身の上話をしましょうか
身の上話をしましょうか。え、興味ない? まぁそう言わずに。
なんか胡散臭い? すみません、信号機のない片側一車線を、軽トラと牛ないしは猪が走っているような地方出身なもので。方言で話すと、訛りすごいなって言われるんです。
心外です。イントネーションは標準語だもん。
まぁ、そういうわけですから、ここはひとつ、ご容赦ねがいますね。
私は5人家族で、歳の離れた姉が3人います。一番上の姉は、私の歳に+10、一番下の姉は+7をします。
4人姉妹を生んだ母は、「34歳」だそうです。私が保育園のときも、小学校に入学してからも、そう言っていたように思います。
純粋な疑問を抱いた私は、自分が亥年であること、一番上の姉が丑年であること、母が子年であることを利用して、母の実年齢を割り出すことに成功しました。
私は足し算のできる、賢い小学生だったのです。
母は、かしましい4人娘を、女手ひとつで育ててくれました。
これでも、物思う春にちょっとヤンチャすることもありましたが、「あんたのは反抗のうちに入らん」と一蹴されて、おしまいです。姉らに余程鍛えられたと見えます。
「今日の晩ごはんなに?」と訊けば「白ごはん」と返してくるような、たくましい母です。
「今日のおかずなに?」と訊かないとだめです。
余談ですが、母の実家は米農家をしているので、ごはんがとっても美味しいです。今度アイガモさんたちにも、お礼を言いましょうね。
私が生まれる月のはじめにお空へ行ってしまった父のことは、実は、知っていたりします。
地域の酪農業を担う責任者として、地元ニュースに出ていたのを、母がカセットテープに録画していたのです。
ぶっちゃけ、後ろの牛さんのほうが目立ってました。ボーイボイボイ。
私はあなたに会えるけど、あなたは私に会えないね。ほんと、こども不孝な親ですよ。
牛乳たくさん飲んでおっきくなったよ、お父さん。
* * *
さて、前置きはこのくらいにして、本題に入りましょう。
去る20XX年、1月12日のこと。
目を覚ますと、私は身に覚えのない場所に立っていました。はい、そうですね。ホモ・サピエンスらしく、2本足で、しっかりと。
まぁ要するに、立ったまま寝ていたというわけです。すごいですよね。我ながら意味不明でした。
そして気になる現在地です。そこは身に覚えこそありませんでしたが、見覚えのある場所でした。ありすぎるくらいです。
なんせ、実家の玄関前だったのですから。
進学を機にひとり暮らしを始めてから、長いこと帰っていませんでした。木造の集合住宅には、母がひとりで暮らしています。
この日は3人の姉や、美味しいお米を作ってくれる母方の祖父母、叔父の姿もありましたので、なにかの集まりだったのかもしれません。とんと思い出せませんでしたが。
玄関を入ると、すぐ右側に階段。2階は、6畳ほどの和室がふたつ、洋室がひとつあります。
南向きの和室は母の部屋で、姉たちが家を出るまでは、私も一緒に寝ていました。
窓の向こうには川が流れ、田んぼがあります。夏はカエルの合唱、秋は鈴虫の輪唱が子守唄だったなぁ。
そんなことを思い出しながら靴を脱ぎ、廊下を3歩行けば、左側に脱衣所と浴室、右側にお手洗いがあります。
うちのお風呂は灯油ボイラーで沸かします。蛇口をひねっても、お湯は出ません。
浴室の壁に穴を開けて根性で配線を通している脳筋仕様なので、抜け穴から、ちょくちょく色んなお客様がいらっしゃいます。
何度カエルさんを庭に離したことか。さわれるの、私だけなんですよね。
たまにナメクジさんもいます。お塩をかけてもだめだったので、お砂糖をかけてみました。だめでした。次は、お味噌とかどうでしょう。だめか。
お手洗い。これも今でこそ時代に追いついていますが、私がつい小学生の頃までは、ボットン式でした。
最近の子は、ボットンってわかりますかね? あ、大丈夫です。わかったからと言って、これといった利益はないので。
過ぎたことは忘れましょう。ビバ、水洗!
小躍りしながらトイレに行こうとして、たまたま床にいたアシナガバチに短い足を刺されて絶叫したのは、いい思い出です。
軒下にできかけていた巣は、母によって駆除されました。ありがとう、お母さん。ありがとう、バ○サン。
そして廊下の突き当たりには、家族団らんを過ごしたリビングダイニングがあります。
8畳ほどのフローリングに、キッチンや冷蔵庫、食器棚、テーブル、テレビ、その他諸々家具や生活必需品が置かれていますので、5人家族にはちと手狭です。今日はおじいちゃんたちもいるし。
カラカラとリビングの戸を開けると、庭です。快晴の空に、洗濯物が揺れています。目についたのは、赤白帽。
小学生のとき、ほかの子より頭ひとつ飛び出ていた私は、いつも最後尾で前にならえをしていました。
足は、速かったほうです。1学年10人前後の1クラスしかない、田舎の小学校だったので、徒競走は男女混合。
1位を取った日の朝に、ひじきを食べていたことを話したら、同級生の間で、『ひじき伝説』なるものがささやかれるようになりました。
6年生のときには、白組の応援団長をしました。「意外と、熱血だよね……」とは、友人の談です。普段は読書をしているほうが好きなんですが、なんというか、ノリで。
中学ではタイヤ引き、高校では綱引きで、女同士の文字通り泥沼の闘いを繰り広げました。「人格、変わるよね……」とは、中学、高校の恩師の談です。
他愛もない思い出が、ぽつぽつと。なんだか面映ゆくなりながら、振り返った、そのときです。
頭を鈍器で殴られたような、衝撃に見舞われました。
そこにあったのは、何の変哲もない電子ピアノ。私が5歳から16歳のときまで、弾いていたものです。
そう、それに違いはないはず、なのですが。
……どうしてこれが、ここにある?
かすかな違和感は割れるような頭痛となって、私へ襲いかかります。
……違う、これは……違う。
そうして私は、ようやく思い出したのです。
……このピアノが、ここにあるわけがない。
だって、この場所は……!
「……姉ちゃん!」
私は夢中で、一番近くにいた、3番目の姉を呼びました。
「どした?」
「もう行こう、早く。やな予感がする……」
けれども、焦りを覚えたそのときには、すでに、手遅れだったのです。
「ごめんください」
──嗚呼。
「そこのあなた、不法侵入で、現行犯逮捕です」
そう……そうなのです。
ここは、私の家ではありません。
「自分が何したか、わかってますね?」
「……はい」
「なら行くで。時間ないけんね」
「……はい」
──私は、『罪』を犯しました。
ですから、捕まってしまったのです。
護送車の中で、俯く人、すすり泣く人。
あれは姉です。母です。叔父です。祖父母です。
……いいえ、嘘をつきました。
彼らは私、です。