兄妹 ― 二つの忠義
【Scene 1:月下の独白】
砂海を越えるオーシャンライナー《アウロラ》の甲板に、月光が静かに降り注いでいた。
二つの月が空に浮かぶこの世界の夜は、どこか神秘的で、そして冷たい。
エルティナ・オルレアンは、手にした細身の騎士剣をじっと見つめていた。鋼の刃は白く輝き、まるで彼女の迷いを映し出しているかのようだった。
風が、静かに髪をなでる。帝国の勢力下を離れ、一安心したからか考えることが多く、彼女は眠れず甲板で風を浴びていた。
――兄さん。
まだ王国が平和だったころ、突如姿を消した兄。その背中を、私は忘れられなかった。
誰よりも正義感が強く、理想を語り、妹である私にも剣と誇りの意味を教えてくれた兄。 一緒に王女を支えていくものと思っていた兄。
その兄が、王国の陥落後、占領下の王都で帝国の人間といた――そんな噂を、地下組織の仲間から耳にした。
信じたくなかった。あり得ないと否定し続けた。
でも。
あのとき、王都陥落があまりにも速すぎたこと。
誰かが、手引きしたのではないかという噂。
その“誰か”が――自分の兄ではないかという、黒い想像が、胸の内に巣食っている。
リゼ様は、私を信じてくれている。
でも私自身が兄が王都陥落、王家滅亡にかかわっていたとしたらこのまま仕えていいものか、わからなくなってくる。
剣を鞘に戻し、彼女はひとりごちた。
「……“帝国”にいるの? 兄さん……」
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【Scene 2:鉄の男】
帝都アルキイア、国家憲兵総局第七部――通称〈レクス〉。
その司令室には、数多くの魔導端末と情報員たちが行き交っていた。
ホログラフ水晶に映し出されたのは、ベルネスの市場暴動の映像だった。
群衆の怒声。煙。投石。突入する憲兵。そして何かをきっかけに爆発的に拡大する混乱。
モニター係の一人が報告する。
「群衆行動に不自然な同調が見られます。……第三者の誘導痕跡ありと判断します」
静かにそれを聞いていた男が、手元の書類を伏せた。
マティウス・ラインフェルト大佐――
その正体は、かつてラルナスタ王国の名門オルレアン家に生まれた、エルティナの兄。
祖国を捨て帝国に帰属した今では、旧名を捨て、憲兵総局で異例の抜擢を受けた謎多き存在となっていた。
その目には、冷徹な光と、何かを押し殺すような陰が同居していた。
「……暴動は自然発生ではない。誰かがいたな」
報告では、同じ頃にある一行が国境を越えたとの報告があった。
――リゼリア。
妹の幼馴染であり、また彼自身も幼い頃から知る、あの王女。
今回の騒動では、群衆側にも被害が出ている。
誇り高き彼女が、意図的な暴動を引き起こすとは思えない。だが、あのタイミングで彼女があそこにいて、包囲と追跡がことごとく失敗した――それを偶然と片づけるには、あまりにも出来すぎている。
かつて彼は、彼女にこう語った。
「王族とは、民に道を示す者。……その覚悟がなければ、剣を持ち王座に座る資格はない」
――だがその覚悟は、どこまでわかっていたのだろうか。
愚かな民と、無為な王政。
その両方が、この星を蝕んだ。
だが彼らは、その意識すらない。
……必要なのは、強き意志だ。
導く者の、選ばれた者の、冷酷でも正しき判断だ。
星は――もう、限界にある。
我々は、帝国はやるべきことをやっている。
またそのためには、王女の持つ力が必要だ。
一緒にいるであろう妹は、元気だろうか。許してくれとは言わない。
「……“妹よ”元気でいてくれ……」