そして探偵はいなくなった
この世界には神がいる。そして、“神意”という死因が存在する。
神は審判と調整を行う。まれにその調整によって神意が発生する。その法則性は誰もわからず、調整のための神意ということになっている。数十年に一度という頻度だが、それよりももっと高い頻度で人々の口に上る。
「これは“神意”よ……。だって、あの人、急に……」
宿の談話室。でっぷりとした男はソファに倒れていた。白目をむき、口から泡を吐いて。急に苦しみだし、一瞬で糸が切れたようにくたりとなってしまったのだ。素人目には死んでいるようにみえる。
(アレクサ、死んでる? 死因は? 神意か?)
すでに死亡。死因は経口で摂取したセービンという毒。神意ではない。
神は時々、人殺しをなすりつけられるのである。
その日、アキラが泊まった宿には、“談話室”なる部屋があった。宿泊客で交流を持ってほしいと、菓子や茶が好きに飲めるようになっている開放された部屋だ。アキラには他人と交流するつもりはなく、茶と菓子をもらいにきただけだった。
本日のお茶はハーブティー。淹れてくれた従業員は花の蜜を入れるといいと言ったので、蜜が入ったシロップピッチャーから少し注いだ。『私も』と言った被害者であるサイラスにシロップピッチャーをわたした。アキラが菓子をかじったところで、サイラスが倒れた。アキラにはよくない状況である。
真実とは異なろうとも、神意で片付くのであればそれでいい。そうでなければ、アキラが疑われるのは目に見えている。自身の潔白は己がよく知っているのだが。
「いや、うちの耄碌したじいさんが毒つる草をむしって死んだ時のにおいだ。もしかして毒じゃないのか?」
アキラは息を吐く。面倒な方に転がってしまった、と。
(アレクサ、毒つる草とは?)
セービンを抽出するセービンウィードの地方の呼び名。
「それに、“神意”の場合、それとわかるって聞いたことがある」
(アレクサ、何が起きて“神意”とわかるんだ?)
教会などでしか聞けない神託が例外的に降りてくる。
「神意のときはそれを伝える神託が降りると聞いたことがある。何か聞こえた者は?」
アキラはぐるり見回す。うなずくものはいなかった。
「何故、“神意”だと?」
アキラは茶を注いでくれたシャーロットに問う。バツ悪そうな顔をしている。
「見たことがなかったから、そうだったらって……」
しっぽがしょんぼりしていた。
「自殺・他殺どちらかはわからないが、こういう時は医者と警邏かな? シャーロットさん、呼んで「待ってもらおう」
止めたのはコートを着た男だった。肩からケープで覆われた二重構造のコートはアキラの知るインバネスコートによく似ていた。シャーロック・ホームズのトレードマークの一つでもある。この世界の標準的な服装は身分や職業によるが、だいたい決まっている。インバネスコートは、この世界ではまったく見たことのないタイプの服装だ。アレクサに聞くまでもなく、異世界人あるいはそれに連なるものだと想像できた。
「これが殺人事件ならば、ここにいるものは全員容疑者だ。動かないでもらおう」
“探偵”がしゃしゃり出る。
「といっても、問題はあまりにも簡単だ。今この部屋にいるのは、」
部屋にいるのは被害者であるサイラス(ケモ分なし)、“神意”に遭遇してみたかった宿の従業員のシャーロット(ケモ分20%)、じいさんが毒にやられた宿泊客のセージ(ケモ分60%)、“探偵”を気取るのは、
「私はシャーロックという」
そして、笑いそうになってどうにか堪えた自称占い師のアキラ。以上の五人である(うち一人死亡)。消去法でも犯人はわかる。
「これは、」
“シャーロック”が室内をぐるり見渡す。
「毒殺です。では、どの段階で毒が盛られたのでしょう。お茶も、菓子も、誰もが好きにとれるようになっている。サイラスさんだけを狙うためには、彼だけに選ばせるのは困難だ。個別のカップに注いでくれたね? シャーロットさん」
