泥に背負われ、命を繋ぐ
「いつ見てもおっかない魔力……」
一歩前に立つラディから溢れ出る特殊な魔道回路の波動。メテンのみが扱える龍魔力と呼ばれるそれの禍々しさに、魔導士として魔力の流動に敏感なクルドは眉をひそめて言い放つ。
「いくぞ…歯を食いしばれ」
クルドの反応も気にせずラディは一歩前に踏み出し、引き締まった異形の両腕を握って、猛禽類のように鋭い眼光で向かいのシューゲツを睨みつける。
「リアルゾンビか、悪いが“アンデット・バスター”は昔死ぬほど極めたんでな」
ぬかるんだ大地を蹴飛ばしロケットスタートを切る。シューゲツの前まで一気に迫ると、横たわる大木を踏み台に大きく飛び上がる。
呻き声をあげるシューゲツ。ポタポタと血の滴り落ちる右腕を翳し、ラディを見上げる。
掌の上で生成した巨大な水の塊。それを細切れに分解して飛ばし、滞空するラディを狙い撃つ。
それに応えるように宙を舞うラディの両腕から土の塊が生成される。ひとかたまりの粘土のようなそれは、瞬く間に2つの短剣へと姿を変え、向かってくる水弾を捌いてゆく。
「撃たれるはずのおまえが撃ち込んでくるか……!」
文字通りに放たれる銃弾の雨を踊るような剣さばきで弾きつつ、シューゲツへ急接近するように頭を下にして滑空するラディ。
それでも少し、捌き損ねた水弾がラディの肉体を掠めてゆく。
肩、頬、腕、足の至る箇所が裂けて血が滲む。
それでも構わず剣を優雅に振り回して降りてくる様は、龍にも劣らぬ気迫を帯びていた。
直前まで迫り、着地と同時に右手の剣を大きく振りかぶり、シューゲツの首を狙う。
本能的な察知能力があるのか、シューゲツは寸での所で脚を滑らせ、それを躱す。
「……クソッ!」
大きな一撃を外したことでぬかるんだ大地に脚を取られて前へつんのめるラディに、背後へと回ったシューゲツの右掌から血の混じった巨大な水の塊が生成される。
体制が崩れながらも剣を構え、受け止めようとするラディ。対するシューゲツの水塊は徐々に形を崩し、一粒大の無数の水弾へと変わってゆく。
「はいよっと」
背後に飛び込むクルドが空へ向け綿を飛ばす。
シューゲツの真上で浮遊するそれはバチバチと発光し、小さな雷槍を打ち込んだ。
雷撃にあてられ、生成しかけていた水の塊は形を失う。ただの水へと戻ったそれは、シューゲツ掌から崩れるように流れていく。
「なんだよこれ……マジで……何やってんだ…あいつら」
ラディとシューゲツ間による激しい攻防にイブキは言葉を失う。
縛られ、後ろへと回された右手を握り締め、いずれは自分もあそこに混ざり合って命のやり取りを行わなければならないという事実が、恐怖という感情を借りて重くのしかかってくる。
ーーなんで俺はこんなとこに来ちまったんだ───。
一方、唸るシューゲツは雷撃を放ったクルドの方角を振り向く。
標的を彼女へと変え、血まみれの犬歯を剥き出して彼女へ掴みかかろうとする。
「……どこみてんだ?」
隙を逃さなかったラディ。双剣をクロスさせて切り込む一閃により、シューゲツの身体に大きなバツ印が刻まれる。
それでも止まらない。それどころか、追撃を加えようと更に剣を振るラディを払い退け、同時に打ち込まれたクルドの雷撃をも、身体を異常な角度へくねらせて躱す。
「こいつ…思考が無くなった分勘が異常なくらい鋭くなってる感じかな…?」
