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光の記憶2
















 ダリアに押されて、一歩前に出る。真正面のユリアは現実を受け止めきれずに……否、拒んだ目で、こちらを見ていた。

 今この状況にも、琥珀の瞳にアルベリッヒを疑う感情はない。それでも信じようとしているのが伝わってきた。


 ユリアは震えながら怯えながらも、まだアルベリッヒを信じている。

 けれど……その信頼に応える訳にはいかないのだ。


 もう後戻りは出来ない!!


 決めた覚悟に奥歯を噛み締めて、剣を握り直しながらユリアに近寄る。

 近付くごとに、細い身体の震えは押さえきれないものとなり、剣の間合いまで迫った時には、小刻みに震える薄い唇から、色が失せていた。


 それでも彼女は逃げない。そればかりか、まだ信じないと目で訴えていた。


 ユリアは知っていた、何があろうともアルベリッヒは自分を裏切らない、と。

 時間を掛けて育ててきた信頼は、形も姿もなくとも、確かにあると言い切れる。


 同じものが、アルベリッヒの中にもあった。

 見つめあうと溢れそうになる感情と言葉は、簡単には覆せない、消すことの出来ない想いの絆が生み出すもの。

 ………しかし、それが故に、アルベリッヒがこの決意を固めたのも、また事実なのだ。



 貴女を守ると誓った、この生命を懸けても……だからっ。



 溢れるものを押さえ付けて、無表情のまま剣を構える。鋭い切っ先を突き付けてやっと、ユリアに動揺と恐怖が現れた。


 どうして?


 そんな風に薄い唇が喘ぐ。琥珀の瞳が哀しみに濡れ始めた。

 悲痛な涙が零れるのを見たら、せっかく被った仮面が外れてしまいそうで……振り切るように高く剣を振り上げた。


「アルッ…」


 声と共にか細く震えて伸ばされた手、届く前に剣を振り下ろす。一息にユリアの肩から胸に掛けて斜めに切り裂いた。

 鈍く、肉を切るとき特有の抵抗があり、吹き出した血の匂いが鼻孔を掠めた瞬間、アルベリッヒの胸にも同じ痛みが広がった。

 ドサリと彼女が倒れる音が響いて、随分経ってから、アルベリッヒは剣を振り下ろす瞬間、思わず閉じていた瞼をゆっくり開く。


 すぐそばの絨毯の上、どす黒く広がってゆく血の花の中央に、ユリアが倒れていた。


 切られた衝撃で気を失ったのだろう、仰向けに倒れた彼女は、瞼を閉じたままピクリともしない。そして、今自分が切り裂いた傷からは止めどなく、生命の源が溢れていた。

 無意識に、剣を握った手が震える。己の行為の恐ろしさで背筋に悪寒が走り、無意味にに呼吸が荒くなった。

 ユリアさま……声失く呼んで、すぐにも駆け寄って抱き起こしたいアルベリッヒを、ダリアが肩を掴んで止める。


「ありがとう、アルベリッヒ。………連れてって」


 いつからそこにいたのか、ダリアに命じられ廊下から現れた兵士が、ぐったりしているユリアを抱き抱えて何処かへ連れて行く。

 呆然としたまま見送ったアルベリッヒの背後で、小さくユリアの呻きが聞こえた。しかし、ハッとした時にはもう兵士達の姿はなく。あったのは、血染めの足跡と点々と散った血痕だけだった。


 ユリアがいなくなってアルベリッヒの身体にドッと疲れが押し寄せる。踏み止どまる力も無くて、ふらふらとその場に尻餅を突いた。

 そして握り締めていた剣をやっと手放し、自分の手を見つめる。


 今先刻、ユリアを、守るべき貴人を切った罪深き手。

 ………でも、罪を犯したこの手でしか、貴女を救えなかった。


 予想外のこととはいえ、咄嗟に急所は外した。すぐに手当てをすれば、生命に別条はないはずだ。


 きっと、大丈夫。ユリアは、大丈夫。


 信じて祈ることしか出来なくて、何度も唱え深く呼吸する。

 途端に血の匂いが鼻孔を犯して、ズキンとまた胸が痛んだ。


 ……確かに、身体の傷は浅いだろう。

 でもそれ以上に酷い傷を、彼女の心に負わせてしまった。


 信頼を打ち砕かれた傷跡は、醜くユリアに残るだろう。

 一生消えない傷を、負わせてしまった。


 申し訳ありません……声にする前に、フワリと空気が動いて、背後から抱き締められる。


「これでアルベリッヒも立派な裏切り者、私の仲間よ。……これからよろしくね」


 愛しさの滲んだ甘い声で囁くダリアの腕の中、アルベリッヒは泣きそうになるのを必死に堪えて、深く深く瞼を閉じた。

 そして自身に言い聞かせる。


 たとえ一生消えない傷が残ったとしても、これで良かったのだ。

 死なせるくらいなら、これで……。


 望みはただ、貴女を守ること。

 貴女を生かすためなら、オレは何でもする。

 それが貴女を傷つけることでも、自分を貶めることでも……。


 己の犯した罪を自覚しながら、背後のダリアにもう一度確認した。


「…………これで、殿下の生命は守っていただけるのですよね」

「もちろん、私が貴方との約束を違える訳ないでしょう。約束通り、アルベリッヒが私のそばにいる限り、ユリアの生命は保障します。……多少不自由はあるかもしれないけど、危険は無いわ」


