裏表白黒
放課後、となりの教室では、シズカがひとりで待っていた。
俺たちが選んだ高校は、通学に一時間はかかる。どちらも帰宅部というわけではなく、放課後に街をふらついたりしたら、帰るころには暗くなる。電車に出やがる痴漢なんかも、シズカだけだと狙われやすい。ずっと一緒にいるわけじゃないが、家と学校の行き帰りだけは、いつもふたりでいる。
「そっちは何時ごろに終わる?」
「……今日は、先に帰ってていいよ」
シズカが返答をためらった瞬間から、胸には痛みがあった。
「……サトルか?」
すぐに察しがついたのは、一週間前、サトルに尋ねられたから。俺とシズカは、ただの幼なじみでいいのかと。
高校からの友人は、口数が少ないぶん、真面目で、物事に動じない強さがある。
ただの幼なじみであるのなら……言葉以上に目で訴えられた気がした。
沈黙が答えにならないことは、理解していたつもりだった。
「話したいことがあるから、待っていてほしいって」
「そうか」
どんな話であるのかは、シズカも察しているのだろう。
落ちつきのないシズカをみながら、俺は小さく笑っていた。
まだ告白されていないのだとわかって、安堵していた。
「なんで笑うの?」
「いや、そりゃもう、笑うしかないだろう」
いままでの関係を壊したくない。
そんな言い訳を、ここまで崖っぷちに追いつめられないと振り払えない。
笑っちまうくらいに情けない。
「シズカ、俺と付き合ってくれ」
「……えっ?」
これから遊びに行くって話ではないこと。恋人として付き合ってほしいこと。シズカが俺以外の誰かと付き合うことに、心が耐えられないこと。ここでサトルを待たないでほしいこと。幼なじみとしてではなく、友人としてではなく、ずっと好きだったこと。
シズカの反応が鈍いせいで、何度も何度も、噛みくだくようにして想いを伝えた。勢いあまって伝えすぎた感はなくもないけれど、一度あふれでた言葉をなかったことにはできない。
「ま、前向きに検討して、後日、あらためて報告しましゅ」
「…………それってダメなやつ?」
「だめじゃないけどっ!」
シズカの要領をえない返答によると、もっとちゃんとした告白がいいらしい。俺としてはダメじゃなかったことに全身が熱いのだが、まあたしかに、追いつめられての告白は、俺としても情けなく、不本意なものではあった。
「今度の休み、どこかへ連れてって」
与えられたチャンス。
何年ぶりかの、シズカのわがまま。
隠された本音を察するのが俺の義務で、今回のお願いは、「きちんとしたデートをして、あらためて想いを伝えてよ」ってことだろう。
「どこがいい?」
「……ミズキが決めて」
俺は知っている。とことんわがままになったシズカを満足させるのは骨が折れるけれど、好きなものや喜びそうなことは知っている。雰囲気のいい場所だって、いくつも頭に浮かんでくる。ずっと前から、何年も前から、好きだと伝えたくて。
「連れて行きたかった場所があるんだ」
シズカの顔がほころぶ。
俺たちはもう、ただの幼なじみじゃなかった。
○
制服を脱ぐまえに、ミオちゃんから電話がかかってきた。
『うまくいったらしいね』
「うん、おもっていたよりも、うまくいったかな」
『どんな感じに?』
「にやにやしちゃいそうなくらい好きっていわれた」
もっと互いに気持ちを探りあう展開を予想していたのに、いきなり「俺と付き合ってくれ」なんていうものだから。
「あせりました」
『うん、いま絶対に顔がニヤけてるよね?』
一週間前、ミオちゃんから聞かされた。ミオちゃんの幼馴染であるサトルくんが、私に好意をもっていること。私に告白をしたいらしいこと。そのための段取りをミオちゃんがたのまれていること。
私が断ってくれるように頼むと、ミオちゃんは提案した。
いつまでも幼なじみでいるミズキを動かすために、ミオちゃんがたてた計画は、サトルくんの好意を利用したもの。サトルくんが誠実な人なのは知っていたから、葛藤がなかったわけじゃない。
だから私は、ミズキを信じて覚悟を決めていた。
もしもミズキがあのまま帰っていたら、サトルくんと付き合うつもりでいた。
「でもね、やっぱりサトルくんには悪い気がする」
『ああ、いいよいいよ、あいつのことは気にしないで』
「だけど」
『だいじょうぶだいじょうぶ。あいつ、こういう結果になることは予想していたみたいだから。まあ仮に激しく落ち込んでいたとしても、わたしがやさしく慰めておくって』
私とミズキがうまくいくことは、ミオちゃんも予想していた。「うまくいかなかったときは、わたしのサトルをよろしく~」とかいっていたけれど、ミオちゃんの狙いは、はじめからサトルくんだったのかもしれない。
「わかんないなぁ」
『なにが?』
「サトルくんのこと。どうしてミオちゃんみたいな幼馴染がいるのに、私なんかが気になるんだろう?」
何度だって尋ねずにはいられない。
私とミオちゃんなら、女の私でもミオちゃんを選ぶのに。
