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影に沈む怒りの右腕

「はぁ……はぁ……はっ……!!!」


 身を狼の姿へと変え、森の中を一心不乱に駆ける幼い少女、ユーミ。

 すぐ後ろにはゾンビと化したリナが、手足をありえない方向に曲げながら執拗に追いかけてくる。


 一度捕まれば最後、力の弱いユーミは簡単に食い殺されてしまう。それ故に周りを見る余裕のない彼女は、何度も浮き出た幹に躓き、擦り剥いて身体はボロボロになっていた。


 ーー逃げなきゃ…逃げなきゃ!


 心の中でユーミは唱える。何度も心が折れそうになる自分を鼓舞するように。


 シューゲツや皆がやられている間、何もできないどころか、イブキに叫ばれるまで動くことすらできなかった自分。

 そんな非力な自分に出来る唯一の行動“山を下って人を呼ぶ”だけでも果たすべく、打撲痛が蝕む身体に鞭を打ち、ひたすらに走っていた。


 その矢先、前足が何かに躓く。先の尖った鋭利な石ころだった。受け身を取れる力も残っていなかった故に、無防備にも頭から突っ込むように倒れる。


「うぅ……シューゲツお兄ちゃん……みんな……」


 歯を食いしばって立ち上がろうと努力する。狂ったように鳴り響く心臓は、身体の限界を知らせる警告音のようだった。


 追い付いたリナは呻き声をあげ、血だらけの口を開けてユーミに飛びかかる。


ーー躱さなきゃ…!

 頭でわかっていても、身体が言うことを聞いてくれない。

 咄嗟に瞑った瞳から涙が溢れ、瞼の裏に浮かんだシューゲツらに縋るように懺悔する。


 ユーミは諦め、リナに身を捧げるようにその場に伏せた。

 死んだら天国でシューゲツ達に会えるかもしれない────。必死にそう思い込むことで、この壮絶な最期を受け入れようとしていた。



 突然現れた二人の男女が、彼女を救うまでは──。



「間に合えッ!!!!」


 声を張り上げる青年。ユーミに飛びかかるリナの前に立ちはだかり、地面に右手を突っ込む。

 青年の眼前の大地が盛り上がり、巨大な腕となって発現する。

 その土の腕は獲物を捕らえる蛇のように俊敏な動きでリナを殴り飛ばし、潜るように地へと還ってゆく。


「あっぶな。セーフかな?」


 もう一人、フードを被った少女が嘆息と共にユーミの前にしゃがみ、その汚れた毛並みを整えるように撫でる。

 少女が撫でるごとにユーミの身体に活力が蘇る。

 不思議に思ったユーミは首を持ち上げ、その手に視線をやる。

 白くてか細い少女の手は淡く発光していた。その光はとても暖かく、負傷したユーミの傷を癒してゆく。


「ちっちゃいの大丈夫? いま回復魔術かけてるからちょっと寝てなよ」


 その後ろで戦闘を終えた青年が、追撃を警戒しつつしゃがむ少女に語りかける。


「おいクルド。聞いていた話と大分違うようだがどうなってるんだ?」


「う〜ん…思ったより10倍はやばい状況っぽいね。奥に行ってみないとわかんなそうだけどさ」


 【ウッ……ウウウゥゥゥウウウ……!!!】


 ふたりの会話を裂くようにうめき声を上げて立ち上がるリナ。

 もはや人の形すら留めておらず、手足を這わせて襲い掛かってくる彼女をふたりは睨み、構えを取る。


「ごめんね。中途半端になっちゃったけどさ、後は自分で帰れるかな?」


 ユーミは再び立ち上がり、こくりと頷く。再び森を駆け出す彼女を見送った後、クルドと呼ばれた少女が青年を横目で流し見、訴える。


「ラディ。あたしが決めるから……多分焼けばいける」


 好きにしろと言うようにラディと呼ばれた青年は構えを崩す。眼前に迫るリナに慄くことなくクルドは前に付いたポケットから綿を取り出し、


「……リトル・ファイヤ。───トリプル」


 3つの綿は自ら発火し、クルドを取り囲むように浮遊する。

 突進してくるリナめがけて放たれたそれは、彼女の服に着火するとほぼ同時に全身へと回り、既に魂のない肉体を浄化するように焼き尽くした。


 灰のように崩れたリナの身体に土を覆いかぶせ、埋葬を済ませるラディ。

 リナの眠る土に向かって手を合わせた後、彼はその土を掬い、


「ここからずっと北、その先の土の表面が血で濡れている。手遅れかもしれないが、何かしらの証拠はあるだろうな」


「なんっか大物がかかりそうな予感がするな……」


 ラディの横に並んだクルドは、小さく呟いた。




※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※




「畜生……畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」


 自暴自棄に近い叫びをあげるイブキ。彼を取り巻く黒いオーラと真っ黒に染まる右腕を見て、メギトは嬉しそうに舌なめずりをし、その方へ飛びかかる。


「なんですかそれ!! 楽しそうな力じゃねぇか!! ちょっとよく見せてくださいよぉ!!」


 --落ち着け……躱せ…!! いや躱さない方が……!? 無理躱せ!! 躱せ躱せ躱せ躱せェ!!!


