ちくわの穴しか狙えなくなってしまった弓道部の女部長さん
校舎の三階からは、弓道場がよく見えた。
黄色い声援。周りで叫ぶ女子生徒達。そのお目当ては弓道場の長である【竹中由美】の姿だった。
「いやぁぁぁぁ!! 由美さまーーーー!!!!」
「私のハートを打ち抜いてぇぇぇぇ!!!!」
「凛々しいそのお姿が明日への活力源ですわー!!」
騒がしい中でも彼女は集中を切らさず、凜とした構えの中、静かに放たれた一矢は、的のど真ん中へと突き刺さった。
「ステキィィィィ!!!!」
真っ黄色の怒号染みた声援が飛び交う中、彼女は静かに声援の主達に向かって頭を下げる。
「今私に挨拶をしなかった!?」
「私じゃない!?」
「私よ!!」
と、弓道場の屋根の上に猫の姿が見えた。可愛らしい茶トラだ。
「近所の猫かな?」
大の猫好きとして真相を確かめるべく、俺は部活が終わった後の弓道場へと向かった。
「さすがにもう居ないか……」
やじ馬も帰り、弓道場には人影も無い。
俺は猫が居ないかどうか、静かに歩いて回った。
「ニャー」
居た。
可愛らしい茶トラだ。人懐っこい顔をしており、俺を警戒する素振りも無い。お触りチャンス到来だ。
「よしよしよしよし。こっちだぞー」
と、猫の足下に何かが見えた。ちくわだ。
「誰かが餌をやったのか……?」
不思議に思い茶トラの方へ進むと、大きな木の陰に誰かが見えた。
「──!!」
「あ、由美先輩……」
「シーッ!!」
出会い頭に口を押さえられ、木の陰に引きずられる。先輩はとても困惑した顔をしており、明らかに様子がおかしい。
「ココで私に会ったことは内緒よ……!? いい!?」
否応無しの要求に、俺はたまらず首を縦に振った。
すると先輩はようやく手を離して、静かにため息をついた。口の周りに残った先輩の温もりが、やけに魚臭かった。
「……ちくわの臭い?」
「シーッ!!」
再び口を押さえられる。今度はやたら距離が近い。部活終わりの制汗剤の匂いが素晴らしく爽やかで、逆に恐ろしい。
「貴方が悪いんだからね……!!」
「……!?!?!?」
先輩の顔が血走るように血気染みてゆく。どうやら俺はココで始末されるようだ。
「ちくわの穴しか狙えなくなってしまっただなんて知られたからには……貴方も同罪よ!!」
「…………はひ?」
ちょっと何を言われたのか、いまいち定かではない。ちくわの穴が何とかって聞こえたのは、多分気のせいだろう。
「私が的の裏にちくわを仕込んでいるだなんて、絶対に知られてはいけなかったのに……!!」
やがて落ち込み始めた先輩の手をそっとよけ、俺はどうしたものかと考えた。
「あのー……」
「弓道場の部長がちくわの穴しか狙えないだなんて……もう、終わりよ」
地面に手をつき、項垂れる先輩。
「死ぬしかないわ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
ちくわの袋を顔に押し付け窒息を謀ろうとした先輩を止め、詳しい事情を聞くことにした。こんな所で死なれては困る。
「──と、いう訳なの……」
「はぁ……」
どうやら先輩は、練習の一環でちくわを置いて穴を狙っていたが、これが中々当たらなく、やがて意地になって気が付けばちくわの穴しか狙えなくなってしまったようだ。
しかも今ならちくわの穴なら百発百中だし、直接見えてなくても気配で分かるそうだ。恐ろしい。
「だから的の裏にちくわを……」
「お願い! 誰にも言わないで!! 今気付いたけれど、私が先走って全部ペラペラ喋っただけで、本当は黙ってれば貴方にも気付かれなかったんじゃないかって、凄く後悔してるの……!!」
「あ、やっと気が付きました?」
どうやら先輩は落ち着きが無くなると自分でも何をしているのか分からないタイプの人のようだ。
「もうすぐ県大会の選考会があるの……。私、今年で最後だし、部長だから……どうしても出たくて!!」
