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光の記憶3

明けましておめでとうございます。

予約投稿を忘れていました。

今年もよろしくお願いします。
















 体中に響くヒリヒリとした痛みに、ユリアの意識はゆっくりと覚醒した。

 小さく呻いて目を開けた……つもりだったが、瞼が開かない。吃驚して、もう一度目を開けようとする。しかし、まるで上瞼と下瞼がぴったりくっついてしまったように、どんなに力を込めても視界は開かなかった。

 それどころか、目を開けようと力を込める度針で刺すような痛みが目の周辺を襲う。


 一体何が起こったのか、混乱しながらも確かめるため寝かされていた身体を起こそうとした。

 途端に走る激痛。電流のように全身を駆け巡った痛みが、一瞬呼吸を止める。


「かはっ……」


 悲鳴にもならなかった息を吐き、瞼を開こうとした時など比べ物にならない激痛に、身を捩った。身体を折り曲げて、右手で左肩を覆う。痛みの源に触れた手に、じっとりと濡れた感触があった。


 怪我? どうして?


 痛みに喘いで混乱していた頭に、徐々に意識を失う前のことが戻ってくる。

 剣を構えて立ったアルベリッヒが、無表情のまま自分に剣を振り下ろした。


 これはその時の傷。

 どうしてアルベリッヒが……?


 今までユリアは、アルベリッヒを一番信頼していた。彼は幼いころからずっと一緒にいて、なんでも相談してきた相手。

 たとえ誰が裏切っても、アルベリッヒだけは自分の味方でいると無条件に信じていた人。


 なのに……彼はダリアの側についた。


 そんなことある訳ないと信じたいのに、痛みが邪魔をする。アルベリッヒが切り付けた傷が、痛くて痛くて堪らない。


 この激痛が、証明していた。

 彼の裏切りを……。


「ど、う……して……」


 開かない瞼の裏にアルベリッヒを思い浮かべて、問い掛ける。


 いつもいつも、あんなに優しく笑い掛けて、どんな時でもそばにいてくれたのに、何故……?


 ユリアが知るアルベリッヒは、格式を重んじる騎士として育てられたにしては軽薄で、かなり好奇心旺盛な人だった。基本的に楽天家で遊び好き、どんな些細なことにも刺激とスリルを求めて、時に道化になることも厭わない。


 そんな彼は、厳格を旨とする<騎士>には相応しくない、と非難されることもままあったけれど、アルベリッヒは決して、無責任にふざけていた訳ではなかった。


 アルベリッヒのポジティブな思考が、おかれた環境の所為で暗くなりがちだったユリアの生活に、娯楽と活力を与えてくれた。おかげでユリアは、どんな時でも楽しむことを忘れずに笑ってられたのだ。

 それらがすべて彼なりの気遣いだと気付いたのは、迂闊にも随分大人になってからだったけれど……知った日以降、ユリアはそれまで以上にアルベリッヒを信頼し、そして自分も彼を見つめることを覚えた。


 守られていると感じた時、ふと見上げると、少し長めの砂色の髪が隠す灰色の瞳が、誠意と知性を同居させて見守ってくれていて、酷く頼もしかった。


 他人の目にどう映ろうと、アルベリッヒは常に自分を守り支えてくれる、最高に頼れる立派な騎士。

 アルベリッヒがいたから、ユリアはこの十数年を、不安に潰されることなく、明るく笑って生きてこられたのだ。



 なのに、彼が裏切った?


 信じたくない。一時は本当の家族のように慕っていた彼が、自分よりダリアを選んだなど……。


 これから先、自分を守っていた時のようにダリアを守るなど……。


 そんなの嫌だ!!



 酷く利己的な感情に囚われ、無意識に唇を噛み締めていたユリアは、じきにハッとして、今はそんな場合ではないと思い直す。

 荒くなる呼吸を押さえ付け、意識を耳と鼻に集中させた。目がどうして開かないのかは判らないが、調べる術がない以上、残った感覚に頼るしかない。


 常に鼻孔を掠めるのは、湿った土と食べ物の饐えたような匂い。以前訪れた貧民街で、同じような匂いを嗅いだことを思い出した。

 更に情報を得ようと耳を澄ます。遠くガヤガヤと喧騒が聞こえて、何か場所を判断出来る言葉を聞き取れないかと頑張ってみたが、痛みが集中力を奪って、どんなに耳を澄ませても雑音以上にはならない。ただ、音が聞こえてくる方向の判断はついた。

 そちらに向かえば、助けを求められるかもしれない。


 気力を振り絞って、ソロソロと手探りで周囲を調べながら、ユリアは身を動かした。動く度電流のように走る痛みに、噛み締めた唇が切れても構わない。

 怪我を負って、何処か判らない場所に放置され、目も見えない。これ以上最悪の事態など<死>以外想像出来なかった。


 じっとしていても死ぬだけなら、少しでも真実に近い場所で死にたい。


 指先で地面を確かめ、這うように進む。触れる感触から、寝かされていたのは質の良くない板張りの床だと判った。ささくれた木の面が、何度も指に引っ掛かり、その度に身を竦めながら、四つ這い崩れの格好で、じわじわ膝を進める。