背後で魔法を躱されたクルドが、苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
そんな彼女と、身をくねらせたままのシューゲツの目が合う。彼女へ向けて唸る様はまさに『邪魔者はお前か』と言うようだった。
「やば……見つかった」
たじろぐクルドへ向け、猛獣のような咆哮を上げながら飛び込むシューゲツ。
血塗れの右手を彼女の喉元へと迫らせた。
「でも動きが動物みたいでお粗末。そんなんじゃあたんないよ」
彼女の喉元へ届く直前、地面からそれを阻むように雷霆樹が発生し、シューゲツの身体を串刺しにする。
殴る斬るより効果があるのか、痺れた肉体は動きそのものを止めるには至らなかったものの、動きを鈍らせることに成功した。
「さぁて…ほんのちょびっとでもあたしをビビらせた……罰ッ!!」
啖呵を切ってポケットに手を突っ込み、何やらもぞもぞと動かす。間もなく周囲に七色に輝くふわふわした物体が彼女を取り囲むように浮遊し、それぞれがシューゲツへと向かってゆく。
それらは一つ一つが小さな魔力エネルギーを持っていた。火、水、雷、風、土……様々な力がシューゲツへ向かい、直撃する。
【グッ……ヴヴゥゥゥヴッ!!】
同時に発動し彼の身体を焼き、鈍らせ、切り刻んでゆく。
それでも動き自体を止めることは叶わず、咆哮をあげながらクルドへと右手を突き出す。
「やっぱね」
その様子をわかっていたように舌打ちして身を引くクルド。去り際で何かを残すように、
「んまぁ、ぶっちゃけメテン相手にこんなの効かないんだけど怯ませてる間に…ラディッ!!」
ラディへと視線を向ける……が、さっきまで彼が居たはずの場所にその姿は見えなかった。
「は? なんでいないのよ」
予想外の出来事に思わず気を取られるクルド。眼前には攻撃を受けきり、自身へ向けて口を大きく開くシューゲツの姿。
「やばっ……“ブレス”だッ!」
メテンが扱う大技“ブレス”。シューゲツの場合、口元で極限まで圧縮された水の本流を豪快に放つという、単純で強力な大技。
もっとも、彼が生前にこれを放ったのは、先程のメギトへの攻撃を含め2度のみ。そのあまりに強大な力に、自らで封印していた技だった。
無論、クルドのような小柄な少女が至近距離で受けてしまえばひとたまりも無い。
そんなブレスが間もなく放たれる寸前まで迫っていた。防ぐのは不可能。躱すのも先程のシューゲツのように身体をくねらせても上手くいくか分からない。
賭けに近い状況だった。それでも諦めず、クルドはなんとかして見切ろうと目を懲らす。
「さすがに死ねないよ……こんなとこで」
そうボヤいた直後、身を隠していたラディが飛び込み、クルドを小脇に抱えて、遂に放たれた奔流が直撃するより先に脱出する。
奔流は周辺の木々をへし折り、なぎ倒し、既にぬかるんだ大地に更に染み込んでいく。ラディはクルドを抱えたまま奔流の威力が弱まる箇所まで一時避難し、大木の枝へと上る。
「ちょッ!! ラディ!! どこ行ってたのよ!! マジで死ぬかと思ったってさ!!」
小脇に抱えられっぱなしのクルドが、脚をばたつかせながら喚く。
「お前がイキってる間にこいつをな」
ラディは見せびらかすようにもう片方の小脇に抱えたイブキを揺らす。
--し、死ぬかと思った……! 茶髪ナイス! お前天才!!
