11.究極の言葉遊び。
こんにちは、絢郷です。
今回は「究極」の言葉遊びについて、もしもそんなものがあるとしたらどんなものなのか、筆者の独断と偏見で書いていこうかと思います。
言葉遊びには多種多様なものがあります。この短篇集で扱っているもので言えば、パングラムやリポグラム、アナグラムや回文などがあります。では、これら言葉遊びの中で究極にふさわしいものがあるとするならどれでしょうか?
筆者はパングラムであると考えます。それは何といっても、すべての文字を余すことなく、かつ、平等に登場させているからです。
そもそも何をもって「究極」とするのでしょうか。
そこで筆者は「世界一美しい」と形容される数式をもとに、究極の言葉遊びの特徴について考えてみました。
みなさんは、世界一美しい数式と呼ばれる「オイラーの等式」をご存知でしょうか。
この式は数学者のレオンハルト・オイラーが導き出した数式で、以下がそれになります。
e+1=0 ( または「e=-1」)
なぜ多くの数学者がこの式を「世界一美しい」と称賛するか、その理由をざっくりと説明すると、それは「数学における非常に重要な定数や概念が一つの等式の中で簡潔に収まっているから」です。詳しい説明を知りたい方は、解説書などを読んでいただくこととしまして、今回注目すべきは美しさの理由です。
それはなんといっても、無駄のなさです。式に登場するのは「e、π、i、1、0」という五つの数字(概念)です。自然対数の底e、円周率π、虚数単位i、積の単位元1、和の単位元0、これらはそれ一つで本が何冊も書けてしまうほどには数学において重要なものたちです。例えばですが、もしもこの数式に「14」とかが入っていたらどうでしょう? もしそうなら数学者たちはその式を世界一美しい数式に選んではいなかったでしょう。14が悪いわけではないですが、この五つと比べれば、さして重要な数字ではありません。さらに、各数字(概念)はたった一度だけ登場しているという点も美しいと思わせる要因でしょう。仮にπだけ二度登場していたら、美しさは半減以下です。
さて、言葉遊びにおいて重要なのは文字です。これら文字を一度だけ文中に用いるパングラムは、究極に無駄をそぎ落とし、かつ、余すことなく全てを内包しているその豊かさに美しさを感じることでしょう。ゆえに究極の言葉遊びはパングラムだ、と筆者は考えるのです。
ではどんなパングラムが究極たりえるのでしょうか。
そこで数式の話に戻りますが、このオイラーの等式の美しさは無駄のなさだけではなく、数学の様々な分野における最重要概念が一つに纏まっている、という点です。これを言葉遊びに当てはめて考えると、究極のパングラムとは「さまざまな言葉遊びを含んだパングラム」ということではないでしょうか。
ではパングラム以外の言葉遊びを(この短篇集で扱っているものだけですが)列挙してみましょう。
・縦読み。
・リポグラム。
・回文。
・ぎなた読み。
・アナグラム。
・押印(駄洒落)。
・しりとり。
これらを全てとはいかないまでも多く含んでいれば、究極に近づけることでしょう。では一つ一つ見ていきましょう。まず縦読みです。
縦読みをパングラムに仕込むのはそう難しいことではないですね。試しに一つ作ってみました。
【パングラム】
さあ、行こうぞ。
乱舞せし廻れ。
遥かの地へ。
遠き日に見た夢。
持てぬ熱、無垢な気。
世を擦り、吠えろや。
【解説】
さあ、いこうそ。
らんふせしまわれ。
はるかのちへ。
とおきひにみたゆめ。
もてぬねつ、むくなけ。
よをすり、ほえろや。
↑
さらば友よ。(さらはともよ。)
縦読みで現れる文はパングラムの内容と関連しているのが望ましいでしょう。そう考えると製作難易度は高くなりますが、ともかく仕込むこと自体は可能です。
次はリポグラムです。
リポグラムはパングラムに仕込むことはできるでしょうか? リポグラムはパングラムとは真逆の性質をもった言葉遊びです。定義からして無理でしょう……そう、筆者は考えていました。ですが、一つだけ抜け道を思いつきました。リポグラムとは「特定の文字を一度も使わずに作られた文章」です。では文字ではなく記号にしたら……? つまり「特定の記号を一度も使わずに作られた文章」もリポグラムとしたら? ということで「 ゛、゜」の二つを一度も使わないパングラムを作れば、ある意味でそれはリポグラムでもあると言えるのではないでしょうか。確かにこれなら「が行、ざ行、だ行、ば行、ぱ行」の文字未使用のリポグラムとして主張しても問題はなさそうです。
次は回文です。
これはリポグラムとは真逆の問題点です。パングラムでは、文字を使わない事は出来ないのはもちろんのこと、逆に使いすぎることもできないからです。回文では一度登場した文字が文章の後半で必ず再登場します。そこで筆者は考えました。パングラムに回文を仕込むには次のようにするしかありません。すなわち、パングラムを逆さから読んでも意味が通る文章にすればいいのです。回文の前半と後半をそれぞれパングラムにするイメージです。これなら回文を仕込んだと言えなくもないでしょう。
お次はぎなた読みです。
ぎなた読みをパングラムに仕込むことは、技術的に不可能ではないですね。一例として、なろうで連載されている陸なるみ氏の『陸 なるみの~パングラム・クイズ~』の第117部分でこれを読むことができます。非常によくできた作品でして、ぜひ読んでいただきたい作品です。
つぎはアナグラムです。
アナグラムは仕込むこと自体は出来ますが、しかし”どう仕込むか”と考えると一筋縄ではいかないでしょう。パングラム全文を入れ替えてしまったらそれはもはや別の作品となってしまいますから、組み替えるにしても一部分にとどめなければなりません。しかしながら一部しか組み替えないのもまた究極とはいいがたいでしょう。あくまでも内容に関連性を持たせつつ組み換えるとするならば、上記、回文の所で考えた仕掛けはアナグラムでもありますので、アナグラムに関しては回文とセットと考えるのが妥当ではないでしょうか。
次は押印(駄洒落)です。
押印は基本的に似た音を繰り返し用いて作られるので、一度しか文字が使えないパングラムには不可能ではないでしょうか。そう思ったのですが、駄洒落って同音異義語やぎなた読みで作られているんですよね。てことは、ぎなた読みができるなら押印を仕込むことも可能ではないのでしょうか。
最後にしりとりです。
こればっかりは抜け道は思いつきませんでした。パングラムはいくつかの文で構成されることがよくありますが、やはり文字を複数使えない以上、パングラムの中だけでしりとりは不可能です。ただ悪あがきしてみると、例えば平仮名には形が似ている文字があります。「あ、め」「さ、き」「け、は」「こ、に」などです。これらを同じ文字と見立ててしりとりをする(したとみなす)、というのを思いつきました。
以上、一つ一つ見ていきましたが、究極というからにはこのなかの二つくらいは他の言葉遊びを含んでいてもらいたいところです。欲を言えば全部ですが、全部仕込めたら逆に引いてしまいそうです。そのほかもろもろの条件を考えるなら、「表現が自然」「内容が高尚」「普遍的文章」とかではないでしょうか。
さあ、誰か究極の言葉遊び作品を作ってください。