今にも泣き出しそうにすがりつく先輩を見て、何か力になれないかと思ったが、如何せんちくわの穴云々がイマイチ信じ切れない……。
「先輩、ちょっと良いですか?」
「……?」
誰も居ない弓道場に、先輩と二人。
俺はそっと的の表に薄く切ったちくわを貼り付け、離れた場所から合図をした。
「お願いします」
制服のまま、先輩は弓を軽く引いた。距離はいつもより近い。
「薄くても、ちくわの穴ならちゃんと感じるわ」
先輩の手から軽く放たれた矢は、的の真ん中よりも右を捉えた。そう、貼り付けたちくわの穴を的確に。
「すげぇ……」
言葉にならなかった。
わずか数センチのちくわの穴に、矢がしっかりと刺さっている。目の前でまじまじと見せられたその光景に興奮を隠しきれない。
「も、もう一回良いですか!?」
「ええ」
スライスしたちくわを、三つほど的の表に貼り付ける。流石に三つは無理だろうなと思ったが、先輩はわけなくそれらを射抜いてみせた。
「どう?」
髪をかき上げ、余裕に溢れたその顔は夕暮れなのにとても眩しかった。
「今度はちくわ無しでお願いします」
「……」
真剣な先輩の鋭い目つきが、的の真ん中を狙う。
とても集中した空気の中、静かに放たれた矢は、的にすら当たらず、壁に当たりやがて地面に落ちた。
「……やっぱり」
しょぼくれる先輩。
弓道場のカリスマ的存在がちくわしか狙えないなんて聞いたらきっと、追っかけ達もさぞやガッカリするだろう。
「先輩……一緒に練習しましょう」
「協力してくれるのか!?」
「ええ」
「ありがとう!」
何とも変な出来事に巻き込まれた感はあるが、俺は先輩の為に一肌脱ぐことにした。
翌日、ちくわの気配を少しずつ減らしていく作戦が執り行われた。
的の裏にちくわを仕込むのは止め、弓道場の外の木にちくわを仕込んでみる。使うのは俺の弁当に入れておいたちくわだ。
「キャーッ!!」
「ステキィィィィ!!!!」
追っかけの反応を見るに、どうやら的には当たっているようだ。それなりに離れてはいるが、どうやらちくわの穴の気配を感じられてはいるらしい。
「もうちょい離すか」
「ニャー」
と、ちくわを再セットしていると、例の茶トラが現れた。何とも物欲しそうな顔をしてちくわを見つめている。
「これはあげない」
「ニャー」
その目つきは明らかに捕食者のソレで、ちくわハンティングに余念の無い仕草でにじり寄ってきた。
「あげないあげない」
「ニャー!!」
シュバッと素早いジャンピングでセットしていたちくわを強奪した茶トラ。たまらず手を伸ばしちくわを奪い返そうと試みるも、俺の手は空を切った。
「止めろ! 返せ!」
「ニャニャニャニャ」
キシシシ、と笑うように木に登りちくわにありつこうとする茶トラ。
「クソッ! 俺の木登りスキルをなめるなよ!?」
幼少以来の木登りで枝に足をかけ手を伸ばす。
「うわ、なんかベタベタな汁着いた……」
そして茶トラの食いかけちくわを素早く再強奪し、地上に帰還。
「キャーッ……?」
「由美さまー?」
と、黄色い声援がいつもと違うトーンで放たれたのが聞こえた。まずい、真の的が動いたから狙いがずれたか……!!
──ズコッ!!
「おわっ!!」
その刹那、俺が手にしていたちくわが手から消えた。そして近くの木に矢が突き刺さり、ちくわの穴を通っていた。
「ヤバ……」
俺はすぐに矢を引き抜き、ちくわを再々セットした。茶トラに食われてもうあまり残ってないが、なんとか穴は残っている。
「ごめん。大丈夫だった?」
「なんとか大丈夫です」
部活終わり、先輩と並んで帰ることが出来た。制汗剤の爽やかな匂いを漂わせ、凜とした先輩と二人きりになれることは、ある意味貴重な事なのかもしれない。
「しかしあれだけ離れていても狙えるなんて、ヤバいですね。ビッグフットですよ」
先輩が眉をひそめた。ヤバ、不味いこと言っちゃったか?
