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異界の地と植え付けられた使命

 爛々と青々しい空に浮かぶ太陽のような恒星。煩わしいくらいに照りつけてくるそれを、半ば放心状態で眺める一人の青年。

 瀧澤威吹(たきざわいぶき)は、自身の身に突然起きた現象を未だに整理できずにいた。


 純白の美少女の手を取るという不思議な夢から醒めたかと思えば、見知らぬ森でひとり呆然と立ち尽くしている───。

 まるで非科学的で非現実的な現象を前に、イブキはただただ困惑していた。


 頭上には奇抜な形をした鳥類が飛び交い、右にはひとりでに渦を巻いてアンバランスに自立した蔓。

 左手にはハエトリグサに似た何十倍もの大きさを誇る異形の植物と、どれもこれもに見覚えのない景色。


 ここはどうやら、自分が元いた世界とは別の場所にある場所だという理解に行き着いたのは、頬を抓ってみたりもう一度目を閉じてみたり、様々な“夢の可能性”を潰したあとの話。


 異世界への転生。この現象を説明するに最もしっくりとくる単語は、これ以外思い付かなくなっていた。


 不可解な現象はそれだけに留まらない。先程から脳を巡る、明らかに自分のものでは無いとある“使命感”。

 脳内で漠然と漂う“存在しないはずの記憶”。


 “俺の身体は龍そのものとなり、自分と同じ存在の者と戦わなければならない”───。

 到底抱いたことなどない、奇怪な記憶。


 布団を叩いて舞うホコリのように湧いてくる疑問の数々を、すぐに処理できるような冷静な頭脳はないイブキだが、いつまでも空を見上げて思考を放棄させている訳にもいかない。


 唯一彼が努力した高校受験の対策法のひとつとして塾講師が仰った『分からないことが多かったらまずは1番近くにある問題に視点を絞れ』を思い出し、とにかくこの現状をどう乗り切るかだけを考える。


「人……ひと……探さねぇと…」


 極力他人と関わることを避けていたイブキとしても、この状況の中で“人に助けを求める”という方法を捨てることはできなかった。


 恐る恐る歩を進め、比較的土の浮き出た通りやすい道を辿る。

 水を吸ってベチャベチャになった土の音が気色悪く感じ、眉をひそめる。

 不快感を振り払う意味も込め、大きく息を吸う。不気味なほど静まり返る森の中で、力いっぱいひたすらに叫んだ。


「お、おおおおいい!!!! 誰かいませんかーーー!! ……だっ!誰かーーーー!!!!!!」


 大声に慣れず、絶妙に間抜けなイントネーションとなってしまうも、気にせず必死に呼び続ける。


「い、居ないんですかーー!! ぉおおぉい!!」


 壮大な森林の中、空を切るように虚しく響く自分の声を聞き、がくりと肩を落とす。


「ハァ…ハァ……全然ダメじゃねぇか……」


 叫び疲れ、荒い息に混じって続ける。


「畜生……ほんとに異世界だとしたら……なんか…妖精とかいないのか?」


 半ば諦めかけ、横にあった大きな丸太に腰を下ろす。

 大きく伸びをし、特に意味もなく丸太の皮を爪先で剥がし始める。およそ数時間、特に危険に遭うこともなくこの森を彷徨ったおかげで徐々に身体が環境に慣れ、同時に気の緩みが目立ちはじめた証拠だった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()、奴らは現れた。


  【ガサガサ……ガサガサ……】


 草むらの揺れる音が、様々な方角から聞こえてくる。


「おぐッッッッッッ!!!!」


 情けない呻きとともに丸太の影に飛び込む。


 本能だった。本能でこの音源の存在が、少なくとも言葉の通じあえる知的な生命体ではないことは察知がついていた。


 【ぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅ……】


 【グルルルルルルゥゥゥゥゥ………】


 予測に応えるように、茂みの向こうで唸る猛獣の声。

 やはりイブキの察知は正しく、誰が見ても間違いのない“ケダモノ”達が、ヨダレを垂らしながら彼を食すタイミングを今か今かと待ちわびるように、睨みつけていた。


 背丈は大型犬程度だろうか。汚れをそのまま洗い落とさず、自身の体色として定着させたかのような薄汚い黒色の体毛をブルブルと逆立て、棒切れのように細い4本の足に力を込めてこちらの出方を伺っている。


 全体的に元いた世界でいう“オオカミ”の類に酷似していたが、こちらの猛獣は黒紫色に怪しく輝く一本の角が眉間から鋭利に生えており、少なくとも“オオカミ”とは確実に別の生き物である事を証明していた。


