1.真夜中のラジオ
よろしくお願いします。
これはとある大学の寮での話である。
この春、新しく入寮したA君は、寮の規則に首を傾げていた。
「……夜中にラジオを聴くことは禁止?」
ヘッドホンで聴くのも不可と書いてある。
意味がわからない。
夜中の騒音禁止と言いたいのか。
それならば、ヘッドホンでも不可とは書かないだろう。
そして、何故か音楽を聴くのを禁止するとは書いていない。
A君は不思議に思って、管理人に聞いてみた。
「なんで夜中のラジオを禁止するんですか?」
すると管理人は
「ああ、それ。………数年前に、何人も夜中に騒いだ人がいたらしいんだ。」
3年前に新しく管理人になった男は、僕もよくは知らないんだけど、と前置きして、
「皆、ラジオが、ラジオが、って言うんで、禁止になったんだって。昼間は、周りに迷惑にならない音量なら聞いてもいいらしいよ。
どうせ夜更し禁止の方便じゃないかなぁ。
話はそれだけ? じゃぁ、僕は忙しいから。」
説明に全く納得出来ないが、これ以上、管理人はA君の相手をする気は無いらしく、掃除道具を持つと外に出ていってしまった。
仕方なくA君は自室に戻り、部屋の片付けをする。
今年、この寮に入ったのはA君を含めた5名。全員、学部が異なる。
朝と晩、寮の食堂で一緒になるが、少し大人しめなA君は、寮の変な規則について皆に聞くことが出来なかった。
実はA君、あるラジオの深夜番組のリスナーであった。
受験勉強の折、気晴らしにラジオをつけたのがキッカケで、毎日夜中1時からの番組を欠かさず聞いていたのである。
その番組は内輪ネタの多い番組で、前日の話題を次の日に持ち越すことがある。下らない話題なのだが、聞いていないと話が分からなくなって気持ちが悪いのだ。
そして、ここ暫く引っ越し等で忙しくて、ラジオを聞けていなかった。
「………これを期に、聞くのを止めるか。」
明日から、授業が始まる。
A君は夜21時に就寝した。
しかし。
偶に早く就寝すると、よくある話で。
夜中の12時半に目が覚めてしまったのである。
そこから眠れない。
トイレに行ったり、深呼吸したりしたのだが、全然眠くならなかった。
既に1時は過ぎ、1時半になろうとしている。
(番組は終盤かな……)
気になりだすと、もうラジオを聞きたくなって仕方なかった。
A君は、ラジオを持って布団に潜り、ヘッドホンを取り付けた。
(こっそり聴けば問題なかろう。)
案の定、問題なくラジオは聴けたし、その後、すんなり眠りにつくことが出来た。
(なんだ、大丈夫じゃないか。)
A君は、すっかり安心してしまったのである。
それからひと月、日々は問題なく過ぎた。
…………と思っていたのはA君だけだった。
その日も、朝、通常通りに起き、寮の食堂に行く。そこには既に4人の同期が揃って居た。
「A。」
片手を上げて、それに答える。
4人共、A君を見て、怪訝な顔をした。
「お前、ちゃんと寝ているのか?」
「え?寝てるよ。」
A君は入学以来、夜21時に寝て夜中12時半に起き、ラジオを聴いたあと、また眠るという生活をしていた。睡眠時間はたっぷり取っている。
「目の下、隈が酷いぞ。」
「………そうかな。」
鏡は毎朝、髭を剃るときに見ているが、隈はわからなかった。
「きっと慣れない学校で、疲れたんだ。」
隣の席にいたB君は、何か言おうと口を開きかけたが、何でも無いように食事を始めるA君に声をかけられなかった。
やがて食事が終わり、めいめいの部屋に戻っていく。
B君とC君は一限目が休講になったので、食堂に残り缶コーヒーを飲んでいた。
「………なぁ。」
「………うん?」
「A、なんか変だと思わないか?」
「………あー、やっぱ、そう思う?」
B君は周りを見回して、声を顰めた。
食堂にはまだ数名の先輩が残っている。