「……それはロビン・フッドの事かな?」
「そうそう、それです!」
「ハハハ、君の頭にちくわを乗せようか?」
「それは出来れば勘弁して下さい……。でも、明日からは俺がちくわを持ってますので、うっかり直接狙わないようにお願いします」
「すまない。恩にきる」
先輩は気さくにジョークを交えて、俺とも色々と会話をしてくれた。
勉強も出来、顔立ちも良くて、話していてとても楽しい。
俺は次第に先輩と居る時間がとても愛おしく思えてきた。
寝ても起きても先輩の事ばかり考えてしまい、どうやら俺は完全に先輩の虜になってしまったようだ。
──選考会当日。
連日に及ぶ特訓の末、先輩のちくわ射程範囲は100メートルを超えた。
「ちくわを卒業するつもりが、どんどん上達していっている。これじゃあ逆効果だ……」
「いいんだ。今まで特訓に付き合ってくれてありがとう。今日はちくわ無しでやるよ」
先輩は少し寂しそうな顔をした。
「でもそれじゃあ」
「やっぱりインチキは良くない。正々堂々とやってみせるよ」
凜としたその顔付きは、今までに無いほどにやる気に満ちていた。
たとえその結果、選考外となろうとも、先輩を攻める人は誰一人としていないだろう。
「じゃあ、今日は近くで見ていてくれ。私の最後の勇姿を」
「ええ、必ず」
俺は逸る気持ちを抑え、放課後まで寝た。
「田辺! 授業中だぞ!!」
途中で幾度となく起こされたが、起きると居ても立っても居られなくなるので、寝た。
「田辺ー!!!!」
無理矢理寝た。
放課後、いち早く弓道場へ向かったが、すでに追っかけの群れで弓道場の周りは埋め尽くされていた。
「先輩の人気をなめていた……」
押し入って割り込もうと試みるも、ギュウ詰めの中を行こうとすると女子の体に触れてしまう訳で……。
「コイツ今私の胸触らなかった!?」
「ち、ちが……」
「どさくさに紛れて痴漢しようとしてたわね!? 皆! コイツを踏んで!!」
「ぐわぁぁぁぁ!!!!」
あっという間に取り囲まれ、ズコズコに踏み抜かれる。とある界隈ではご褒美らしいが、多数の土足で踏まれるのは普通に痛い。
「ぐぅ……」
ペッと捨てられるように転がされ、何とか立ち上がるも既に全身が激痛を纏っていた。
何とか遠くから見守ろうとするも、追っかけの群れはまるで壁のように高く、しかも掲げられたプラカードや応援幕で完全に塞がれて見えない。
「三階なら……って既に埋まってるし」
どうやら絶景スポットもいつの間にかバレてしまった様で、押すな押すなの騒ぎとなり、三階の隅っこは騒ぎを駆け付けた先生によって封鎖されてしまった。
「キャーッ!! 由美さまーーーー!!」
「ステキィィィィ!!!!」
「愛してるぅぅぅぅ!!!!」
割れんばかりの歓声が飛んだ。どうやら先輩の番らしい。
「お静かに願います」
「黙れカス!!」
「くたばれカス!!」
「引っ込めカス!!」
拡声器で注意を促す部員にブーイングを飛ばす追っかけ達。コイツら悪質なサポーター並だな……。
「ああ! 由美さまが構えに入るわよ! 皆静かに!!」
「シーッ!!」
「シーッ!!」
あっという間に静まりかえる追っかけ達。コイツら何でこんなに統制が取れてるんだ?
「あーっ! 惜しい!!」
「由美さま……」
どうやら一回目は外してしまった様だ。
先輩から聞いた話、選考会は的に当たった本数と中心への近さから総合的に顧問が判断するらしい。
試合なら当たれば良しなのだが、逆に今回ばかりはそれがありがたい。一発でもど真ん中をぶち抜けば先輩にもチャンスありだ。
「シーッ!! 次よ次!」
「シーッ!!」
「シーッ!」
伝言ゲームの様に、静まりかえる追っかけ達。
矢が放たれるまでの時間は、見ているこちら側にも緊張が走る。
何せチャンスは四回しか無いんだ。国民的スナイパーじゃないんだから、せめて十回くらいやらせてくれよって思う。野球だってバット四回しか振れなかったらクソつまんねーぞ?
