。
『碧、いま、どこ?』
廊下に出ると遥香の声。何処か切羽詰まったような。
「大木屋」
俺は、来ていた居酒屋チェーンの名を答えた。
廊下を突っ切って、レジの前を過ぎる。少し周りが静かになってきた。
『……誰と?』
「誰、って。ゼミの連中。いま懇親会で」
『聞いてない』
遥香の声が、刺々しい。
いや、急に決まったし、そこまで言う必要ある?
「遥香も友達とご飯行くって言ってなかった?」
店の外に出て……歩道の人の流れを避け、居酒屋の入った建物の、少し凹んだ所で壁に背を付けた。
『女友達だよ!』
うん、だから?
『藤崎さんといたって』
昼のことか? 情報回るの早いな。
「ゼミ前で、たまたま一緒に」
『凄く楽しそうにご飯してたって』
遥香は、俺の話に被せてくる。
「いや、だから?」
不機嫌を声に出してしまった。俺は何を責められてるわけ?
『……だから、って。碧、いっつも、そう』
何が?
『もう、いい』
だから、何?
『別れよ』
「……意味が、わかんないんだけど」
『碧には、わかんないんだよね。そういうとこ。もう、無理だから』
刺々しかった声が、ちょっと震えている。
「……そっか。わかった」
無理、なら、仕方がない。
『……止めないんだよね。わかってたけど』
「無理なんだろ」
『うん。……うん、もう無理』
「わかった」
何が無理なのかは、わからない。別れたいのは、わかった。
……なんだ、これ。
人が振られるのを見たその日に、自分も振られるって。
通話を切って、店内に戻る。
振られた、んだよな?
それなりに順調って、俺も何を勘違いしてたんだか。
正直、遥香のことを、好きだったかと言われると……わからない。付き合っている彼女だから、彼女として扱うようにしていた。
だから?
最近、遥香が、付き合い始めのような無邪気さを見せなくなっていたのも……気づきながら、見ないふりをしていた。
店内の廊下で、藤崎と鉢合わせした。
「出てたの?」
「ああ、電話」
答えて、軽くスマホを掲げる。
「急ぎの用? 大丈夫だった?」
わざわざ通話にしたことを慮ってか、藤崎は心配そうに言った。
「あー、まあ」
言葉を濁した俺に、
「だったら、いいけど」
彼女がふんわり笑った。その笑顔につい、
「無理って言われた」
口走ってしまった。
……あ、れ?
「で、別れた」
なんで、俺、そんなこと。彼女に言うことじゃないのに。
「……そっか」
彼女は、ただ受け止めて、
「……成沢くん、大丈夫?」
と言った。俺が多少なりとも落ち込んでるように見えるのか。
いや、今、胸に刺さっているのは……別れたことじゃなくて。結局、付き合っていた相手を好きになれなかった事実。
大丈夫か、どうか。いま、無理と言われて、何が無理だったのか。
「そういうの、わからん」
「うん、私も」
そう答えてくれた藤崎には、なんとなく通じている、そんな気がした。