「俺さ………最近、バイトで遅くなったんだけど。」
B君は周りに先駆けて、居酒屋のアルバイトを始めていた。
深夜2時に帰った時のこと。A君の部屋から明かりが漏れていたというのである。
B君の部屋はA君の部屋の隣。階段から廊下を歩くと奥側にある。
「おまけに何かAの部屋からクスクス笑い声がするんだよ。」
「え?Aの声じゃないの?」
「………うーん、子供みたいな?………」
聞いたC君の背筋を冷たい汗が落ちる。
「……なんかテレビでも見てたんじゃないか?」
「そうかな……そうだよな………」
B君も気持ちが悪くなり、それ以上は話さなかった。
夜中、他の部屋でも光が漏れるのを見たことはあるが、テレビや、まして話し声まで聞こえたことはない。
A君の部屋に異常があるのか。
深く考えるのが怖かった。
A君はその後も寮で生活を続ける。
昼は大学。隙間時間にアルバイトを始めた。
そして夜中に起きては暗い部屋の中、布団を被ってヘッドホンを付けてラジオを聴いている。
同期からは「顔色がどんどん酷くなっている」と心配するので、最近はA君の方から避けるようになってしまった。朝は自室で菓子パンを食べ、夜は外食かコンビニ弁当。
体重は減り、髪の艶も消え、頬が痩けてきたが、本人はあまり気にしていない。
しかし、夏に入る頃、不思議な事が起きるようになった。
……ラジオのチャンネルが動いている。
A君のラジオは小型の持ち運びが出来るサイズで、よくあるダイヤルとクリクリと回してチャンネルを合わせる物。
いつも聴いている番組は一つなので、チャンネルを動かした覚えはない。
おそらくラジオを布団に持ち込むせいで、チャンネルがズレたのだろう。
A君は暗い中、ヘッドホンを着け布団にラジオを持ち込んだ。
(光が漏れると怪しまれる。)
ザーッという微かな雑音が聞こえる。
少しダイヤルを動かすと、何かが聞こえた。
クスクス、フフフフ、いやぁねぇ、フフフ、フフフフフ。クスクス、クスクス………
時々、ローカル番組が入ることがあるとA君は気にせずダイヤルを動かした。
それからも時々、そういうことが起きるようになる。
ある時は笑い声、ある時はお経の様な唸り声、ある時は何処の国の言葉かわからない歌声。
A君はそれらを全て、ノイズで片付けた。
深夜ラジオは楽しい。
真夏になると、とうとうA君は体調を崩した。
大学の中間試験辺りで無理をした影響だろう。
同期や同級生が時々見舞いに来てくれたが、中々体調は戻らない。
「何か変な事、してないだろうな。」
「変な事? クスリとか? してないよ。悪い冗談言わないでよ〜。
ゆっくり寝てれば治るさ。ありがとう。」
そう言ってA君は布団に横になる。
それでもA君は深夜ラジオが止められなかった。
楽しみ、というより、もう狂気かもしれない。
その日はC君が夕方、見舞いに来てくれた。アルバイト先で安く買えたとか言って、サンドイッチを持ってきてくれる。
「ちゃんと食えよ。」
「うん。ありがとう。」
サンドイッチを受け取ったA君の腕は細く、骨と皮だけの様に見える。C君は身震いした。
夜中になるとA君はまたラジオをつけた。
布団に潜って、チャンネルを合わせる。
しかし、今日は何故か目当ての番組が見つからない。
クスクス、クスクス、フフフフフフ、……………
〜〜〜〜〜、〜〜〜〜〜〜〜〜、……………
何度もダイヤルを動かすが、笑い声と唸り声ばかり。
ガバッ
いきなり布団が捲り上げられた。
「!?」
…………えっ! 誰?!
管理人やC君かと思ったが、違った。
そこに居たのは、頬が痩けた寝間着姿の男。
………………自分だった。
「………え?………僕………」
ソレはニヤリと笑うと、数秒後に跡形もなくフッとかき消えた。
次の日から、A君は布団から起き上がれなくなり、病院に入院した。
一週間後、亡くなったという。