「イキってはないでしょ……てかはやくおろしてってば!なにでっかい荷物みたいにこんなかわいいあたしをあつかってんのよ!」
ガミガミと騒ぐクルドを他所に、イブキは下を見下ろして青ざめる。
下で残されたシューゲツは猛牛のように水の本流を振り回し、木々をなぎ倒して暴れていた。
「そろそろか……」
枝から着地するついでに2人を雑に開放する。相変わらず不服そうにむくれるクルドと、先程の光景を前に、魂が半分抜け落ちているイブキを差し置き、地面に手を翳して龍魔力を注ぎ込む。
注ぎ込まれた地面は彼の目の前で盛り上がり、徐々に龍を模る姿へと変化していく。
「……大地を借りて現れし者」
「ひっ……!?」
慄いて叫ぶラディに合わせ、泥で形成された龍が猛々しい咆哮を放つ。その後ろで先ほどの扱いの悪さにむくれているクルドが、意地の悪そうに言い放った。
「大丈夫なの? 確か大地を借りて現れし者って水あんま得意じゃなかったよね?」
「こいつはその場にある大地を借りて作られる。確かに砂場かなんかの土これを作ったら大量の水分をぶっかけられて形が崩れて終わりだろうな。だが、既にぬかるんでいるここの土を使えば別だ。奴が豪快に水を撒き散らしたお陰でこれ以上水分を吸収して型崩れする心配もない」
「毒を以て毒を制す……。そうだとしてもさ、その為にわざわざあんなどデカい技をあたしを使って誘ったってこと!?」
じとりとにらみつけるクルドを横目に、ラディは答える。
「そういうことだな。次は奴に陽動を掛けろ…逃げ足はお前の方が上手だろ?」
「めっちゃ使うじゃんあたしのこと…」
「お、おいッ!!」
渋々と揺動の為に動き出すクルド。その背中をイブキは咄嗟に呼び止めた。
「なによ」
「い、いくのか……? あんなに危険なとこを……!」
「行くでしょそりゃ。だってさ…アレ、放置できる?」
--そうだけど……怖くないのかよ……。小さい子供なのに……。
少女は不思議そうに首を傾げて奥で暴れるシューゲツを指さす。
その当然のことのような飄々とした態度にイブキは押し黙り、俯く。
何も言わなくなったイブキを後ろ目に、彼女はポケットに手を入れて足場の悪い森を駆け出し、その後ろを追うように、ラディが錬成した土龍が地を泳ぐように動いた。
--ほんとに行った……あいつらは……戦う力を持っているんだ……。そしてそれは……俺にも……!
ふと、縛り付ける縄の強度に違和感を感じる。しっかりと縛られていたお陰でほんの少しも動かせなかったイブキの腕が、先程の移動による衝撃で少しだけ腕を可変出来るほどになっていた。
--俺にも……闘う力が……。
小さくなってゆく少女の姿を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「こっち向きなよ。当たりもしない水鉄砲で環境破壊しちゃってさっ」
煽り文句と共に放たれた雷撃が、暴れるシューゲツの背中に命中する。思惑通りにクルドのいる方向へと水の奔流を向け、彼女が逃げる道をなぞるように振り回していく。
ひたすらにクルドを狙うシューゲツ。本能的に彼女を追いかけたため、足元で張っていた大木の根に足をもつらせ、バランスを崩した。
奔流が上を向き、水圧によってもつれた足が更に液状化した大地にめり込む。
奔流を解除し、突っ込んだ足を引き抜こうとするシューゲツの周りの大地が大きな口の形を以って盛り上がる。
そのまま地面を食い破るように現れた地龍になすすべもなく、頭部だけを残してシューゲツは呑み込まれた。
シューゲツを咥えたまま、地龍は元の大地へと姿を還す。盛り上がる大地の中、首から上だけをこちらに覗かせるシューゲツの前にラディが立ちはだかる。
握る双剣の刀身を彼に向けて呟いた。
「眠れ。おまえももう疲れただろう」
ラディが双剣を振りかぶる。シューゲツの首元に触れる寸前迄刀身を迫らせたその時だった。
「……クソッ!!」
覗かせる首からバレーボール程の大きさの水弾が吐き出され、至近距離でラディに命中する。咄嗟に受身を取ったものの彼の身体は大きく吹っ飛び、茂みの中へ突っ込んでいった。
「まだやる気……? 死んでるはずなのに元気すぎるでしょ」
クルドが魔術の構えを取る頃には右手だけを無理矢理大地から突き出し、水弾を生成するシューゲツ。彼女の魔術よりも先に水弾が放たれる。
「……やばっ!!」
「ッ!!!」
魔術を中止して退こうと身体を翻す彼女の前に、“黒い”異形の右腕を前に翳す男が一人。
彼は水弾を正面から右手で受け止め、四散する水しぶきがクルドの頬を濡らした。