「わ、私殺してないです!!」
「あぁ、わかっている。お茶自体に淹れるには飲んだ量が多すぎる。カップのお茶はもうあまり残っていない」
ハーブティーはアキラも注いでもらった。カップになみなみと注がれたわけではないが、アキラが注いでもらった量を考えると、サイラスのカップの残量は三割ほどだ。
「このハーブティーは香りがいい。花の蜜を入れる前に、その香りを楽しむという飲み方が一般的だ。サイラスさんもそうしたのだろう。ある程度飲んでから、蜜を入れた。それを飲んで死んだ。蜜は、あなたが渡しましたね?」
“シャーロック”がアキラを指す。
「あぁ、そうだよ」
アキラは応える。
“シャーロック”はテーブルに手を伸ばしたが、アキラはその前にシロップピッチャーをさらった。
「あっ! 証拠隠滅をするつもりだな!」
「まさか。私の身の潔白は私が知っている。証拠隠滅をしたいのではなく、証拠捏造を防ぐためだ」
(アレクサ、まだ毒は入れられてないね? 飲んでも大丈夫?)
まだ毒は入っていない。無毒。
「“たいした推理だ。君は小説家にでもなったほうがいいんじゃないか?” おっと、これは犯人が言う台詞だったかな」
言うと、“シャーロック”だけギョッとしていた。
アキラは行儀が悪いと思いつつも、シロップピッチャーをあおった。
「花の蜜に毒が何だって?」
「いや、その……」
急に“シャーロック”の声の勢いがなくなってしまった。
「雉も鳴かずば撃たれまい。とっとと逃げてしまえばよかったのに。君も味見してみるかい? サイラスさんの使っていたティースプーンで。ところで、何故、サイラスさんが死亡していると? もしかすると、医者を呼べば間に合ったかもしれないのに。ねえ、ヤシキさん。あぁ、ヤシキだからホームズなのか。」
活き活きと推理を披露していた自称“シャーロック”ことヤシキは、すっかり真っ青になっている。
「セージさん、取り押さえて。シャーロットさん、警邏を呼んで」
「おう!」
「は、はい!」
セージはヤシキに飛びかかり抑え込んだ。シャーロットは一歩目で転びそうになりながら外へ出ていった。
「くそっ! お前、なんで俺の名前を!」
「占い師だからね」
面倒なのでもちろんすべての記録のことを言うはずもない。
「セージさん、毒つる草のにおいを知ってるなら、その人からにおうのもわかるだろう」
「あぁ、ホントだ!」
ケモ分高めのセージは、やはり鼻がよかった。
「この世界で“探偵”を気取るには、構築に穴がありすぎだと思うよ。詰めが甘かったね、花の蜜よりずっと」
ヤシキはシャーロットが連れてきた警邏に連行されていった。
毒混入の経路はティースプーンだ。サイラスがハーブティーを飲んでいるところに話しかけて、すりかえた。ヤシキが正直に白状したため、アキラたちはたいして事情も聞かれることなく終わった。
これが推理小説であれば、犯行動機が語られるところだが、アキラには興味がなかった。何か恨みを抱えていたか、探偵ごっこをしたかったのか、それはアキラの知るところではない。なんせ、城でのできごとを、我が身を優先して投げっぱなしにしてきたくらいなのだから。
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持ち込まれずともいずれ発明されていたが、この世界には製紙技術と印刷技術が異世界から持ち込まれた。もちろん、この世界の技術が応用され、今は魔法によって自動化されている。本を始めとする印刷物は、アキラが転生したときにはすでに広まっており、文学も発達していた。だが、推理小説はまだ芽吹いていなかった。
のちにミステリという言葉を広めた第一人者がヤシキなのだが、それは未来の話。アキラが知る由もなく、まだすべての記録にも記録されていないことだった。