 今かいまかとイブキの動き出すタイミングを図っている様を見るに、ただの野性的でお粗末な狩りではない。

 それは彼らを指揮する“ボス”によって放たれた、れっきとした“狩猟”───。

 ある意味最も本有的で、自然的な生物としての義務。


 恰好のターゲットとして見定められたイブキの反応はあまりにも間抜けだった。


「おおおう……収まれ? お、俺は……違うぞ? 俺は違うぞ?」


 頭が混乱する故、そいつらに対して何故か“俺は違う”と弁明をはじめる。


 宥めながら後退り。腰がくの字に曲がり、動物相手に小声で『サーセン…サーセン…』っと連呼する様は、まるで喜劇のワンシーンだった。

 ドズッ!踵が気ほどまで腰を掛けていた丸太に引っ掛かる。足を滑らせ、尻から豪快に翻る。


「おわッ!!」


 背中にじんわりと土が含んでいた水が伝わってくるのも構わず、イブキはそのまま硬直する。最早どうすることも出来ない。雲の動きが妙にゆっくりに見えたのは、きっと走馬灯に似た現象なのだろうと理解する。


【バゥワゥッ!!! ガァァアア!!!! アゥオン!!!】


 まるで都心に捨てられた生ごみ袋に群がるカラスの集団のように、黒角の猛獣はイブキの元へ飛び込んでくる。


「んだよ……それ…」


 妙に俯瞰的だった自分がそこにいた。これから肉を裂かれ、内臓を引きちぎられてズタズタにされて絶命するであろう自分の末路。

 丸太を振り回して抗うことも、絶叫して無様に命乞いするわけでもないのは、その運命を未だに理解しきれていなかっただけに過ぎない。

 理解が追いつく頃にはきっと骨すら残さず食いつくされ、後は奴らの糞となってこの地に産み捨てられるのみ。


「まじかよ……」


 一匹、丸太を飛び越えてこちらに飛び込んでくる個体が現れる。剥き出しになった牙と爪は、至って普通の中肉中背のイブキを解体するに充分すぎるくらいには鋭利に尖っていた。


 滞空し続ける黒角の狼。妙なほど()()()()()()()()それは、果たして本当に“走馬灯”によるものだろうか。


 ーーあれ…?


 白目を剥く猛獣と目が合い、イブキはぬぐい切れない違和感を覚える。


 丸太を飛び越え、自身の肉に喰らい付くまで、少なくとも一秒はかからないはず。その一瞬の間で、イブキは極自然に狼の牙、爪、眼球の色に至るまでの情報を不自然なほど明確の見定めていた。


 ーー追えてる……なんでだッ!?


 合計して3匹、イブキが違和感の正体を突き止めるまでに飛びかかってきた狼の数である。

 過酷な環境で鍛え上げられた狼の脚力はぬかるんだ地面ですらバネに変えて蹴りあげ、矢のような速度を持っている。

 少なくとも今までなにか特別な訓練を受けたことのない身体能力凡人未満のイブキならば、見切ることなどは絶対に出来ないはずだった。


「ああああぁぁぁあああああ!!?」


 疑問を凝らすより先に、声と身体が動いた。

 ひっくり返った姿勢のまま身を転がして一匹目を躱し、そのままの勢いで綺麗に立ち上がる。着地点を失った残り二匹の狼らは互いに衝突し、ギャン!という悲鳴をあげてそれぞれ派手に転がった。

 他の狼達も驚いたように硬直するが、1番驚いていたのはイブキ自身だった。マット運動でよくやる直立ポーズのまま、一連の出来事にただただ震える。


 ーーなんだ……? 時間が一瞬遅くなったみたいに……こいつらの動きがわかったぞ!?


 再び狼らが来る。今度は5頭ほど、黒ずんだ鋭利な牙をこちらに向けて飛び込んでくる。

 今度こそまずいと気を張ると、先ほどと同様、再び狼共の動きが遅くなり、脳内でこれをかいくぐる手段が思い浮かぶ。


 --おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!


 右に左に上下に、時にはしゃがんで、時には飛び上がり……見事な回避の舞踏を披露するイブキ。


 まるでドッジボールで最後に1人となり、外野で祈るクラスメイトの意志を背負って陣地で一人ボールを躱し続けるガキ大将のように狼達の攻撃を、紙一重で躱し続けた。


 ────俺の身体は“龍そのもの”となり、自分と同じ存在の者と戦わなければならない。


 再び脳裏にチラつく、イブキのものでは無いはずの使命感。

 もしこれが本当に“誰かによって植え付けられたもの”だとするならば、彼の急激な運動能力の上昇も“龍そのものとなった”証明のひとつになり得るだろう。


 ただし当のイブキは、そこまで現在の状況と自分の身体を分析できるほどの冷静さは持っていないようだった。

 ただただ上昇した自身の力をふんだんに使い、アクロバティックに狼達の猛進を躱してゆく。


 --まってまってまって!!これもしかして……俺めっちゃ強いんじゃねーーーー!!???


