73/レオンハルト・目標
混乱、心配、悲しみ、喪失――そして後悔。
色々な感情を私は知った。
ミーナに教えられた。
喜びと楽しみを覚えた時は、とても嬉しく高揚したが――
(――こんな感情は、知りたくもなかった)
それすら含め、人間なのだと彼女は言うのだろうか。
ため息を吐いて、たたぼんやりと自室のソファに座る。
彼女が死んだその後。
私はシルヴィア達の呪いを解いた。
約束であったし、ミーナの願いを叶えてあげたかったからだ。
その後は、ただ自室にこもった。
真相は、シルヴィアに伝えてある。
――ミーナの死も。
だから、私は待つだけで良い。
きっと全てを知った王子か、エリクか――あるいは、アーデルハイド女史が、私を殺しにくるだろう。
――それで良い。
『私が勝ったら、もう誰にも手を出さずに、真っ当な人間になってくださいね!』
最後に交わした約束。
”真っ当な人間”
それが彼女にとって、どういう人間を指すのかは、分からない。
だが、少なくとも罪から逃げるのは、真っ当な人間ではないだろう。
(……後はただ待つだけでいい)
彼女の居ない世界に未練などなく。
何もかもが色褪せた灰色の世界など、もはや興味もない。
(――それにしても遅い)
ミーナの死を悼んでいる。
それならば理解出来なくもない。
だが、人とは失った原因へ悪意を持つものでないのだろうか。
(……わからんな)
命を賭してまで教えてもらってなお、私は”普通”からは程遠いらしい。
ため息を吐き、彼女がくれた本へと視線を落とす。
「下らない」「理解に苦しむ」と考えた内容が、今は妙に胸に響く。
ミーナが最後にくれた本だからか、それとも私自身の変化か。
考えているとノックがした。
「誰だろうか」
「私です。シルヴィアです」
予想外の来客に、少々面食らう。
扉を開けると宣言通り、バスケットを持ったシルヴィアが一人。
他には誰もいない。
「珍しいですね、そういう顔」
「……」
「部屋に入らせていただいても?」
「構わないが、未婚の女性が男の私室に入るのはどうなのだろうね」
「いいじゃないですか。私達は婚約者同士です。
それに、以前なら何度か入れてくれましたよね?」
ただ単に、利用するためにそうしただけなのだが。
「どうせ、貴方は何もしない。
それなら、二人っきりになれる場所で、お話したいんです」
「――分かった」
あまり長い付き合いでもないが、彼女がここぞという時に引かないのは重々理解している。
なにより、あの真っ直ぐな目で見られるのが辛い。
(……血筋なのだろうな)
シルヴィアもミーナも、こうと決めた時の強い目がよく似ている。
同時にそれは、ミーナを思い出す事に繋がる。
あの目で見上げられながら問答するよりも、素直に受け入れたほうがマシだ。
部屋に入れると、シルヴィアは迷うことなくソファへと向かい座る。
「――それで、用件は何だろうか」
「そうですね……まずは一つ。
殿下もそのご友人達も護衛騎士の彼も、来ませんよ」
「……どういう意味だ?」
シルヴィアには、呪いを解いた時に全てを話してある。
ミーナを可愛がっていた彼女なら、なぜ彼女が死んだのか周囲に知らせると考えたからだ。
「そうですね、一つは私がミーナさんに頼まれたからです」
「何をだ?」
「”私の死は自殺であると周囲に知らせてください”――と、あの子は手紙で指示してきたんですよ」
「なっ!?」
驚きを隠せない私を、シルヴィアは困ったように笑う。
「詳しい話を聞きたいのなら、立ってないで座ったらどうです?
そして、どうでもいいというのなら、貴方が私を転移で家にでも帰したらいいんです」
聞きたくなければ、帰ってもいい。
そういう提案なのだろう。
別にそれでも良かった。
たった一つ――ミーナの手紙という情報さえなければ。
私は黙って、彼女の向かい側に座る。
「あ、聞く気はあるんですね」
「……」
「そう睨まないで下さい。
あの子が、頑張った甲斐はあったんだなと、感心してるんですから」
言いながら、テーブルへとバスケットを乗せる。
中身は水筒と、ホットドッグが数個。
「長話と言うほどでもないですけれど、貴方ろくに食べてないのでしょう?
