65/眠り
「――お嬢様」
部屋で読書をしていると、エリクに扉越しに声をかけられた。
「どうしたの?」
「その……レナが」
答えるエリクの声には、戸惑いの色を感じる。
(……どうしたのかしら?)
内心首を傾げながら、二人へ入室の許可を出す。
(……どうしたの、本当に)
それくらいレナは狼狽えているように――いや、怯えているように見えた。
目には涙を浮かべ、祈るように指を組んで。
何かを言葉にしようとしては、うまく言葉に出来ずに口ごもる。
エリクも何が起きたのか分からないのだろう。
私に視線を向けて、「聞いてやってほしい」と訴える。
「レナ、どうしたの?」
近づいて、彼女の手を両手で包む。
何か非常事態が起きたのは確実だろう。
けれど、一体何が起きたのか。
嫌な予感に、私まで呼吸が荒くなってくる。
「――おじょう、さま……」
「えぇ、ゆっくりでいいわ。
……何をそんなに怯えているの?」
ゆっくりでいいと促すと、彼女の涙が頬を伝い――私に抱きついてきた。
落ち着かせようと抱きしめて、背中を擦る。
「お母さんが、お母さんが……」
「……ダイアンがどうかしたの?」
「起きて、くれないんです」
”起きない”という言葉に、否応にも”死”を連想してしまう。
心臓が、ゆっくりと――けれど忙しなく動き出す。
「……分かる範囲で良いわ。
レナ、全部教えて」
「はい……」
レナは涙を拭い、震えた声音で説明を始める。
昨日の夜、部屋に戻るとダイアンはすでに自分のベッドですでに寝ていたらしい。
基本的に朝早くから仕事することも多いので、早く眠るのは珍しいことではないため、その時は気にせずレナも寝た。
次の日の朝――今朝になっても、レナが起きてもダイアンは寝たままだったらしい。
軽く声をかけて、肩を叩いたりしたが、一向に起きる気配はなかった。
『疲れているのかな?』
疲労が溜まっているのなら、たまには母親に楽をしてもらおう。
そう考えて、周囲には軽く「具合が悪いみたい」と声を掛け、仕事を続けた。
――だが。
昼過ぎになっても起きてくる気配がない。
仮に疲れて眠っているにしても、流石に寝すぎだ。
体調不良で休むのなら、ちゃんと申請をしておかなければならない。
それに、具合が悪くても少しくらいは何か食べた方が良いだろう。
厨房で作ってもらったスープを持って部屋に戻ると、やはりダイアンは寝たまま。
『お母さん、起きて』
肩を揺すって、声をかけて。
それでも起きないからと、頬をつねったりしてもみた。
だが、彼女はこんこんと眠ったまま。
――ようやく。
レナはこれが異常事態であるのだと認識した。
そして、助けを求めて私のもとへとやってきた――という事だ。
「……」
背中にひやりとした汗が流れる。
やっと、日常が戻ってきたと思ったのに。
それが目の前で、音を立てて崩れていくのを感じる。
「お嬢様」
護衛中はほとんど表情を変えないエリクが、強張った顔で私を見ているのに気づく。
(……そうよ。しっかりしなさい、私)
まだ何が起きてるかはっきりしていない。
それはつまり”最悪”とは限らないと言うこと。
ならば私は、彼女達の主として事実を確かめ――助けなければ。
「レナ、エリク。ダイアンの様子を見に行きます。ついてきて」
「はっ」
「はぃ……」
――きっと大丈夫。
根拠などない希望を胸に、部屋へと向かう。
* * *
ダイアン達の部屋は、私の部屋に続いてる待機部屋のすぐ隣。
部屋に入ると、質素な部屋のベッドにダイアンが寝ている。
ベッド横のチェストの上には、レナが持ってきたスープがまだ湯気を上げていた。
「お母さん……」
涙声で呟いて、レナが再び泣き始める。
「……お嬢様、まずは自分が」
「えぇ、お願い」
レナの肩を軽く抱くようにして見守る。
エリクは、まず呼吸の有無を確認するように、ダイアンの顔の前に手を翳す。
それから脈を計り、布団を軽くめくって心音の確認。
「……どう?」
「――大丈夫です。
呼吸、脈拍、心音共に、問題を感じるようではありません」
つまり、少なくとも現時点で生命が脅かされているわけではないらしい。
「そう」
ほっと息を吐く。
レナも同じように、少しだけほっとしたのか、涙を拭って顔を上げた。
「なら、寝ているだけ、ということなの?」
「医者ではないので、断言は出来ませんが……少なくとも睡眠状態であるのは、確かかと」
「ありがとう。――エリク、医者を呼んできて頂戴。
何なら、馬でも馬車でも使って迎えに行きなさい」
「よろしいのですか?」
「貴方達の主として、私は皆の衣食住と健康を守る義務があります。
――というか、なんでもいいから早く呼びなさい!」
「はっ!」
一喝するように命令すると、彼は迷うことなく動き出す。
その間、私も同じようにダイアンの状態を確認する。
結果はエリクの診断と同じようなものだ。
軽く叩いたり、氷を作って首に当ててみたりしても、なんの反応もない。
(……ここまでとなると”眠り”の状態異常?)