 浮かれていた。浮かれる余裕がある程度には狼達の攻撃が温く感じた。

 しかし、ただ躱しているだけではこの戦いに決着がつくことはない。どこかでボールを受け止め相手からアウトを取る様に、向かってくる奴らの牙ごと顔面を粉砕し、終わらせてやらねばならない。


 それに気付いたイブキは拳を握りしめる。次飛んできた時、すれ違いざま殴ってやると意気込み、ハッ! と強く息を吐いて構える。1匹仕留めてやれば他も恐れて逃げていき、決着がつくだろうという期待を込めて。


 一際殺気立っていた狼が1匹、命知らずに飛び込んでくる。そいつは他と比べてもひと際牙が汚れており、闘争心も強かったが、それだけでは今のイブキは怯まない。

 すれ違う一瞬、狼の顔面が自らの拳と同じ高さまで迫る。特にテクニックは必要とせず、力いっぱい奮えば確実に命中して決着がつく……


「む、むりいいい!!!」


 あろうことか、情けない叫びと共にイブキの腰は綺麗なくの字に屈折し、水槽の中で逃げ惑うエビのように身をひるがえしてその場から飛び退いた。


 --あ、あれ?


 その隙に飛び込んでくる狼を地を転がって躱す。全身泥だらけのまま立ち尽くし、自分の拳を疑うようにみつめる。


 “無意識に躱すことが出来るならば、同じように攻撃することだって出来るはず”


 そう思い込み、向上した自分の身体能力に任せて野生の猛獣に相手に迎え撃うつもりが、寸前で拳も身も退いてしまった。

 倒壊寸前の柱のように震える膝を見て、ようやく理解する。


 そもそもイブキには“殴る度胸”が備わっていなかったことを────。


 どんなに大きな力を持っていたとしても人は愚か、まともに何かを殴打した事の無いイブキにとって“殴る”という行為は、それ自体に相当の勇気を要する必要がある。中途半端な心意気では到底この“暴力の殻”を破ることはできない。


 それでも、命の危機を感じれば防衛本能の延長で拳が出る事もあるだろう。事実狼の攻撃を躱せたのは、龍の力だけでなく、初めに対峙した時に感じた死への危機感とパニックによって偶然産まれた賜物でもある。

 しかし、何度か狼の攻撃を躱してみせたせいで、イブキは無意識の内に狼に対しての危機感がかなり薄まっており、とても本能が前に出る状態に達していなかった。


 一方、過酷な野生環境で何度も窮地を乗り越えてきたであろう勇猛果敢な狼たちには、そういった戦闘への恐怖があるはずもなければ、命を奪うことを躊躇すらしない。

 膝を嗤わせながら佇むイブキは、奴らにとっては恰好の狩猟チャンスだった。


 懲りずに飛び込んできた狼を三匹躱し、その度に何度も攻撃を試みるものの、結局拳は握ったまま奥で震え、動きが止まる。一種のイップスのように、思うように身体を動かすことが出来ない。


「ちょっ…くぅッ!!」


 引っ込めた拳に目をやる。無駄に高いプライドで押し殺していた本心が、声に出したい出したいと喉元まで迫っていた。


 --殴るのって……ちょーこええ……。


 ケダモノ1匹殴る度胸もない自分のカッコ悪さに涙を浮かべる。思っていた以上に情けない自分の本性を垣間見てしまった気がして、心の中で大きくへこむ。


 殴れないなら、気の済むまで避け続ける耐久レースに持ち込むしかないと飛び込んできた狼を眺めながら自分なりに構えを取り、避け続けてやろうと決めた次の瞬間だった。


 喉元に食いつかんと迫って来た狼が、大きな銃弾の乱れ打ちをモロに受けたかのように肉体を蜂の巣にされ、イブキの目の前で崩れるように倒れた。

 仲間の死を察知した他の狼達は瞬時に四散し場を離れようと走り出すが、奥で控えていたのか茂みの奥で何者かに問答無用にその肉体を裂かれ、潰され、貫かれていく。

 憎たらしい狼共の悲鳴が森中に響き渡る中、何が起こったのか未だに分からずポカンと立ち尽くすイブキ。


「危ないところだった……もう大丈夫ですよ」


 茂みの中から現れたひとりの青年は、風鈴のように優しい声色でこちらに呼びかけ、爽やかな笑みを浮かべながら呆けるイブキに手を差し伸べた。

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