食べてくれたら、お話をしてあげます」
上から目線で彼女は言う。
とはいえ、それを跳ね除けるだけの不満もない。
私は差し出されたホットドッグを頬張る。
そんな私を見て、シルヴィアは嬉しそうに笑う。
「……懐かしいですね」
「それより、話をしてくれるのだろう?」
「はーい。わかってますよ」
軽く肩をすくめて、彼女はようやく”手紙”について話を始める。
「簡単な話ですよ。全てを分かった上で、彼女はああいう行為を行った。
でもその結果、貴方は全ての責任を負うだろうと考えた。
だから”手紙”を残して責任は自分にあると、周知させた。
――ただ、それだけです」
眠っていた者達や、王子やエリク達へ。
『自分の罪に耐えられない』
『責任を負う』
『この結論を選んだ事と、相談しなかった事を、どうか許して下さい』
そういった言葉をそれぞれに宛て、書いておいたのだという。
「――そして、私には全てを知って欲しいと、他の人に当てた手紙の大まかな内容と、真実を」
「……そうか」
だから誰も私を、断罪しに来ない。
死にたいなどと――考えてもいなかったが。
私は無意識にそう願っていたのだろう。
落胆で、肩が重くなったような錯覚を感じる。
「らしくないですね」
少し寂しそうに笑って、彼女は持ってきたお茶を飲む。
「――でも、ミーナさんの願いがちゃんと届いているようで、安心しました」
「……ミーナは残酷だね」
私がこうなるのを”願っていた”など。
残酷以外のなんだというのか。
――それも全ては、私の為。
そう考えると、少しだけ”嬉しい”と感じる自分もどうかしている。
「……レオンハルトさん。
これを見てくれませんか?」
差し出されたのは、一枚の紙。
折り畳まれたそれを開くと、中に書かれていた内容に苦笑する。
描かれていたのは、夢物語の青写真。
全てが平穏無事に丸く収まり、幸せそうなミーナの未来理想図。
「……これを壊したのが、私なのだろうな」
「そうですね。
でもまぁ、貴方のお父様の辺りとかは、彼女も無理じゃないかなって思っていたんじゃないですかね」
「そうだろうね。
――それで、これがなにか?」
「これがあの子の望んだ世界なんだそうですよ」
ミーナの望みと聞き、心が揺さぶられたような感覚がした。
死者は死者でしかなく。
すでに居ない人間の望みを叶えたところで、死者は喜んだりしない。
――それは、分かっている。
あの状況を覆す方法を、何度繰り返し思考したことか。
「はぁぁぁぁ……」
シルヴィアが盛大なため息を吐く。
「――あぁもぅ。なんですか!
いつもの余裕と自信はどこに行ったんですっ!?」
立ち上がり、睨みつけてくる彼女。
「ミーナさんが大事なら『彼女の望みを叶えてあげよう』くらい言ったらどうなんですか?
何も言わずに、ぐじぐじと……」
シルヴィアは更に目力を強くして、私を睨む。
「良いですか、貴方天才なんでしょう?
だったら、やる前から諦めるんじゃなくて、ミーナさんを生き返らせる方法を探すとか!
降霊術でしたっけ? それを極めるとか、いろいろ可能性を探してみたらどうなんですか!!」
無茶苦茶を言う。
死者を生き返らせるのは、不可能だ。
魂を呼び寄せるのも、肉体を復活させるのも、神にしか出来ない。
「これだから天才は……諦めが早すぎます」
再びため息を吐き、彼女は私へと指を突きつけた。
「ミーナさんは、貴方の心を動かすという偉業を、文字通り体を張ってやったんですよ?
貴方も彼女の兄なら、努力をなさい。
一度の失敗程度で、何を落ち込んでいるんてすか?」
説教するかのように言葉を発する度、彼女は目を潤ませていく。
「――ええ、そうでしょう。
失われた命を取り戻すなんて、簡単なことではありません。
祝福を受けた勇者様でもなきゃ無理でしょうね。
でも、あの子に魔王と称された貴方が、こんなところで止まるなんて、私が許しません!」
支離滅裂で、感情的な叫び。
だがその姿に、何故かミーナを重ねて見てしまう。
ミーナが感情的になったことなど、一度しか見た事が無いというのに。
(例のノートにも書いてあったな)
彼女が知る世界の私は、シルヴィアを失い、その面影を他の――確かエステルといったか――女に見る、と。
(……そもそもあのノートは一体?)
彼女が知り得ない情報が書かれていた謎。
かつての彼女では、有り得ない行動。
(そう……別人だと当初私は考えた)
だが、彼女はクラース家の血筋を持っている。
私の妹であることは、疑いようもない。
(ならば――)
――かちり、と何かが頭の中で嵌った気がした。
それは、奇想天外と言って良い程の可能性。
けれど――もしかしたら、あり得る可能性。
可能性があるのならば。
やってみる価値はあるだろう。
どの道、彼女に再会できないと言うのならば。
賭けてみるのも悪くない。
「そうだね……諦めるのは早いかもしれない」
前向きな私の言葉に、シルヴィアが目を瞬く。
「全ては無理だろうけれど。
彼女の願いを叶えてみたいと思う。
――そして、私自身の願いもね」
にこりと微笑むと、さらにシルヴィアは困惑したように私の顔色を伺う。
「あの、大丈夫ですよね?
変なことしませんよね?」
私をなんだと思っているのか。
「さっき生き返らせるとか言いましたけれど、それでゾンビ化とかゾンビが大量発生とか嫌ですよ?」
「……本当に君は私をなんだと思っている?」
だいたいゾンビは肉体が動いているだけで、魂が伴わないし、体が腐敗してしまう。
どうにかする手段は用意出来るだろうが、魂が無い時点で意味はない。
彼女の死に方からして、すでに魂は現世に無いだろうし、魂を憑依する方法も無駄だろう。
「――あぁ、でも一つだけ。
君に了承を得なければいけないことがあった」
「私に……ですか?」
「婚約を破棄しよう。シルヴィア。
私は君と結婚出来ない」
ミーナの願いを無下にするようで申し訳ないが、これだけは譲れない。
(君のお陰で、私も欲が出てきたんだよ)
結婚をするのならば、愛する人と。
そんな幼い子供のような、願い。
(絶対に君をこの手にする)
――例え、今生で無理だとしても、絶対に。
兄貴、覚醒。
シルヴィアさんは、いい女だと思う。
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お読み頂き有難うございます。