 目を見開き、迫り来るメギトに集中する。必死で思い浮かべた回避ルートをなぞるように左へと身体を翻らせた。


「ぁあおい! 避けんなよ受け止めて反撃してこいよ!! 龍魔力が見れねぇじゃないですかァ!?」


「避けた…避けられた避けて良かったのか? 次は反撃ッ!次はこいつで──── !?」


 イブキは異形へと変わったはずの自分の右腕へ視線を向けると同時に、その表情は凍り付いた。


「おいおい!! いきなり利き腕損失ってまじです!?」


 黒く染まっていたはずの右腕が無くなっていた。それも肩から綺麗に取り外されたかのように。


 --あ……あ……嘘だ……なんで……なんで……なんでなんでなんでなんでッ!!!


 左手で右肩を抑え、ブルブルと震えるイブキに呆れるように、異形の手で頭を掻くメギト。


「あっれ~? あんまりにも感覚がなかったもんで躱されたって思ったんだけどなぁ……。豆腐かなんかで? お前のお身体は」


 あまりにも手ごたえが無かった故に、メギトは困惑の色すら浮かべていた。


ーーなんだ……なんで痛くねえんだ?


 困惑していたのはイブキも同じだった。腕を切断されたはずなのに痛みがない。

 痛すぎて痛覚が飛んで行ってしまったのかと疑ったが、出血もなければ傷口すらもない。

 何よりもどこかでまだ、無くなったはずの右腕を“どこかでまだ動かしている”という奇妙な感触が、イブキを混乱させていた。


ーーこれは明らかにおかしいことだぞ……なんかあるのか……? いやッ!


 ふと、メギトと自身の間に伸びる自分の影に視線を落とす。そこには今ここに映し出されない筈の右腕がくっきりと映っていた。


 --あるッ!! 影には映っている……!? どうして影だけある……? もしかしたら……今ここで……俺の能力が発動してる……? 自分で言ってても訳わかんないことだけど……とにかくッ! もう化学とか常識とかすっ飛ばせ! 異常現象とか超能力とか…そんなのが普通にある世界なんだ。だからこの感触もきっと…なんかあるはずなんだ!!考えろ……考えろ俺ッ!!


 視線を影と右腕に交互させながら思考を巡らせるイブキ。その様子を嘲笑いながら眺めるメギト。腰を低く構えて鋭利な尾を心臓に向ける。


「んじゃ、あんまり傷つけんのももったいねぇんで…! じゃあな! ヘタレ野郎が!!」


 突進するメギト。先ほどとは違い、尾という長いリーチをふんだんに使用してくる分、躱すことはほぼ不可能に近かった

 それをわかっていたからこそ、イブキは真っ直ぐにメギトを見据え、迎え撃つべく目を懲らした。


 --もう一回来る……次は躱せない! あんな長いリーチだ……間違いなく刺されるッ!! ならどうするひとつしかないやるしかないッ!! 逃げるな! 逃げるな逃げるな俺!!! 感覚は残ってんだ動かせッ!! 右腕を!! 絶対何かが起こってるはずなんだ!! それにッ!!



 ーーずっと情けないままで…終わってたまるかよッ!!!!


「おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!! 出てこいッ!! 腕ェ!!!!!」


 吼えるイブキ。感覚のままに右肩を突っ込んでくるメギトへ向けて突き出す。


「ッ!! 来たッ!!」


 すると、イブキの足元に伸びていた右腕の影が地面から剥がれるように出現する。

 一枚の布のように薄く、真っ黒なそれは、メギトの尾以上のリーチを以って彼の眼前に迫った。


「なんだそりゃあ!?」


 メギトが気付いて防ぎの構えを取る頃には、具現化した影の先端が尖った3つの爪のようにに分かれ、彼の肉体を串刺しにした。


「ギャッ!!!! い、いってェ!!!!」


 内一本の爪は丁度急所に近い場所を貫いて居たのか、メギトは悶絶して体制が崩れる。


「くっそ!! ざけんじゃねェ────!?」


 傷口を抑えながらよろけるメギト。反撃すべく再び構えるが、


「ッッラアッ!!!!!!」


 よろけた隙に眼前まで迫っていたイブキ。歯を食いしばり、怒れる龍のような形相で右手の形をした影を振り上げ、奇妙なデザインのマスクで隠れた顔面を抉った。


 不意打ちに近い一撃によって体制が崩れるメギト。その肉体は豪快に、ぬかるんだ泥の中に叩きつけられ、転がった。


「この…野郎が……」


 泥まみれになりながら悪態をついて立ち上がるメギト。眼前のイブキを睨み付ける表情もまた、殺意を滾らせた龍のような迫力を帯びていた。


 --よっし! できた! できた! できだできたできたできたぞ!!


