暴走警報
夕食を食べ終え、愛莉珠と理玖は風呂に入り、レイチェルは愛莉珠が壊した玄関の修復をした。
最初理玖はレイチェルがいるから風呂は彼女が帰ってからにしようと言ったが、愛莉珠は別に盗まれる物も無いし何よりレイチェルを信用しているから問題ないと言った。
そして風呂での洗いっこという建前の愛莉珠のセクハラを何処吹く風とやり過ごし、普段なら風呂から上がり居間でのんびり過ごしているであろうその時間で少しばかり揉み合いが起きた。
「ほらリク抵抗するんじゃないよ!大人しく、受け取れ!」
「嫌だ!後でいいだろ!レイチェルさんが帰ってからでもいいだろがっ!」
「だから駄目なんだってば!なんでこういう時に限って力強いのかな?!」
現在、愛莉珠と理玖はいわゆるプロレスの手四つの状態でいがみ合っていた。その原因は理玖の魔力補給である。
今の時間は理玖の魔力補給の時間である為、愛莉珠がいつものキスをしようとしたが、理玖はそれを拒否した。愛莉珠と2人だけならまだしもまだレイチェルがいる。誰かが見てる前では恥ずかしいのだ。
「………………なぁ?ウチはなに見せられてるん?」
と半端呆れた様子でワインをラッパ飲みしながらレイチェルはそう言った。
「魔力補給だよ!時間通りにやらないといけないんだから!ほらリク抵抗するんじゃない!」
「だから後でもッ────っ」
愛莉珠に対して抵抗しようと言おうとした時、急に理玖が膝から崩れ落ちた。
「──なに、こ…れ………」
身体を動かそうにも全身が鉛の様に重くて動かせず、視界は眩み始め、思考に霞みがかっできた。更にいうと鼓動も早くなっている。
「まずいっ……レイッ!!喰われたくなかったらそこから動かないで!!」
「な、なんや急に、というか大丈夫なんか!?」
「まだね!ほらリクこっちに──ッうお?!」
愛莉珠が理玖を引き寄せようとするとそれまで動けなかった理玖は愛莉珠の腕を掴むとそれまで感じたことが無いくらい強い力で引き寄せて、一気に愛莉珠を組み伏せた。だが、そこで力尽きたのか完全に愛莉珠の上に乗り掛かる形なっている。
普段と逆の位置になり、辺りは理玖の荒い息遣いのみが聞こえた。
2本ある尾は理玖の今の状況を示す様に体積が2倍に見えるほど毛が逆立っており、バタバタと荒れ狂っている。更に理玖の影が普段よりも色濃くなり、水の波紋が広がる様に影から影へと騒めき、その影響を受けた影からは夥しい量の殺気と獣の唸り声が聞こえてきた。
「な、なんやこれっ?!ボイドか!?」
「ちょっと黙ってて!……いい?絶対にそこから動かないで。影にも触れない様にして」
「わ、わかったで……」
突然の異常事態に混乱するレイチェルに愛莉珠は怒鳴りつけてそこから動かない様に指示し、レイチェルは素直に従った。レイチェルは愛莉珠と違い後方勤務の非戦闘員。もちろん装備さえ整っていれば戦えるが今は非武装である。
「…………リク。僕の声が聞こえるなら返事して。声が出せないなら僕を見て」
「………ゔ、ゔぅ」
愛莉珠がいつになく真剣になって理玖にそう聞けば、理玖は苦しそうに呻きながらなんとか顔を上げた。苦痛に歪むその顔にある父親譲りの紫色の瞳の片側は赤黒くなっていた。
「よくできました。辛いよね?苦しいよね?だけど大丈夫だよ。すぐに良くなるから。だからじっとしていてね」
愛莉珠はそのまま理玖を引き寄せ、いつもの様に魔力補給をする。反射的に身体が強張って逃げようとする理玖の頭を抑え込み、更に駄目押しで身体を絡ませる。そうすれば彼女はすぐに力を抜いて受け身に入る。
そして愛莉珠はそのまま理玖を抱いたまま床を転がりいつもの体勢になると、唾液と共に魔力を流し込む。理玖はそれを喉を鳴らしながら嚥下していき、それまで苦痛に歪んでいた顔も恍惚とした表情へと変化していた。