 僅かな距離を、痛みと恐怖心の所為で随分時間を掛けて進んで、やっと指先が違うものに触れる。ハッと手を伸ばして掴んだのは、それまでと違う布の感触だった。

 固いごわごわとした手触りは、床と同じく質の悪さを感じさせる。何度も触って確かめた結果、布はカーテンのように何処か上から垂れ下がっていた。

 試しに手繰り寄せるように引いてみる。しかしユリアが体重を掛けても布はびくともしなかった。しばしの逡巡の後、歯を食いしばり、片手で布に縋りついて、自分の身体を引き寄せるようにして、前に進んだ。


 そして布の向こう側に手を伸ばしたが、そこから先には床がなかった。身を乗り出して手に触れるものを探す。だが、どう探っても自分がいる位置以外に触れるものはなく、ベタベタと自分の周りを触って思い付いたのは、今までと全く違う状況だった。


 ここは室内ではなく荷台?


 日除け雨除け目隠し……用途は様々だが荷台を布で覆った荷馬車は、街でよく見掛ける。そう考えれば、木の床の質が悪いのも納得出来た。

 足りない視界を想像で補って、自分のおかれた状態を推理するのに必死だったユリアの上、唐突に声が落ちてくる。


「君……何やってるんだ?」


 突然言われ、声のした方を慌てて振り向いた。だが、やはり目は開かず、それが自分に向けられたのかも判らない。

 警戒に身を強張らせ、耳と鼻で相手を探る。ふと感じたのは、それまで土とすえた匂いしかしなかった空気に混じった、爽やかな香り。下町に不似合いな、上等な香水の香りが流れてきて、ハッとした。


「そんなとこで何……なんだそれ、血? おい、怪我してるのか?」


 本当に慌てた様子で駆け寄ってくる足音と口調が、この声の主は偶然自分を見つけた第三者だと確信させる。しかも下町の人間ではないらしい。


 助けを求めるなら彼しかいない!


「誰でもいい! 助けてっ。私はっ……」


 勢い込んで手を伸ばした途端、バランスを崩す。荷台から伸ばしていた身体が、ズルリと滑って地面に落ちた。受け身もとれずに、したたか全身をぶつけた激痛は声にさえならない。


「大丈夫か!?」


 聞かれても答えられず、抱き起こされることも苦しくて、譫言のように繰り返した。


「た…けて、お願い……真実を……確か…なきゃ……。ホン…に、アル……、う…ぎった…? 確…め…いと……」

「おい!?」


 呼ぶ声が遠く、ユリアはまた意識を手放した。





◆◆◆◆◆





 思い出すのは出会った日のこと。


 王太女と騎士として、王家所有のバラ園で何万本もの薔薇が乱れ咲く花霞の中、引き合わされた。


 ユリアは父母に、アルベリッヒは父に連れられて。


 真紅の蔓薔薇が覆う四阿で、幼児のユリアと少年のアルベリッヒは出会った。


「これから生命を懸けてお守りします」


 幼いながら騎士の正装に身を包んだアルベリッヒは、未来の女王の前に跪き、子供らしくない流暢な口調で誓いを立てた。

 しかし、誓われたユリアは小首を傾げて聞いていて、やがて座らせられていた椅子を滑り降りると、跪いている彼の手を引っ張った。


「ねぇ、こっちへ来て」


 アルベリッヒの手をとったユリアはグイグイと力任せに引っ張り、困惑したアルベリッヒは父をふり仰ぐ。しかし、大人達は特にユリアを止めようとはしてなかった。


 困ったままのアルベリッヒを連れて行ったのは、元の場所から少し離れた噴水の前。振り返れば、まだこちらを見ている大人の表情が判断出来る。

 姿は見えても声の届かない距離まで来て、小さなユリアは、真っ直ぐアルベリッヒと向かい合った。

 円らな琥珀色の瞳で、真っ直ぐ灰色の瞳を覗き込む。


「ねぇ生命なんていらないから、私とお友達になって」

「友達、ですか?」

「うん。……ダメ?」


 おずおずと問うと、驚きに見開かれていた灰色の瞳が細くなって優しく笑った。


「……いいえ、ではこれから友として貴女をお守りします」


 笑って小さな手の甲へ誓いの口付けをくれた、初めての友。

 彼にだけだった、そんなことを願ったのは。


 ただ出会った瞬間感じた。


 欲しいものは貴方の生命じゃない。

 契約じみたものでつながっていたくなかった。


 だから、友達になってと願ったのに……。


 どうしてその情が、こんなものに擦り変わってしまったのだろう?


 気が付いたらこんなにも焦がれていた。


 決して結ばれない相手。

 選ぶことも、選ばれることも、ない。


 彼にとって私は守るべき貴人で。

 私は女王として、国のために生きなければならない女。


 もしかしたら、抱いたことすらも<罪>かもしれない<想い>。


 気付いたらこんなに貴方が<好き>だった。

 振り返れば必ずいてくれる、私の騎士。


 でも今は、振り返った先に貴方はいない。

 遠ざかっていく姿が、赤い色に塗りつぶされていく。


 それは出会った日に咲いていた赤い薔薇に似ていて……。


 舞踊る花弁が、やがて血飛沫に変わる。


 視界を埋め尽くす鮮血の中に響いた高笑いは、真っ赤な髪の彼女が発したものだった。
















読んで頂きありがとうございました。

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