「あー……」
「由美さま緊張しているのかしら!?」
「ドンマイです!!」
二回目の外れ。
俺はたまらず弓道場から離れた。
踏み付けられた体を引きずるように何とか歩き、的から120メートル離れた校内の敷地ギリギリまでやってきた。風見鶏のついた白い箱のそば、俺は先輩の言いつけを破り、ちくわを袋から取り出した。
「ニャー」
ちくわの匂いを嗅ぎつけたのか、行けば俺が居ると思ったのか、茶トラがそっとすり寄ってきた。
「一本やるから邪魔するなよ?」
「ニャー」
ちくわを一本手に取り、家から持ってきたキュウリの細切りを穴に詰めた。念のためだ。
「無意識でちくわの穴を感じられる程度にしないとな。バレちまう」
ちくわキュウリを手に持ち、そっと胸に押し当てた。
この距離と高さは一度もやった事はないが、何度も特訓した感じ、多分この辺で良いと思う……この際、的にさえ当たってくれれば
「……先輩。すみません」
弓道場はここからは見えない。静かな時間だけが流れてゆく。
「……当たれば歓声が聞こえるから、そうしたら撤収だ」
ジッと当たりを待つ。
ただただ、ジッと…………。
「キャーッ!!!!」
「ステキィィィィ!!!!」
「由美さまーーーー!!!!」
待ちに待った歓声が聞こえると、俺は素早くちくわキュウリを口に放り込んだ。
「ニャー!」
「また今度な」
素早く弓道場へ駆け付け──
「いでででで……!!」
気持ちは素早く駆け付けたいが、体はまるで言うことを聞かない。
ゆっくりとした足取りで弓道場へ向かうと、追っかけの群れは半分以下になっていた。
これなら何とか後ろからでも見えそうだ。
「何で由美さまティッシュ鼻に詰めてたの?」
「体調悪いのかしら?」
「なにあれ?」
追っかけ女子達が不思議な事を口々にしていた。
「最後も少しズレちゃったし、やっぱり由美さまスランプかしら……」
やはり最後もど真ん中とはいかなかったようだ。それでも一発命中したのなら、良しとしよう。
「先輩は……いた」
先輩は自分の番を終え、奥へ引っ込んでいた。
鼻にティッシュは無かったが、その凜とした顔は全てをやりきった顔だった。
「先輩、選ばれると良いですね」
「……ああ」
帰り道、先輩はとても微妙な顔をしていた。口数も少なく、空気も心なしか重苦しい。やはり結果が思わしくないようだ。
「そう言えば、先輩途中でティッシュしてましたか? 周りがそう言っていたので」
「……」
と、先輩が急に立ち止まった。先輩の顔は夕暮れの赤でとても綺麗に見えた。
「ちくわの穴の匂いがしたんだ……」
「──!!」
先輩の顔が険しくなった。
「君には言ってなかったが、私は嗅覚でちくわの穴の匂いを感じている。それが急に途中から感じられて……まさかと思うが……君か?」
「……すみません」
俺は観念して素直に認めた。
先輩との約束を破り、イカサマをしてしまった事。先輩からすれば一生物の大事な選考会を台無しにされたんだ。殴られてもおかしくはない。
「ティッシュで匂いは消した」
「……」
──トン
先輩の手が、俺の肩に乗せられた。
「実は君に一つ言ってなかった事がある」
「えっ?」
先輩が笑った。屈託の無い、恨み辛みとは無関係な、優しい笑顔だった。なんて人だ。こんなことになってまで俺を怒らないだなんて……。
「猫に取られないように、君はずっとちくわを持ち続けていてくれた」
「……はい」
「ちくわと君の距離が近かったからか、触り続けていたかは知らないが、おかけで君が離れていても君が何処に居るか、そして何を考えているのか、すっかり分かるようになってしまったんだ」
「ええっ!?!?」
な、なんだって!?
まさかちくわと俺がシンクロしたのか!?
俺はちくわの穴だって言うのか!?
「最後の一矢は君の心臓を狙った」
「!?」
「君は四六時中、私のことを考えていた。そうだろう?」
「そ、そう……です、はい……」
言っていて恥ずかしくなる。
俺の心が全て筒抜けだなんて、色々とヤバすぎだろ。
「そうだな。ヤバいな」
「ふええっ!?」
現在進行形で心を読まれてしまい、どうして良いのか分からない。
「たとえどんな結果になろうとも、私は弓道を続けるさ」
「先輩!」
「そして君のハートも必ず打ち抜いてみせる」
「……え?」
ど、どういうことだ?
「そういう事さ」
「えっ? ええっ……?」
えっ、待って。理解が追いつかない。
どゆこと? どういうこと?
「どうもこうも無い。さ、明日からまた特訓だ」
「……はい!」
飛びっ切りの笑顔をくれた先輩に、俺は一つ返事をした。
「ちょっと考えたんですが、がんもどきとか他の練り物に穴を開けて、徐々にちくわじゃなくするのはどうですか?」
「うーん、採用!」
こうして、俺と先輩の日々はまだ続くのであった。
やがて、ナットの穴や針の穴をぶち抜けるようになる日が来るかもしれない。
ただ、俺は先輩と居られるだけで幸せだった。