 一方のイブキは知らずのうちに戻っていた右腕を見つめながら、自分の大立ち回りの悦に浸っていた。


 しかし、それと同時にとてつもない疲労感と脱力感が襲いかかってくる。

 化け物を討伐したことは勿論、殴り合いの喧嘩をしたことも無いイブキにとって、“命のやり取り”を行うという行為自体、相当精神に負荷がかかるものだった。


 反撃という形で一旦のクールタイムを得たことで、イブキの無理に張り詰めていた精神が途切れ、ドっと力が抜けてしまったのだ。


「ハァ……ハァ……クソッ……力が入らねぇ……ハッ……めまいが……」


 脂汗を滲ませ、膝に手を着くイブキ。痛みに悶えながらもメギトはそんな彼の様子に顔を顰めた。


「はぁ……? んだ……それ」


 メギトにとってこれは屈辱だった。初めて相手にするタイプの能力とはいえ、少し戦ったくらいでへばるような格下相手に致命傷を負わされたという事実が許せず、血反吐を飛ばして激しく激昂した。


「て…めぇ!! ざけてんじゃねぇぞ!! ハァ…ハァ……!! ほんのちょっぴり攻撃したぐれぇで…へばりやがってよ!! ハァ…ハァ……! 格下の分際でいい気になりやがって!!」


 再び姿勢を低く構え、追撃の姿勢をとるメギト。イブキも、途切れそうな意識を頬を叩いて何とか保ちながら、反撃の構えを取っていた。


「へへッ!! いいねぇ!! その顔面さァ…!! まじであの女共みてぇに白目剥かせて人の肉にかぶりつくのが最っ高に似合ってそうでいいじゃねぇですかァ!? たっぷり血ィ注いで奴隷にしてやっからよぉ!! 楽しんでいこうぜ!? なぁ!!??」


 メギトは口を開き、体内から練り込んだ力を眼前に集中させる。

 “龍そのもの”の力を持つ転生者、いわゆるメテンと呼ばれる種族が秘める大技の一つ、“ブレス”の準備に取り掛かっていた。


 メギトはシューゲツと違い、既に全身が人外の皮膚と化している。これは身体の内に眠る“龍魔力”との同調を極めた証である。故に、メギトの放つブレスの規模は“ほんの数メートル横に飛べば躱せる”なんて生易しいものでは無かった。


当然、今のイブキがこれを回避出来る手段はない。ほぼ無理矢理に近い形で、絶体絶命の局地に立たされる。


「……へ? なんだ………あれ」


 メギトの口元に集う妖しい光を放つエネルギー体。全身から嫌な汗が吹き出し、悪寒が走る。

 身体のどこか“本能”に通じる部分が、そのエネルギー体を拒絶しているようだった。


「やべぇ……死ぬ」


 初めて訪れた状況を前にして、イブキは確信していた。これもどこか“今までのイブキ”には無かった感情のひとつなのだろう。ガタガタと震え上がり、わけも分からず涙すら浮かべる。


 怯えるイブキを前にし、メギトは狂喜するように口を開けたまま、


「すげぇいい表情………さいっこうだよおまえ」


 天使を見たような表情のままブレスが放たれる寸前の出来事だった。


 メギトとイブキの間を挟むように、火球を握る、土で出来た巨大な腕が出現する。


「── ぁあッ!?」


 ブレスに集中していたせいか突然の腕の出現に対応出来ず、ただ迫りくる巨腕に目を向けるメギト。


 ブレスを諦め、退こうとする頃には握っていた火球が覆い被さるように放たれ、容赦なくその身を呑み込んだ。


「ギャッ!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! あちぃ!!! やめろ!!! おぉい!! 死ぬ!!! 死ぬ!!!」


「クソがぁぁぁぁぁあああぁぁあああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


 炎の中で踊り狂うメギト。そのまま肉体は消えゆく炎と共に、狂気に満ちた断末魔だけを残して消滅していった。


「さいっこうだね。おまえの死に様」


 唖然と眺めていたイブキの真横からからかうような声が聞こえる。


「大丈夫? きみ」


 いつの間に横にいた、フードを被った小さな少女。


 キョトンとした顔で首を傾げ、こちらを覗いてくる。

 あどけないぱっちりとした浅葱色の瞳を見るや否やイブキの視界は歪み、その身を抱くようにして倒れた。

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