左手を売った。そしてみんなが幸せになった。
褒められるような人生を歩んできたつもりはないが、最後ぐらいは聖人に憧れるもんさ。
不摂生が祟って体を壊し、死神が鎌を振り下ろすその瞬間まで、病室の窓から雲を追いかけるぐらいしか、何一つやることがない絶望の中、ドクターは俺に素晴らしい提案をしてきた。
「君の左手を売ってくれ。いくらばかりかの金は払うし、君が亡くなってからでも構わないから」
リアリストを気取る俺にとっては、死後の世界なんざ、はなから信じちゃいない。
ましてや、死んだ後の体なんぞにさらさら興味はなく、一時の情熱に狂わされた人生を悔やんでばかりいた妻に、いくらばかりでも金を残してやるのも悪くないと、俺はドクターの提案を快諾した。
「なあドクター。それは俺じゃなきゃダメだったのかい?
別に渋る訳じゃないが、特別であったほうが嬉しいもんじゃないか。
血液型とか、適性と言うのがあるんだろ?」
なぜか苦虫を噛み潰したような表情をしたドクターは、言葉を詰まらせながら、しどろもどろ答えた。
「まあ、そうだな。
色や年齢、太さまで瓜二つだ。君にしかできない特別なことだよ」
「そうか、それはよかった。
ニュースか何かで聞いたことはあるんだが、ドナーにレシピエントの情報を伝えるのはタブーなんだろ?
分かってはいるが、この通り、俺は先の見えた身だ。
せめて、贈る相手の職業だけでも教えてくれないか?」
「……欲しがっているのは医師だよ」
「医師か!こいつはいい、俺は死んでも、俺の左手は、人の役に立ち続ける訳だ。
俺の左腕は、いったい何人の人を救うんだろうな」
「……少なくとも2人だな」
「2人ってことはないだろう。きっと大勢の人間の助けになるさ。ああ、なんて人生だろうな。
社会のゴミと言われた俺が、死後に人の役に立つなんて」
それを聞くなり、なぜかドクターは目に水膜を貼りながら、声を震わせた。
「そうだな、2人なもんか。誓うよ。きっとその医師は、左腕を見るために感謝し、こんどこそ患者に寄り添う立派な医師になると」
欲しがっているのはドクター知り合いの医師かもな。どっちにしても、自分の事のように語るとは、どうもお人好しが過ぎやしないだろうか。
まあ、医者なんてもんは、そのくらいがちょうどいいのかもしれないな。
人は死ぬ。必ずだ。俺が死んで泣くものも笑うものもいるだろうが、少なくとも1人は、俺の死を待ち望み、感謝の涙を流すだろうさ。俺の死は無駄じゃない。俺はそれで満足だ。
※※※
指差される人生を歩んできたつもりはないが、今回ばかりは悪人でも構わない。
ドクターから送られてきた左腕を確認して、丁重に埋葬してやることにした。
間違いない、あれはドクターの左腕だった。
ドクターはちゃんと約束を守った。俺はそれで満足だ。
右手一本で穴を掘るのは難しい。これもすべて、あるヘボ医者が失敗したからだ。
あの日、ドクターは当直にもかかわらず、一杯引っ掛けてやがった。酔っ払いがメスを握って、俺の左手をダメにした。あの日から、俺の心が晴れた事など一度もない。
社会的に殺すのも物理的に殺すのも泣いて嫌がるドクターに、俺は素晴らしい提案をしてやった。
ドクターの左腕を貰ったところで俺の左手が生えるわけじゃないが、これで少しは溜飲も下がるってもんさ。
ドクターは死なずに済んだし、俺も人を殺さずに済んだ。少なくとも2人を救った訳だから、ヘボ医者の腕にしたら上等な働きだろうよ。
さあ、いい加減俺も前を見よう。片腕でできないことは増えたが、何も全てを失った訳じゃない。
これからの人生を歩むのに、こんなにも、今日はいい晴れ日なのだから。




