血に酔う獣〜1
訓練というのは何も対人訓練のみではない。
そもそも、戦乙女は『天災』以降に現れた全人類の敵である『ボイド』への対抗戦力である。
しかし、そのボイドは月日を経る毎に出現率が低くなっており、被害も年々少なくなってきている。
今ではボイドが出たとしても基本的に深い森奥であったり、ぺんぺん草も生えない荒地であったりと人気のない郊外がほとんどである。理玖が愛莉珠と出会うきっかけとなったあの蛇型ボイドは今では非常に稀なケースであった訳である。
しかし低くなっていると言ってもそれは天災直後の頃と比べてであって、西方面は以前と変わらずボイドが山の様に発生しているが。
そして愛莉珠は一般人からハウンド成り立ての理玖を彼女の学校が休みの日に西方面の激戦区よりかは少ないもののそれなりにボイドが発生している区域に連れて行き、実戦訓練をさせた。
もちろん、先に理玖の現状の実力を見定めた上で問題ないだろうと踏んでからである。
────だが、ここでとある問題がわかってしまった。
「………………うわぁ。すんごいやこれ」
少し離れた場所で愛莉珠はそう独り言を呟いて苦笑いを浮かべた。
彼女の視線の先には自身のハウンドである理玖がボイドと交戦していた。
…………ただ、その光景が凄まじかった。
***
ここで1つ、覚醒ビーストについて説明しよう。
まず覚醒ビーストが産まれる条件は『戦乙女×ビースト』か『魔術師×ビースト』かの組み合わせである事がわかっている。
ちなみに前者が理玖で後者が神崎である。
前者はそもそも数が少なく、後者は親の候補の数が多いが覚醒ビーストになる確率は非常に低い。これは天災が発生した際に生じた黒い隕石群に影響されていないからだと推測されている。現在、後者の条件で覚醒ビーストとなったケースが16人中3人しかいない。ちなみにその3人の中に神崎が含まれている。
次に能力。通常のビーストは戦乙女もしくは魔術師のハウンドないし契約獣になった際、2種類の異能力を使える様になる。1つはビーストの外見上の生物に合った能力でもう1つが本人自身の能力である。
具体例を挙げるならば執行官のトップである縁流1級戦乙女のハウンドである日暮の能力、『収納』と『鼓舞』は前者が本人自身の能力で後者が闘牛のビーストに多く発現する能力である。
覚醒ビーストの場合、まず母親の異能力と父親の所有魔法に応じた能力を授かり、覚醒時に本人が意識的な有無問わず1番強く願った感情を元に3つ目の能力を手に入れる。
『孤独を埋めたい』、『夢であって欲しい』、『もっと金があれば』など様々である。
強い能力と身体能力を持ち、下手すると主人よりも強力な覚醒ビーストにはもちろんデメリットが存在している。
かの有名な監獄の女帝の覚醒ビーストは周りに甚大な被害を齎す自他共に認める弩級の被虐性欲、ユグドラシル局長の覚醒ビーストは若干の不幸(非常にマイルドに包めば)&ヤバい奴ホイホイ(天才フィジカル野生児にロックオン&気づけば囲い込み済み)な体質。
つまり、覚醒ビーストは何かしらの特殊性癖ないし体質を有してしまうという事である。
***
茶髪と銀色のグラデーションが入った腰まで伸びた長髪と他の狼型ビーストよりも大きい3本の尻尾を靡かせ、地面に触れるギリギリまで重心を落とし、獣を思わせる低姿勢で数多のボイドに向かって疾走している。
その理玖の背後には彼女の眷属である魔狼が群れを成して後を追っていた。
そして理玖はボイドの大群の先頭にいた2つ首の牛に似た姿の大型のボイドの下に滑り込むと同時にその腹に向かって凶弾を撃ち込む。そして自身の身がボイドのドス黒い血で汚れるのも厭わず、そのまま突然の凶弾の痛みに苦しむ牛型ボイドの腹に自分ごと突っ込んだ。
そして次の瞬間、その牛型ボイドの身体は内側から爆散し、代わりに全身をボイドの返り血で染め上げた理玖が出てきた。