『あいつは昔からそうなんだよね。どうもわたしはタイプじゃないみたい』
そのあたりは本気でわからない。
ミオちゃんの本心も。
「わかんないなぁ」
『こればっかりはねぇ~。まっ、あいつも男だから、下半身だけならとっくに攻略済みなんだけど』
「……ん?」
ミオちゃんは幼馴染に対する不満をもらしはじめた。話の内容についていけないこともあるけれど、ふたりの関係が余計にわからなくなる。
ミオちゃんは私の頭をくらくらさせたまま話を終わらせたらしい。
いつの間にか、ツー、ツー、と音がしていた。
ちょっとした放心状態から立ち直り、制服を脱いで部屋着にきがえる。
ミズキのことを考えていた。
デートではどこに連れていかれるのだろう。
いきなりホテルはないだろうけれど……キスくらいはしちゃうのかな……。
「…………大人だなぁ、ミオちゃんは」
ほんと、どうしよう。
ふれなくてもわかるくらい、顔が熱い。
○
自分の部屋のドアを開ける。
制服姿のミオが、おれのベッドに寝転んで漫画を読んでいた。
「お帰りー、どうだった?」
「部室のまえで、ミズキに頭を下げられた」
どれだけ待っていたのかは知らないが、本棚はすでにぐちゃぐちゃだった。
「うまくいかないもんだねぇ」
「まったくだ」
ミズキが逃げる可能性もあるにはあった。
「サトルとシズカがくっついたら、わたしがミズキくんを手に入れられたのに」
ミオの表情に暗いものはない。
嘘はついていないが、本心では残念ともおもっていない。
ミズキのことをあきらめてもいない。
「友だちの好きな男なのにな」
「シズカの好きな男だから欲しくなるんじゃない。サトルだって、友だちの好きな女を狙ったくせに」
「おれはミズキに確認をとった」
「関係なーいー」
ミオは人のモノが欲しくなる性分だ。
もしも今日、ミズキが彼女のものでなくなっていたら、ミオの興味は失せていただろう。
ふたりがくっついたことで、ますます欲求が高まってもいる。
「そろそろシズカも帰ってるかな」
ミオは身体を起こして胡坐をかいた。おれに見られて恥ずかしがる女じゃない。おれのベッドのうえで何時間でも居座れる女だ。盗み聞きをするなと訴えて、おれを部屋から追い出すような女でもある。
着替えだけもって風呂場に向かう。
シャワーを浴びながら、やっかいな性分をもった幼馴染のことを考える。
あいつはミズキを狙うだろうが、あの二人なら大丈夫だろう。念のためミズキには、おれが彼女をあきらめていないと伝えてある。さすがにミオの名前は出していないが、ほかの女に気が向くようなら遠慮しないとも忠告した。いままでが嘘みたいな眼差しで、ミズキは力強くうなずいていた。
汗を流したあとは、夕食の準備をはじめる。
母さんは介護のために実家にもどっている。単身赴任中の父さんはともかく、母さんがいないのは大変だ。なんでも自分でこなさないといけない。ミオの家事スキルは相当なものだが、母さんが信じているほど手伝ってはくれない。
「おっ、いい匂いがしてますなー」
狙ったかのように部屋から出てきたミオは、さっそくチャーハンを食べはじめた。おれは一皿しか用意していない。そんなものはテーブルをみれば明らかだ。わかったうえで、ミオはおれの夕食を自分のものにした。
「塩コショウが効きすぎ」
「帰れ」
もしも二人分の夕食を用意していたら、ミオは自分で冷蔵庫をあさり、勝手に料理をはじめていただろう。おれより美味い料理をつくって、おれの目の前で食べて、自画自賛をはじめる。味見くらいならさせるかもしれない。
だから、ミオが半分も食べられない大盛りのチャーハンを一人前つくった。
ミオの残り物を食べることも、ずいぶんと慣れてしまった。
「シズカ、声に喜びがにじみ出てたよ」
「だろうな」
「ミズキくんは無理かもね」
ミオは人のモノを欲しがるが、すべて手に入るとは思っていない。誰からでも欲しいものがもらえるとは思っていないが、幼いころから一緒にいて、お菓子でも、オモチャでも、ゲームの勝敗でも、わがままを押しとおせてしまった相手がいる。
幼いころから、ミオはおれのものを遠慮なく欲しがりつづけた。
おれのものなら、なんでも手に入れていいとおもっている。
手にするべきだとさえおもっている。
「あきらめてるやつの顔じゃないな」
「やっぱりわかっちゃう?」
「付き合いだけは長いからな」
「応援してくれない?」
「まあ、おまえがミズキを籠絡できたら、おれにもチャンスがあるからな」
「……へぇ、なんだ、まだシズカのことあきらめてないんだ」
ミオの顔つきが変わった。
「まあな」
「実際のところ難しいよ、あの幼なじみカップルは」
「だろうな」
「あきらめてさ、わたしたちも付き合わない?」
「それはないな」
「えぇーいいじゃん、わたしたちも幼馴染だよ?」
「おまえは、おれの好みじゃない」
おれは事もなげに嘘をつき、ミオは妖しく瞳を光らせた。