 何度も確認した答えを受け取り、堪えていた溜め息を落とす。


 それが約束されたから、アルベリッヒは今夜の計画に荷担したのだ。


 王太女のユリアは、幼い頃からずっとダリアを王位につけようとする一派から生命を狙われていた。

 それでも、父王が元気だった頃は表立った対立は避けていたのに……一年程前、国王が怪我が元の病で倒れたことが、事態を一変させた。


 このまま王が死ねば、ユリアが王位を継ぐ。女王となった彼女が最初に行うのは、今日まで自分の生命を狙ってきたものたちの粛正だろう。

 我が身のために彼らはなりふり構わなくなり、ユリア側も争いの終わりが見え始めたことで結束が固くなり、両派は更に熾烈な争いを始めた。


 そうやって、日々生命の危険に晒されているユリアを、アルベリッヒは幼い頃からずっと守ってきた。

 アルベリッヒの家は古くからの騎士の家系で、王家に何代にも渡って仕えている。アルベリッヒも幼い日、なんの疑問も抱かずにユリアに出会い、王太女の彼女に忠誠を誓った。以来、主従の垣根を越えた友人として、そばにいた。


 時が経ち、忠誠が形を変えて現れた恋情が身を苛むようにはなったが、だからユリアのそばを離れるという選択肢はなく。叶わぬ恋ゆえの必死さが、それまで以上の心遣いを生まれさせた。


 しかし、アルベリッヒがユリアを想ったこと、それすらも、皮肉な運命の歯車の一つであったのかもしれない。


 よりによってダリアが、そのアルベリッヒを愛し想うようになったのだ。


 決して昔から仲が悪かったわけではない姉妹。

 少女時代、二人は親の画策や身分の差を知りながらもこっそり会って、互いを思いやっていた。

 無意味な争いと無力な自分達を嘆き、成長したら必ず啀み合いを止めようと約束を交わす姿を、アルベリッヒも見た。





 けれど、大人になって生まれた<情>が、描いていた未来を変える。





 アルベリッヒを想うようになったダリアは、当然のように、彼の想いの矛先に気付いて、以後何度もアルベリッヒに想いの丈をぶつけ、告白を繰り返した。


 ユリアは絶対に応えはしない、だから……そう泣きながら押し倒されたこともある。それでも、彼女に応えることは出来なかった。


 それでいいと決めて愛したから、応えてくれないことを理由に諦めることはない。


 永遠に、この心はユリアのもの。

 アルベリッヒが、ユリアに捧げた想い。


 叶うことのない恋を盾に拒み続けるアルベリッヒを諦めきれなかったことが、ダリア自身が後継者争いに身を投じる原因になった。


 彼は王国の騎士。その忠誠は国と王に捧げられる。未来の王であるユリアは、当然のように忠誠を捧げられ、更に騎士ではなく、アルベリッヒとしての愛情まで独占している。


 ダリアがアルベリッヒを手に入れるには、ユリアがどうしても邪魔だった。

 ダリアにも、力で人の心は手にはいらないと判っていただろう。でもユリアさえいなくなれば、形だけでも、愛しい人は自分のものになる。


 だから彼女は、地位や権力のためでなく、己の恋心のために王位を求めた。


 本人の知らぬところで決定的な亀裂が入った姉妹の仲は修復されることなく、時が過ぎ、やがて訪れた最終決戦。王の容体がいよいよという話がダリア一派を焦らせ、それは武力蜂起の引き金となった。


 太子宮に夜襲を掛け王太女を消す。


 秘密裏に進められていた計画の直前、ダリアはその情報をアルベリッヒに流した。


 最早暗殺とも呼べない手段で、ユリアを亡き者にする。

 恐ろしい計画を知り、驚きと怒りが頭を支配したが、すぐにそれを伝えてくる彼女の真意に疑問を持った。


 そんな重要な情報を何故自分に?


 問うアルベリッヒに、ダリアは恋心故の切ない決意を秘めた目で、究極の選択を迫った。


『私の側について、これから先私に仕えるって誓って。そしたら……ユリアは殺さない』


 愛した人に死なないでほしい、それは誰もが望むこと。


 そしてアルベリッヒは、ただユリアを想い、彼女のため裏切り者の汚名を着ることを選んだ。


 たとえユリアに恨まれ憎まれて、一生許されることがなくとも、生きてさえくれるなら……ユリアが無事その生を真っ当出来るなら、自分がどうなろうと構わない。


 究極の自己犠牲的愛。


 自分の行く先などどうでもいい。

 最初から叶わないと諦めていた恋。どうせ叶わないなら、彼女からどう思われようと関係ない。

 いっそ、果てしない憎しみによって、ユリアが自分を忘れずにいてくれるなら、それもいいと思える。


 身も心も捧げた貴女のためなら、自分自身を犠牲にすることに躊躇いはない。


 誰よりも愛しているから、アルベリッヒはユリアを裏切った。


 生きてさえいればきっと何か見つかるから。

 今は死なないで。


 勝手に願った。


 ユリアを想い、ついに涙を落としたアルベリッヒを見て、ダリアは不快そうに眉をしかめたがすぐに表情を改め、優しい声で囁き掛けた。


「私は、王太女になっても、女王になっても、アルベリッヒを放さない。ずっと好きだから、これからは私を見て……」


 囁き掛け、素早く頬を捕らえてキス。

 アルベリッヒは、無抵抗のまま唇を吸われて瞼を閉じた。


 閉じた瞼の裏、浮かぶのは心底愛しい人の姿。

 眩い光の中、笑って呼ぶ声を思い出した。


『アルベリッヒ』


 もう思い浮かべることすら<罪>と罵られるかもしれない。



 それでも、………オレはユリアを愛してる。




 ……永遠に、愛してる。

















読んで頂きありがとうございました。

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