その今し方ボイドの腹から出てきた理玖にボイドの群れは我先にと殺到する。人、獣、蟲。何かしらを模したものから形容し難い見目をした大小様々なものまで目の前の獲物を喰らい蹂躙しようと向かう。
しかし、それを彼女を頂点とする暴食の眷属達が許すはずがない。魔狼達は一斉に迫り来るボイドの大群に襲い掛かり喰らい付き、凶爪でなます斬りにする。
上下左右、四方八方から絶え間なく襲いかかるボイドを理玖は銃剣で引き裂き、弾丸で撃ち潰し、時には己が顎で喰い殺したりと多くのボイドが瞬く間に霧散する。
そこでようやく彼らは悟ってしまった。『自分達は狩る側ではなく狩られる側』だという事に。
それに気づいた時には既に目に見えて数が減っており、ボイド側は徐々に動きが鈍くなっていった。そしてボイドの無機質な目には次第に恐怖の感覚が宿り始めた。
そして彼らのうちの何体かが魔狼の群勢の奥からやってくる理玖と目が合った。
その顔はまるで三日月の様にぱっくりと裂けた笑みを口元に浮かべており、アメジストに似た紫色の瞳は血の色と同じくらい赤黒く染まり、狩りを楽しんでいるかの様に爛々と輝いていた。
しかし、何故だろうか。
その目は爛々と輝いている筈なのに夜の闇より尚黒く、底なし沼より尚深い。名状しがたい虚ろに覗かれたそんな気がした。
『つ ぎ は お ま え だ』
そう、言外に瞳越しでそう伝えられている………そんな錯覚を覚えた。
ボイドの大群のうち1体が絶叫を上げた。
そして愚かにも脇目も振らずその狂狼が率いる魔狼の群勢に背を向けて逃走を始める。その1体を皮切りにボイド達は1体……また1体と逃走を始める。
それを見逃す狩人達は当然いる筈がなく、群れの主は狂った様に笑いながらそれらを喰い尽くす勢いで群を引き連れていった。
その姿はまさに血に飢えた狂狼であった。
***
〜side愛莉珠
「いや〜〜………まさかこうなるなんて思わなかったよ」
リクと愉快な魔狼達のヒャッハーな蹂躙劇を見て僕ははそうまた独り言を呟いた。
「まさかリクがボイド見るとバーサーカーになっちゃうなんてさ」
今考えれば1番最初の時のあれは契約したてのハウンドによくある暴走じゃなくてリクの性質だったかもしれない。
対人は問題無くてボイドの気配を感知するだけで挙動不審になって視認したら臨戦状態、血を被ったらまるで水を得た魚みたいに目を真っ赤してギラギラ輝かせてLETS鏖殺☆な感じ。
……………………まぁ、ニューゲートの所にいる変態ドM覚醒ドビッチ (調教済み元男)のよりかはマシな部類かな。
だって、ボイドに近づけさえしなければいつもの可愛い僕のリクなんだし。あ、魔獣もかも。………でもリク、普通にスーパーで魔獣の生肉とか買ってるよね?好物だし。
……………とにかくだ。
そろそろリクを止めなければ西部最前線にカチコミかけて鏖殺パーティ始めちゃう。というかもう笑いながら群れ引き連れて行こうとしちゃってるよ。魔狼達も思い思いに咆哮を上げてハイテンションになって炎とか雷とは吹いちゃっているよ。
というわけでとりあえず、先頭を突っ走っているリクを止める為に魔狼達の背中を伝ってあの子の元に走っていってスーツの背中の余っている部分を掴んだ後、逆方向に向かって思い切りぶん投げる。ついでにダメ押しで魔法で擬似電磁加速させる。
するとリクの身体はまるで水切り遊びの石みたいに何度か地面にバウンドして岩壁にぶつかって止まった。その衝撃で岩壁の一部が崩壊してリクがその瓦礫に埋もれてしまった。
群れの先頭を失った魔狼達の動きも止まり、辺りをキョロキョロと見渡した後、次第に僕の方に戸惑いの視線を向け始めた。
『やり過ぎじゃね?』とか『そこまでやるか?』とか魔狼達が喋ることが出来たなら言っていた様な視線だ。
…………まぁ、気持ちはわからなくもない。だから、そんな目で見ないでくれ。
僕はそんな視線を背中に感じつつリクの元に向かった。