「……ってぇ!!!」
イブキは顔をへしゃげ、右手を抑えて悶絶する。
幾ら龍のように強固な鱗を持った腕でカバーしようとも轟速で迫る水弾に正面からぶつかれば、そこには想像を絶する衝撃と、全身が痺れるような痛みが加わる。
「な、なにしてんのよ……」
戸惑いが混じった色でクルドは呟く。イブキは首だけを彼女へとむけ、
「おれ……が……やる……っス」
「なんでよ、君、右手しか龍皮化出来ないんでしょ? もし生身のとこに水弾が当たったら……」
血だらけになった右手を無理矢理握り締め、既に半身ほど身を乗り出したシューゲツを睨む。
「なんも……でき…なかった……畜生……畜生ッ!!」
クルドはなにも言わず、その場をゆっくりを離れる。まるでイブキの心境を分かったかのように、
「せめて……せめてこれ以上……お前を……戦わせないッ!!」
対するシューゲツは、イブキにも容赦はなかった。水弾を浮かばせ、発射する。
「ッ!!」
飛んでくる水弾は、遠目で見るよりもずっと鋭かった。その場で怯み、眼を閉じてしまう。
「やばいッ!!」
暗転する視界の中、水弾がなにかとぶつかり合う音が聞こえた。目を開けると、茂みに飛ばされていたラディが右手を突き出し、イブキを睨む。
「はやくやれってさ」
木に寄りかかるクルドが付け足す。震える両手をぎゅっと握り、息を吹きかける。
先ほどよりもずっと覚悟に満ちた眼力でシューゲツの元へと駆ける。わけもわからないほど叫び、わけもわからないままシューゲツへ飛びかかる。
対するシューゲツも拳を握り、水の塊をグローブのように纏ってイブキへと振り上げる。
「おおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおぉぉぉおおおおッ!!!!!」
交差する両者の右手。頬を射止めたのはシューゲツの拳だった。
ボロボロの拳が頬骨を砕き、顔にめり込んでゆく。痛みが広がるよりも先に、血を吐きながら吼える。
「シューゲツ……!! お前を……止めるッ!!! 俺が!!!!!」
拳を突き出し、同じようにシューゲツの頬を捉える。全体重を乗せ、彼の身体を押し投げるように殴りぬく。
地面に崩れたシューゲツは、そのまま動かなくなった。その先ほどまで暴走していたとは思えないほど安らかな死に顔は、止めてくれた一同に感謝しているようだった。
--じゃあな……日向秀月……。
落ちてきた木の葉で目元が隠れたシューゲツの死体を、ただじっと見つめるイブキ。
すると、眼を閉じていないのに視界が再び暗転し、自立が難しくなる。
「あ……キミ……!!」
奥で見届けていたクルドが口を開く。無防備に倒れていくイブキの身体を抱えたのはラディだった。
「生きてる? ソイツ」
後ろから顔を覗かせるクルド。眼を閉じ、寝息を立てるイブキを彼女に見せつけるラディは、
「意識を失っているだけだろう。事情聴取の為にもこいつはこのまま持って帰るぞ」
頷くクルドと2人で夕焼けに照らされたシューゲツの死体を見やる。
「もう少し、早く来れたらね」
「どの道メテンだ。どの道何処かでこいつと戦闘した可能性だってある」
少しの沈黙の後、散らばった遺体を埋葬した。何故か依頼されていたフレイマの遺体だけ発見できなかったが、これ以上の捜索は困難とみなし後に専用の調査隊に依頼することにした。
「俺がこの男を背負うからお前は荷物を持て、俺も疲れてるんだ」
「美少女にも容赦がないっていうか…ラディはさ……」
「お前は美少女ってよりはガキだろ」
「はぁ?? なによそれ」
ぶつくさ文句を垂れるクルドを置いて、イブキを背負ったラディはすっかり薄暗くなり始めた森を抜けようと歩き出す。
「さ、さきいくなって……ん?」
ラディの背中を追うクルドは、彼と背負われたイブキの周りに浮遊する青白い魔力の“塵”を察知して立ち止まる。
ただ不思議と、その魔力に“脅威”を感じることはなかった。暖かく優しく、そして全ての者にも平等に降り注ぐ日向のようなぬくもりを孕んだその霧は、今は意識を失ったイブキの元へと集約され、間もなくして消えていった。
一部始終を見届けた少女はそっとフードを被り直してからポケットに手を入れ、ラディに追いつく。彼は視線を少しだけクルドに移し、呟く。
「こいつに宿ったか」
それだけを言い残し、2人は歩き出す。
修羅場となった転生初日。謎の二人組に拾われる形で生存を果たしたイブキ。彼は何を願い、突然与えられた力をどのようにして使うのか……。
宿命と願望に翻弄される彼の物語は、まだ始まってすらいないのかもしれない。