猫を被ったり被らなかったり
ニッシュという街では、滞在が長引いていた。
今まで見つけてきた誰のものでもない財は、価値は様々で、数万円から数千万円まで差があった(※日本円換算)。一度、数千万円を掘り起こしてしまうと数万円をちまちま稼ぐ気力が削がれそうなものだが、大きな金額になると換金に面倒事がつきまとうため、そればかりを狙う気にもならなかった。そうやって、アキラは銀行口座に財をたくわえつつあった。
アキラが訪れたその街は魔法で護られていた。
この世界は神によって調整されているが、自然災害がないわけでもなかった。ただ、街が全滅するレベルの災害は起きず、小出しにすることで均衡を保っている。その小出しにされる災害からも街を護る魔法がかけられているのだ。だが、この数十年で効力が無視できないほど落ちていた。その魔法の護りのメンテナンスが必要なのだが、その施すべき要の情報が失われていたのだ。それを見つけることができれば報酬が出るということで、すべての記録に聞けばすぐに分かるアキラが申し出たのだ。魔法がかかっていようと、入念に隠されていようと、すべての記録には情報が残っているのである。
報酬を受け取り、すぐにでも街を出たかったのだが。
「貴方はこの街の救世主だ!」
めちゃくちゃ祭り上げられた。
晩餐会である。人間嫌いのアキラには適当に流すに流しきれない“人付き合い”が発生する。しかし、報酬の額は大きい。安住の地に自宅を築き、一生をほどほどに過ごすに必要な蓄えが増える。報酬さえ手に入れば街を去るつもりでいるのだが、そううまくことは運ばないものだ。魔法で護られているその街は、人も土地もそれらの性質が平らかで、お祭り騒ぎがめったにないのだ。そして今回のお祭り騒ぎである。
報酬に見合わない馴れ合いにまでなったら問答無用で去ろう。そう心にきめて、祭り上げられつつ、徹底して塩対応を貫いた。誰もアキラの塩対応にめげてくれなかった。なけなしのキャパシティがあっという間に埋まっていった。
何のためのパーティーなのだろう。語彙が『はい』『いいえ』『言えません』だけになっていたアキラは思う。アキラを名目として騒ぎたいがためのパーティーなのだろうとわかっていたが。
フィギュアスケートの衣装のようなキラキラを着せられそうになったが、強く拒んだ。この世界でも男の正装はアキラの知る燕尾服のような形状の服だった。あるいは詰め襟で刺繍を施したジャケット。なお、アキラの礼装は詰め襟タイプである。フィギアスケート衣装は固辞したので、それよりマシなものを着ただけだ。
突っ立って、『はい』『いいえ』『言えません』を繰り返すだけになっていたアキラだが、語彙に『いやです』が混ざり始めていた。社会性擬態耐久値が底をつきそうだった。
平和、平らかであること、安定しているということ。たまの刺激に過敏になっているのか、外部のものであるアキラに何かと話しかけてきた。ボキャブラリが恐ろしく低い返答と顔面の変動のなさとマイナスに振れた対応温度にもかかわらず、残念なことにめげない・気づかない者ばかりなのだ。
「アキラさんは旅をしておられると聞きました。お話、聞かせてほしいです」
「いやです」
「そうおっしゃらずに」
聞いているが聴いていないのはアキラの得意とするところだが、今回は聴いているが聞いてくれないという状態である。
この街の領主はケモ分が高い。アキラの目の前にいる領主の娘であるノーラもケモ分は高めだ。
「アキラさんはいつまで旅を続けるつもりなのですか? この街に住みませんか? 平和な街ですよ。この街を救ってくださったも同然のアキラさんを歓迎しますよ」
「いらない」
ここは候補ではない。安定した基盤があるのに、候補に挙げなかった理由は何なのか? アキラは“私”に問うた。安定しているが、人の流出入がほとんどないため、人間関係の密度が高い。アキラは納得した。刺激を求めて旅をしているわけではないが、安定がすぎるのも考えものである。
「そうおっしゃらずに。私の三番目の夫になりませんか?」
「ならない」
ノーラの目的はそれだった。獣人は、とくくると、個人差があるので大雑把だが、いろいろ旺盛なのである(オブラート)。