もちろん、病気という可能性はある。
けれど普通、そういったものには兆候があるのではないだろうか。
昨日までは何時も通りだったはず。
(状態異常なら、いろいろ対策は出来るんだけれど……)
ゲームでは、時間経過やダメージを受けるか、戦闘終了時に”眠り”のバッドステータスは自然に回復した。
それ以外の方法なら、異常状態を治す回復薬の出番になる。
(でも、ここまで深い眠りとなると、麻酔レベルよね)
眠りの魔法でも、ここまで深くはないはずだ。
となると麻酔――毒物レベルで強力な、睡眠薬が必要になるだろう。
(ううん。まずは医者に見せてから考えた方がいいわ)
素人が勝手に診断するのは、絶対にしてはいけない。
少なくとも、呼吸がしっかり出来ている時点で”最悪”はそうそうないはず。
(――そのはずよ)
この世界は、理外の外にある”魔法”がある世界。
私が知っている常識が、通用するとは限らない。
「もっと、早く、私が……」
「大丈夫よ、大丈夫だから、泣かないで」
エリクがいなくなり、不安になったレナを宥める。
この言葉に根拠などない。
……それを誰よりも私が知っている。
* * *
エリクが帰ってきたのは、本当にすぐだった。
連れてこられたお医者様が、若干ぐったりとしていたのでかなり急いで連れてきたようだ。
「お嬢様、連れてまいりました」
「先生、お疲れのところ申し訳ありませんが、早速診察をお願いします」
「は、はぃ」
かかりつけの先生は、結構なご年配の男性だ。
少々心は痛むが、今は早く診察して欲しい。
先生はレナが用意した水を飲んで、軽く深呼吸をすると真剣な眼差しでダイアンを見た。
エリクと同じような診察をし、眼球運動の確認なども行い―― 一通り終わったのか、手を止める。
「……どうでしょうか」
「――申し訳ありません。
寝ている状態、としか分かりません」
「……」
奥歯がきしむ音がする。
望み薄だとは、予感してたけれど……。
「少なくとも、現時点で発見されている病気に酷似したものはありません。
長時間の睡眠と覚醒の気配がない事以外は、正常な眠りに見えます」
病気の線は消えた。
「また、身体の状態を見るに、薬物による睡眠でもないでしょう。
薬物の場合は、それほど長時間眠らせることは出来ませんし、ある程度の刺激で目覚めます。
かといって、強力な薬物を使った場合、このような正常な眠りにはなりません」
薬物の可能性も消えた。
「正直……現代医療ではお手上げです」
ここまでは私も考えていたけれど……。
はっきり言葉にされると、衝撃が大きい。
どうしたら良いの?
「この方の状態は、医療ではなく神殿の管轄かもしれません。
お力になれず、大変申し訳ありません……」
畏縮するように縮こまる彼に、力無く微笑む。
「いいえ、先生は病気でも薬物でも無いという診断をして下さいました。
それだけでも、私達には成果ですから、どうか気になさらないで。
……お帰りは馬車を用意します。少しお待ちになって下さいね。――エリク」
「はっ。先生、こちらへ」
先生を部屋から見送り、レナと二人部屋に残る。
「お嬢様……」
「レナ、貴女は顔を洗ってきなさい。
そんな顔じゃ、ダイアンも心配するわ」
「……はい」
「私がダイアンを見てるから早く、行ってきなさい」
両肩に手を置いて微笑み、レナを送り出す。
「……どうしたものかしらね」
一人になった――いや、ダイアンと二人になった部屋で呟く。
(なんでこういう時に限って、兄貴がいないのよ……っ)
あの人に頼るのは、少々不安というか怖いけれど、背に腹は変えられない。
きっと兄貴なら、ダイアンがこうなった原因もすぐに突き止められるだろう。
もしかしたら、すぐ治してくれるかもしれない。
(ああもぅ……なんで居ないのよ……っ!)
エステルに転移を頼むにも、兄貴とエステルは殆ど面識がない。
あっても、遠目で見たことがある事くらいだろう。
それでは転移先の対象としては不十分。
(何か、他に何かないの……?)
少しでも良い。
もっと、情報が欲しい。
(――情報?)
ひらめく。
それは、ゲームでの情報。
ゲームでは、戦闘中に敵のデータを確認することが出来たのだ。
「お嬢様、只今戻り――」
「エリク! 馬を出してっ!」
「は、はい?」
戻ってきたエリクの言葉を遮って、私は叫ぶ。
「一体どこへ……?」
「コルトの家よ!」
コルト・フォン・チェスクッティ。
彼は、ゲームにおいて軍師キャラでありバフ役。
そして――エネミーを”鑑定”する能力を持っている。
(待ってて、ダイアン!)
ダイアン は 眠っている!
レナ は 泣いている!
ミーナ は 泣きそうだ!
それでも泣いてる場合じゃないので、ミーナさんは動きます。
* * *
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