「……ッ、はいおしまい。もうこれ以上は限界だから。……おしまいだよリク」
愛莉珠はそう言って魔力補給を終わらせて理玖の頭を撫でた。それを合図に理玖はそのまま気絶する様に眠りについた。
「…………はぁ〜〜、間に合った。…………悪いけどレイ。そこの魔蓄箱の栓外してくれない?僕ちょっと動けないからさ」
「え?ま、まぁ、ええけど…………大丈夫なんか?なんか下に沢山おるみたいやけど」
「それなら大丈夫。───お前たち。今から動くのは僕の客人だ。喰うんじゃないぞ」
愛莉珠がそう言えば部屋を満たしていた夥しい量の殺気と獣の唸り声は静まった。しかし、依然として気配だけはある。
「ほら早くして。この子たち、リクと違って気が短いんだから」
「わ、わかった」
レイチェルは急いでリビングの端に鎮座してある魔蓄箱に向かい、魔力放出用の栓を開ける。そしてパチパチと小さな赤い光が出てきた次の瞬間、先程影響を受けた影が一斉に爆ぜ、そこから異形の狼の大群が溢れ出てきた。
その異形の狼たちは我先にと魔蓄箱から溢れる魔力に群がり、食べていく。
「レイ、ここからは他言無用ね。リクは覚醒ビーストなんだよ。そんであの子たちはリクの異能生命体で魔力由来のものならなんでも食べる大食らいなんだよ」
「覚醒ビースト………ということは理玖ちゃんの両親って」
「あの子たちで分かる通り、大泉隊長とそのハウンドの華重副隊長の娘さんだよ。僕は華重副隊長以外であんな異能力見たことないよ」
「ウチもや。あ〜……よう見たら確かにそっくり。見た目が『狂犬』で色が『鬼貴公子』やな」
「……だね。僕も最初びっくりしたよ。まさかここまでそっくりとはね。………というかわからなかったの?」
「いやまぁ……、だって似ていても性格とか全然違うやろ。あの鋼鉄でもボイドでも高笑いしながら素手で引き裂いていく狂戦士に、訓練の時やボイド殲滅の時すんごく良い笑顔と一緒に冷たーい殺気ブリザード起こしておった教官をミックスしたら化学反応起きたんか?」
とレイチェルが酷い言い方をするものの、これに関しては仕方ないことである。
彼女を含めた今の1級戦乙女や特級戦乙女達はその殆どが当時の第二特殊戦闘部隊の隊長と副隊長であった理玖の両親の地獄の扱きを受けているのだから。
片や手加減なんて知ったことではないと言わんばかりに大暴れして頭角を現し調子に乗った新人の心を訓練所ごと粉砕し尽くした華重副隊長。
片や相手の全力を出させてそれをのらりくらりと回避していき、出し尽くさせた後に特大の殺気をまるでいい運動をしたと言わんばかりの爽やかな笑顔で振り撒きながら容赦なく叩き潰す大泉隊長。
どちらも理不尽なのに加えて、最後はハウンドとバディの非常に息の合った連携で僅かに残っていた対抗意識やらなんやらを消滅させてきた今の1級以上の戦乙女達のトラウマ級のコンビである。
そしてそのコンビのハイブリッドで無自覚英才教育を受けた存在が今愛莉珠にしがみついて眠っている理玖である。
「あの2人の特性を合わせて、更に能力を得たハウンド。……………なるほど、お前さんが隠す訳やな。第一の連中に知られたら強硬手段で連れ去られるわな。アイツら色々がめついからなぁ」
「そうだよ……。どこから情報が漏れるかわからないからね。特に今の理玖は不安定だし。万が一、暴走でもしたら甚大な被害が出るよ。……というわけでレイ、絶対に誰にも言わないでよ?」
「わかっとるわ。覚醒ビーストっちゅう爆弾を起爆させる馬鹿ではないんよ。そんじゃウチはお暇させてもらうで。また今度なぁ〜」
レイチェルはそう言ってワインボトル片手に帰っていった。一方で愛莉珠はというと異形の狼たちが理玖の影に戻ったのを確認してそのまま理玖を抱いて寝室へと向かった。