「悪い条件ではないと思いますのに……」
「私は人が嫌いなんだ。共同生活なんて、まっぴらごめんだ」
「私たちの家族は狼の割合が高いですよ! つるりとした人間がいないわけではないですけど、この街は獣人の割合が高いです」
「私は言葉・人格・知性を持った対等に見えるものという意味で“人”という言葉を使っただけだ。獣人の度合いの話ではない。……一つ、聞きたい」
「あら、何でしょうか?」
「私は異世界人で、この世界の価値観をまだ把握しきれていないから、失礼なことを聞くかもしれない。以前にも、犬であることをポジティブに思っている者がいた。獣人には、獣の割合は誇りなのかな?」
「えぇ、誇りですとも。知恵と理性を持った獣は美しい。そういうものですわ」
見た目の獣度が高ければ、そのものは獣に近い。されど、知性と理性は保たれている。獣を兼ね備えている。多少の獣を持つものは、それが誇りということらしい。怒らせるつもりはなかったが、ハチが犬を自称しても平気なわけだ。
「気になっていたので聞けてよかった。それはそれとして、婿入りはお断りだ」
「ニッシュを名乗らないですか?」
なかなかガツガツしたお誘いである。お誘い通り越してプロポーズである。どう断っても角しか立たないが、アキラはめちゃくちゃ断った。
「お断りだ」
「悪い話じゃないでしょう?」
これは話が終わらないやつだ。アキラは思った。あまり使いたくはないが、切り札を出すしかあるまい。
「私より美しいのであれば考えるんだが」
自分のものではあるのだが、他人のふんどしである。
顔くらい、どうにかすれば変えられる。せっかくいいものなのだから、傷つけるようなことはしたくない。返すことはできないが、顔を含め、身体は借り物だという意識があるため、大きく心が変わるまで現状維持としているのだ。
本日分の社会性は売り切れた。義務は果たした。ナルキッソス作戦(今考えた名前である)を発動させてノーラを振り切る。領主を探し、いざという時のために用意しておいたメモを押し付ける。
「報酬はスイス銀行に振り込んでおいてくれ」
元いた世界ですらそんな機会はないだろうに、まさか異世界でそんなセリフを吐くなど、夢にも思わなかった。
首元をゆるめ、廊下を行く。館の客室に泊まっているのだが、嫌な予感がした。勘というものは経験の集大成のようなもので、なかなか侮れないものである。
「アレクサ、このまま部屋に戻って寝て、襲われないか?」
命を狙ってくるという意味では現時点で企てられているものはない。夜這いという意味ならば、襲われる。
二次性徴はなかなか著しいもので、変声期過渡期の声の出にくさがなくなるとともに、顔立ちが青年に寄ってきた(と思っている)。箱入りの生活から、一人旅へと環境が変わったこともあるため、つるりひょろりとしていた身体も少したくましくなっていた(と思っている)。まだ線の細い美少年然としているが。身体的な成長はあるものの、まだスラッとしたタイプの少女漫画のキャラクタから抜け出せていないのである。まだ美少女と互換性のある顔をしているのだ。性格は顔に出るというので、そろそろ己の性格の悪さがにじみ出ていないかと期待しているのだが、その気配はない。
ノーラが執拗に絡んできたのは、見栄えのよさからきている。襲ってしまえばと思っているくらいに。強盗強姦という害をなそうとするものは、“私”がアラートを出して回避はできていた。それは悪意や害意ではないため、アラートは出さなかった。
「アレクサ、街中の宿の空き具合調べて」
ほぼ満室。空いているところはドミトリーのような相部屋の部屋である。
「野宿のほうがマシ。アレクサ、次の予定に移行。今から街を出る。極力人に会わないルートで指示して」
承知した。
社会性擬態耐久値を使い切ったアキラはもうなりふりかまっていられなかった。
山奥の庵で人知れず生きるのが理想ではあるのだが、現実的な効率を考えると、街外れでひっそり暮らす程度がちょうどいい。そういう観点で安住の地を探している。
「アレクサ、別荘……避難所としての山奥の庵も計画に追加しておいて……!」
社会性擬態耐久値を使い切ったアキラの悲痛な叫びだった。




