今日の死亡者
ある男がいた。彼は毎日が休日のように過ごしていた。二度寝は基本中の基本。眠気がなくなってから、のろのろと食事する。あとは気まぐれにネットゲームや動画を楽しみ、気が付けば次の食事の時間を迎える。しかし、このルーチンさえ絶対ではなく、ただ気の向くままに時を過ごしていた。
だが、彼が特別に怠惰なわけではない。現代社会では、誰もがこうした生活を送っている。科学技術の進化により、すべての労働はロボットが担うようになり、人間は働かなくても生活できる時代になったのだ。一人ひとりがロボットを所有し、娯楽に囲まれ、ゆったりと人生を過ごしているのだ。
「……と、危ない。あと五分で始まるじゃないか!」
彼は独り言をつぶやきながら、慌ててテレビの前のソファに座った。
普段はナマケモノのようにだらけた生活を送る現代人だが、毎晩八時前だけは驚くほど機敏になる。その理由は――
『八時になりました。今日の死亡者発表のお時間です』
この番組があるからだ。かつては交通事故や病気で人が亡くなるのは日常だったが、現代ではほとんどの人が寿命で亡くなる。(それもまた長寿ではあるが)自殺者は稀な存在で、殺人はさらに珍しい。
『昨晩から本日までに、八名の方がこの世界から旅立ちました』
「おお、八人か!」
彼は画面に次々と映し出される名前と顔写真を眺めながら、胸に広がる優越感に浸った。
昔の人間が想像もできないほどの長寿を得て、あふれんばかりの娯楽に囲まれていても、どこか退屈を感じる日々。しかし、この番組を観ると不思議と心が満たされるのだ。
『――は寿命でお亡くなりになりました。そして、次……』
「おっ! まさか!」
『なんと、この方は事故で亡くなられました!』
「おおっ! 出た出た! い、いったいどんな事故なんだ!?」
現代では事故死などありえない。家の中も外も安全対策が徹底されている。転んだ? いや、ほとんどの物が衝撃吸収素材でできている。強い衝撃が加わると即座に軟化し、吸収するのだ。それに、自分のロボットが助けてくれるだろう。そばにいなかったとしても、センサーが異常を検知すると、救急ロボットが飛んできてその場で治療してくれる。では湯船で溺れたのか? いや、風呂場にも安全装置がある。あ、そうだ。確か、昨日も事故死が一件あったな。あれは、ひひひ……ああ、知りたい。もったいぶらずに早く詳細を教えてくれ!
彼は画面に目を凝らしながら、よだれを拭った。
『彼は――』
その瞬間、インターホンが鳴り、彼は反射的に玄関のほうを向いた。気のせいかと顔を戻そうとすると、またインターホンが鳴った。確かに誰かが来ているようだ。
「……あ、なんだよもう。聞きそびれてしまったじゃないか。くそっ」
客が来ることは滅多にないので、彼はついそちらに気を取られてしまった。彼を急かすように、インターホンの音がまた鳴る。
「ロボットは何をしているんだ……またアップデート中か? 余計なことを……」
彼は仕方なくソファから立ち上がり、壁のコントロールパネルを操作して玄関のドアを開けた。
「開けたよ。どうぞ」
間もなく、足音が聞こえ、二人の男が部屋に入ってきた。
「いったい何の用だ。楽しみを邪魔しやがって……」
彼は苛立ちながら、再びソファに腰を下ろした。この時代、強盗などあり得ないから警戒はしていない。しかし、妙だとは思った。この二人、死亡者発表を見逃しても平気なのか? と。
「あなたがこちらの居住者様で間違いありませんね?」
「当たり前だろう。政府が割り当てた家だ。あんた、政府の役人じゃないのか? 顔と名前くらい把握してるんじゃないのか?」
「ええ、もちろん。ただ確認は必要ですから」
男たちは意味ありげに微笑んだ。その表情にどこか高揚感が漂っているが、珍しいことではない。精神安定のために労働を選ぶ人間もいる。ただそれは、あるものを組み立てては分解するといった単調な作業。人間に仕事をさせるための仕事だ。
「で、何の用だよ」
「実は特別に、あなたにある秘密をお伝えしに来ました」
「秘密? ふーん、どうせ大したことじゃないんだろ」
「『今日の死亡者発表』についてです」
「なんだと!? そ、それはどんな秘密なんだ!?」
「ふふふ、興味を引かれたようですね」
「ああ、当然だろ。もったいぶらずに教えてくれ!」
「ええ、その前に、こちらをお飲みください。おっと、早いですね」
彼は男が差し出した錠剤を素早くつかみ、口の中に放り込んだ。
「ほら、飲んだぞ。早く早く早く!」
「実は……発表される死亡者はすべてランダムで選ばれているのです」
「……は? ランダム?」
「そう。現代では自然死以外で死ぬことはほぼなくなり、寿命も伸びました。そこで政府は、システムによってランダムに死亡者を選び、処理する仕組みを作ったのです」
「ほー……だが、どうしてそんなことをするんだ?」
「人口調整のためです。今は生殖行為に熱心な方は少なく、人口が爆発的に増える心配はないのですが、寿命が延びすぎた今、この生活を維持するためには必要な措置なのです」
「ああ、わかるよ。昔の映画で見たことがあるが、人混みとか最悪だ。吐き気がするよ」
「おわかりいただけて何よりです」
「ふーん、しかしランダムか……。選ばれた人はどうやって死ぬんだ? 確か、ほとんどが自然死だろう? 寿命を延ばせないということか? 病気になったとしてもちりおうしてもへなあのか」
彼は目を見開いた。急にろれつが回らなくなり、多幸感に包まれ始めたのだ。
「そして……今日、あなたがその一人に選ばれました」
男は彼に顔を近づけ、肩に手を置いた。その目は蕩けるように、幸福感で満たされているようだった。
「ま、まて……」
「安心してください。痛みはありませんからね。ああ、センサーは反応しませんよ」
「おい、お前ばかり喋ってずるいぞ」
「馬鹿。次の対象者はお前が説明するから、ここの担当は私だって、さっき決めただろうが」
「ああ、そうだった。つい、羨ましくて忘れちゃったよ。なあ、それで彼の死に方は俺に決めさせてくれよ」
「おいおい、だからその担当も私だろうが」
「ええ、そこはまた改めて決めようよ。俺、さっき彼に合ういい死に方を思いついたんだ!」
「いいから、黙ってろよ!」
床に倒れた彼は、揉め始めた二人の男を見上げながら、理解した。この制度の本当の理由。そして、人々が死亡者発表を楽しみにする理由が。
他人の不幸は蜜の味……